ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

結婚の決め手

自分が核家族で育ったので、父方の祖父母と三世代同居で育った主人から、いろいろと補われたいと思ったことが、結婚の決め手の一つであった。
祖父母のみならず、大黒柱だった明治生まれのおじいちゃんが、親を早く亡くしたり、悪戯っ子だったりした親戚の子達も引き取って、一緒に暮らし、学校まで出した時期もあったと聞いた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170103)。それを知って、私はますます乗り気になった。
この点は、堅苦しい本ばかり読み、当時はまだ割合として少なかった大学院を修了し、海外で仕事をしてきた「嫁」候補者に対する印象としては、やや意外な気がするかもしれない。
でも、本当である。
アメリカの東海岸へ最先端技術を学びに留学までして、その後も駐在を経験するほど、一見、都会派風なのに、「田舎はいいぞぅ」と最初から繰り返しており、母方の祖父母を自然と敬愛している主人の態度も、私の気に入った点である。
前から折に触れて言っているのが、「あと三年早く出会っていたら、もっと田舎のおばあちゃんや伯父ちゃん達に昔の話を教えてもらえたのにね」ということである。
最初から、私の家族のスタンド・プレーがバラバラなことを心配されていたが、それでも温かく受け入れてくださったことを、今でも感謝している。
というのは、ある時、父方の祖母が同居したいと電話を掛けてきた時、母親が「子供達が受験期だから」とか何とか言って断ってしまったことを覚えているからである。
父方の祖母とは、信州大学の学長を務めた加藤静一の姉に当たる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)。同居を願った理由は定かではないが、惜しいことをしたと、今でも思う。
その頃は、一瞬一瞬が目まぐるしく変化する思春期だった上、嫁姑の諍いが追加されるような気もして、ちょっと引き気味だったが、祖母の穏やかな名古屋弁を思い出すにつけ、大きな損失だったと改めて感じる。
空き部屋もあったのだから、是非とも引き受けるべきだった。そうすれば、妹や弟が結婚相手をきちんと紹介せずに、逃げるように自分達の空間に治まろうとするような愚は、恐らく避けられたかもしれないだろう。家系の歴史も、生き生きと学べたことだろう。戦時中の工夫や知恵等も、伝授されたのではないだろうか。
とりわけ、「どちら様ですか」「初めてお会いしましたか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170103)等という将来の意地悪は、回避できたことだろう。
眞子内親王の婚約報道を巡る一連の騒ぎによって、過去二十年間の自分の心のもつれの原因、あるいは、世間のメカニズムというものがやっと明快になったことが、最も大きな幸いだった。

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・2016-02-14   日泰倶楽部
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(リスト終)

映像を見る限り、ご公務では、お小さい頃から相当、年長の方々と同席して会話をされている機会が多そうなので、恐らくは、無責任なオバサマ集団のバッシング・コメントが懸念しているよりは、遥かにうまく乗り切る心得をされているのではないだろうか。

眞子内親王殿下に感謝します。