ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

週刊誌の皇室記事からの孫引き

よろず世間に疎いので、以下のようなブログ記事を見つけて驚いた。
週刊誌を滅多に読まないので、このように皇室記事を保存して、ブログに時系列に並べている人々の努力には感動する。但し、記事そのものの信憑性については、判断保留とする。
後日の参考までに部分抜粋を。

http://nikkorinikorin-rinrin.blog.jp/archives/1009281865.html


1.アーヤ:どんなに成績が悪くても決して落第しなかった学習院時代
2.秋篠宮:Goの過去形をGoedと書くレベルだったのに英語で博士論文を執筆、博士号取得
3.紀子さん:アンケート調査を元に書いた11ページのレポート程度での論文で博士号取得
4.筆頭宮夫婦:毎年の海外旅行
5.筆頭宮夫婦:海外旅行の際にスーツケースの鍵束を忘れて飛行機を90分も遅らせても航空会社からクレームなし
6.眞子ちゃん:中等科時代、「私を誰だと思っているの?」とエレベーターで横入り
7.眞子ちゃん:卒業後は陛下の公務を手伝います!宣言の3ヵ月後にいきなり英国留学宣言
8.佳子ちゃん:スケート大会に偽名で登録・出場、優勝候補者達が欠席の中、優勝獲得
9.佳子ちゃん:別大学を受験していたのに内部進学で学習院大学入学
10.佳子ちゃん:学習院大学入学後、無登校状態のまま退学、ICUにAOで受験することを宣言して合格
11.悠仁君:特別枠でお茶の水幼稚園入園
12.悠仁君:報道規制に守られ、マスコミの報道ほぼゼロ
13.悠仁君:お茶の水幼稚園・小学校に緘口令を引き、情報流出を防ぐ

しかしこの紀子妃殿下の「博士号」の話は、凄いとしか....。

http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-30.html


週刊文春 1993年6月17日号
宮内庁記者が絶対書けない平成皇室「女の闘い」


紀子様が皇室入りする前後、皇后が大声で叱ったという“事件”があった。
紀子様ご自分の母親にコーヒーを入れさせようとした時と、コンサートに入場するのに、母親の方が後ろに従う形で歩かれた時のことでした」(学習院大関係者)
皇后が叱った理由は、「これからの皇室はなるべく普通の家庭のように振舞うことを目指しているのに、母親より娘が偉いかのように行動するのはやめてほしい」という趣旨だったらしく、「それまでにも小声で何回か注意された」(同)らしい。なにしろ、大恋愛の末、「どうしても、今、結婚したい」と深夜何日間も両親に迫り、「婚約発表」を勝ち取った秋篠宮ご夫妻


・「川嶋家からのお嫁入り道具や衣装は、すべて天皇家が支払うことになっていたのですが、ウエディングドレスの手袋の請求書が天皇家にまわってきた時は、皇后もため息をつかれたそうです」(同)という証言もあるし、お側に置く人間をめぐる、こういうささやきも聞こえてくる。「皇室に慣れていない女性なので、妹の紀宮様の側に長くいた女性をつけたのですが、うまくいかなかったらしく、紀子様の側をはなれることになったのです。紀宮様にとっては、長期間、親しんでいた女性だっただけにショックだったらしい」(皇室評論家)


・紀子妃の次のようなご性格
●皇族との結婚が決まったことで実母をアゴで使うような感じになったこと。
結婚を無理やり認めさせるため、秋篠宮礼宮)様と二人で深夜に現両陛下の元に押しかけたこと。
嫁入り費用を全て天皇家に支払わせていたくらい川嶋家にお金がなかったこと。
サーヤについていた職員を辞職に追い込んだこと。
秋篠宮様と喧嘩したという理由だけで会合をサボろうとしたこと。
●そして雅子様へ注目が行くことが気に入らず不機嫌になること。

http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-31.html



・タイで殿下の警護にあたる駐タイ日本大使館関係者から聞こえてくるのは、思いきり羽根を伸ばす殿下の行動に対する不満だ。
殿下のタイでの行動には、警護の者は困惑することが多いようです。スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で予想が付かないため、大変だとボヤいていましたよ」(全国紙バンコク特派員)
タイの日本大使館関係者から不満が上がるのは、殿下のスケジュール管理をタイ政府が仕切り、日本側の裁量が及ばないからである。



・殿下のタイご訪問には、毎回必ず日本から殿下と親しい学者たちがピッタリと寄り添って同行する。そして、彼ら同行学者たちは、まるで殿下を囲い込むかのように常に行動を共にする。特に殿下に近しいのは、魚類の系統分類の権威である東京水産大学元教授・多紀保彦氏、タイの政治事情に詳しい大阪外国語大学教授・赤木攻氏
「多紀さん、赤木さんは、ホテルで宿泊するときも殿下のすぐ隣の部屋を占め、しばしば殿下の部屋に行って、深夜までお酒を飲んだりしている。そうした場でどんなお話をしているのか、殿下がどんな振る舞いをしているのか、日本大使館員にはわからないんです」(前出・特派員)


・こうした、日本大使館の目が届かないなかで、89年には秋篠宮殿下はタイ北部の町・ピサヌロークで、短時間とはいえ「行方不明」になり、大使館員たちがパニックに陥ったこともあった。この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学にいった、ということにされている。が、一種の社会見学として実際に殿下が出かけていたのは、同町にある「ソープランド」だった。前出のソムチャイ氏も前もって地元警察に警備を依頼。店に連絡して貸し切り状態にして店内を見せて回ったのだが、日本大使館員たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。

タイとの関係に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160214)を参照されたし。

http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-44.html


週刊新潮2005月8月11・18日合併号の記事


・皇室の守護を目的とする皇宮警察。その本部に所属していた警視(58)が7月15日、自ら命を絶った。実はこの人、秋篠宮家の護衛を担当する侍衛官だったという。昨年夏にも自殺者か出たというが、一体、皇宮警察で何か起きているのか。


・亡くなったのは、護衛部の侍衛官、加藤達夫氏(仮名)だ。侍衛官とは、護衛部長の直轄で皇室警護の現地指揮をとるのが主な仕事。皇宮警察本部にはたった3人しかいない。天皇皇后両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮家の下に各一人ずつ配置され、加藤氏は秋篠宮家を担当していた。お出かけの際には必ず身辺の警護にあたっていたというから、秋篠宮ご夫妻もさぞやお心を痛めていらっしゃるに違いない。むろん、スキャンダルを極度に嫌う皇宮警察だけに、内部でも厳しい箝口令が敷かれているという。皇宮警察の広報も、「自宅近くに車を止め、その中で縊死していました。原因については、全くわかりません」と言うだけだ。


・「昨年8月にも加藤の後輩が、首を吊って自殺しているんです」と明かすのは、皇宮警察関係者のA氏だ。「加藤氏と一緒に秋篠宮家の護衛にあたるのが、護衛部の護衛3課。自殺したのは、3課の高山弘(当時47)=仮名=という側衛官です。高山は、眞子さまや佳子さまをよく学習院に送り迎えしており、紀子さまの大のお気に入りだった。加藤は高山を直接の部下のように面倒を見ていました」
もっとも、高山氏は私生活ではかなりいい加減だったという。

この件については、並行して、今進行中のお話の背景(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170525)とも、関連があるのかないのか。

http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-48.html


週刊文春2011年9月22日号の記事


・深層レポート 紀子さま45歳 秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」
10人以上の職員が交代!
なぜ職員が体調を崩し次々に去るのか。書かれざる“人間関係”を明らかにする
「我々に人事権はありません。命じられた場所で働くだけ。だから堪えられない人は夜逃げ同然で去る人もいる」。


秋篠宮家に仕える職員の人事はこの数年、不安定な状況が続いている。まず事務方トップである宮務官と、オクと呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る侍女長が、この一年以内に二人とも交代している。この二つのポストだけでも、この4年で6人が辞め、他のポストも含めれば10年の間に10人以上が交代している。


・富士氏と犬伏氏には同窓という接点がある。「お二人はキリスト教に基づいた一貫教育を行う自由学園女子部のご出身です。学年は違いますが、犬伏氏が侍女長になったのも、お二人の繋がりからだと聞いています。人当たりの良い方ですよ」(同校関係者)

自由学園」と言えば、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160128)。

http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-50.html



週刊新潮2011年11月18日号


秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング 侍女長がノイローゼで出勤不能


秋篠宮家には現在、15人の職員がおり、その内訳は宮務官と侍女長のほか、事務官が7名、運転技官4名に調理師が2名。いずれも国家公務員である。このほか、冒頭で述べたように民間人扱いとなる侍女が数名、お仕えしている。


秋篠宮家の事情に詳しい宮内庁の古参職員が言う。
「通い勤めの職員らが出勤し、3人のお子様方がそれぞれ幼稚園や学校に出かけられたのち、宮邸では仕事についての打ち合わせが行われます」主だったスタッフを一堂に集め、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど、その形式は議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるという。それでも大枠では、「両殿下が同席され、その日の予定について職員との間で確認がなされるとともに、一日の仕事のご指示が出されます。いわば『朝礼』のようなものでしょうか。公務については、おもに殿下と宮務官がやり取りされ、私的な生活に関する事項は、妃殿下からご指示が出されるのです」(同)

(部分抜粋引用終)

秋篠宮ご夫妻は私と同世代なので、良し悪しは別としても、学生時代の過ごし方から何から、まるで異なっていることに一種の新鮮さを覚えていたものである。だが、同じように年齢を経てきて、現状は如何に?
秋篠宮家に関しては、過去ブログをどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170708)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)。