ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

予防線を張って

目がズキズキ痛むままに、一種類につき一日4回から5回ずつ点眼するよう、何種類もの目薬を処方されながら数週間を過ごしていた先月(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)、ある人から突然、「自分の論文を訳してみないか?」とフェイスブックで連絡があった。
たまたま気晴らしにフェイスブックを見ていたら、急に連絡が入ったのだった。その時の症状は、勿論、今よりもひどかったが、元気だった時の自動延長で、陰鬱ながらも何だか今よりも気力は充満していた。つまり、やる気が自動継続していたのだ。
英国人であるその人のことは、パイプス先生の中東フォーラム(http://www.meforum.org/)を通して数年前からウェブ上で知っており、メーリングリストにも登録して、何度か英語ブログでも紹介したことがあったので、こちらも気楽に請け負ってしまった。結局、これが間違いの元だった。つまり、パイプス先生が手元で大切に育てている人でもあったため、つい日本人感覚が出てしまい、ビジネスライクに謝礼云々の話を先にするよりも、先に訳文を提出する手はずにしてしまったのだ。
「締切はいつですか?」「いつでもいいよ。とりあえず、5日後ぐらいかな」
という感じだったので、眼痛からくる涙をポタポタ落としながら、必死で訳してみた。ワード文書に5ページぐらいの分量だった。パイプス先生の一般向けコラムよりは専門性が高かったので、気分転換にもなるかと思ってのことだった。
だが、締切以内に提出しても音沙汰がない。二度、確認メールを送ったが、あきらめた頃に連絡があり、「ごめん、旅をしていたので返事が遅れた。もう一度送って。添付文書を紛失したらしい」。
再度送ったが、今までのところ、受信確認にも返答がないままだ。
それに、支払いについて尋ねると「今回のは、訳文が読みやすいかどうか確かめるための、自発的なお試し依頼だ」というので、余計に落胆した。
よくある話といえばその通りなのかもしれないが、我ながら、慎重にしていたつもりでいて、肩透かしを食らわされたのがとても残念だった。
パイプス先生の場合は、さすがに昔の厳しい訓練のせいか、そういうことは絶対にない。最初から、躊躇する私を三週間以上かけて説得し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、受諾した時点ですぐに謝礼料金を自分から提示された。
それに、長文を訳した時には、「自分のした仕事に見合う請求をしなさい」ともおっしゃっている。
あれほど国内外を頻繁に旅しながら、講演、テレビ・ラジオ出演、会合出席、コラムとブログ書きなど、精力的に活動される一方で、必ず私のメールには親切に返答を寄越される。私への励ましでもあり、将来への何らかの投資の意味もあるのかもしれない。
そういうことから、ここまで私も何とか訳業を続けて来られたのだと思う。
実は、パイプス先生関連で知り合ったあるアメリカ人から、自分が率いている会社のパンフレットを日本語訳してくれないかとか、別のアメリカ人からも「本を出したから訳してみてくれるかな?」という話の持ちかけがあったこともある。会社の方は、私が業務に不案内だったので連絡を躊躇しているうちに自然消滅し、「本を送るから」とわざわざ連絡があった人からは、待てど暮らせど何も届かなかった。仕方がないので自分で購入したら、何とそこには、パイプス先生が何度か(肯定的に)引用されていたのだった。
私はプロの訳者ではない。それでも、パイプス先生が喜んで依頼を続けて来られたので、びっくり仰天しながら受けて立ち、内容や執筆動機に関する理解を深めるために、2014年4月には渡米して会合に出席し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)、2015年春にはイスラエルhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)、2016年秋には欧州の旅にも同行したのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)。
今でも驚くほど内容の濃い経験で、とても消化しきれているとは言えない。だが、思い切って飛び込む価値は充分にあった。そして、あの世代の知識人の底力と実力には圧倒される思いでいる。
今は、オンライン・デジタルのために、量とアクセス数のみで仕事の価値が決まってしまうかのような傾向があるが、それは間違いだと思う。例えば、大衆向けのセンセーショナルな文章でニュース報道と合致していれば、当然のようにアクセス数は上がるだろう。だが、本当に広く深い専門性というものは、即座に皆が同様に理解できるとは限らず、表面的なアクセス数だけでは価値が測れない。
今回の教訓は、知り合いだからといって安易に請け負わず、「時間がないから」と断るべきことだったということだ。
それにしても、パイプス先生がいつまで活動を続けられるのか、私はいつでもハラハラしている。あれだけ動き回っていて、途中で事故や病気など万が一のことがあったら、どうするのだろう。また、組織が世代交代していて、新しいスタッフも入ってきたので、肝心の金銭面で、今回のようなことになってはいけない。
予防線を張る意味で、日本語ブログに記すことにした。