ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

初めてのスウェーデン訪問

今回の旅は、前回(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)とは些か異なり、旅の趣旨から事前に箝口令が敷かれていた。また、「旅の終了後には、自分が考えたことや経験したことを自由に書いて公表してもよい」が、「参加者については黙秘のこと」「公以外の場で話した企画者の発言については伏せること」という条件がついていた。
これは世界情勢の現状を鑑みれば当然の常識であり、表向き、旅行参加者を広く募っていたものの、実際には精査選抜のスクリーニングが掛けられていたようだった。
そして、旅団で唯一、非英語話者の非西洋人でありながら、日本国籍の信頼性と、訳者としての便宜のおかげで、難なくフィルタリングを通過できたのだった。
今後の世の中は、国籍や年齢や言語や宗教云々以上に、個人としての資質や世界観や体力全般や危機管理能力などによって、この種の団体行動は、ますます選抜式になっていくことであろうと予想される。換言すれば、若い時の過ごし方如何で、人生の後半になって相応の見返りがくるということでもある。同時に、所属する国が近代性に到達し、実践を積み重ねているか否か、という背景も非常に大切になってくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160515)。こればかりは、移民でもしない限り、出生国の為政者の責任及び国民性が重大だということだ。
昨日も書いたように、スウェーデンは初めてだったので、今日は少し補足事項を書いておく。とりあえず、スーツケース2個は片付いたが、まだ、買い求めた本やホテルでいただいてきた各国の新聞や大量のメモおよび写真の整理がついておらず、これから少しずつ、というところである。
小学生の頃、学校で『長靴下のピッピ』シリーズを楽しく読んでいたが、赤毛の三つ編みの活発で型破りで元気な女の子の物語が、スウェーデン作家によるものだということは知っていたものの、彼の国に足を踏み入れ、お土産屋さんをぶらついてみて初めて、やっと自分の中でその意味合いや文化背景が結びついたのだった。
勿論、ピッピと言っても英語圏では皆が一様に知っているわけでもなさそうで、ムーミンでさえ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)、お孫さんのいる女性でも(え?何?)といった様子だった。
つまり、日本の児童文学者や翻訳者は昔からかなりレベルが高く、私はその恩恵に充分に預かった世代だったということである。
余談だが、英語での講演や議論や討論等の間、旅団メンバーは私のメモ取りに興味を持っていた。昨年もマサダで休憩している時に聞かれたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160908)、「メモを取る時、日本語を使っているのか、英語で書き取っているのか」というのである。私が「両方」と答えると、「え?どうやって二言語でメモが取れるわけ?どういう思考回路を経ているの?」と不思議そうだった。
日本で大学や学会からの招待で外国人の混じる研究会や講演会に出席しても、マレーシアの大学やシンクタンク等の会合に出ても、私は全く同じことをしてきた。英語はアルファベットなので、時間の節約のために漢字でキーワードを単語のみ綴っておけば、何とか筋を追えるのである。または、平仮名だけでポイントを列挙する場合もある。いつもの如く、コクヨの小さなメモ帳を片手に、ペンを挟み込んで忙しくメモを取っていた。
後で、パイプス先生から「昨年の旅行では、メモを取っていたのはあなただけだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160325)。今年は、波及効果で15人がメモやノートを取っていたよ」と褒められた。やはり、元は大学の先生でいらしただけあって、教育効果を測っていらっしゃるのだ。ちなみに、旅団の三分の一は前回のイスラエル旅行の参加者と重複していたので、私としても知り合いがいるということで、何かと今回は気が楽だった。
スウェーデンと言えば、学生時代以降、ダグ・ハマーショルドをまず想起する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090909)。だが今回は、その国連の難民高等弁務官の事業が、高度福祉国家で鳴らしてきたスウェーデンを如何に人口動態的に揺るがしてきたか、という問題に焦点が当てられ、極めて明快かつ熱のこもったお話を聞くことができた。
勿論、スウェーデン議会の建物の中にも入れていただいた。それは、昨年、エルサレムでクネセト内に入れていただいたのと同じ路線である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151027)。だが、中身が異なっていた。
日本は一体、国会でどういう議論をしているのだろうか。外国人にいつ見られても恥ずかしくない真摯な議論をしているだろうか。

http://business.newsln.jp/news/201507081802560000.html


「国連、1961年に起きたハマーショルド国連事務総長の墜落死は謀殺の可能性」
by Joseph Hoffman


パン・ギムン国連事務総長の特命によって組織された第三者員会による調査により、1961年に起きたダグ・ハマーショルド国連事務総長の墜落死は、事故死ではなく謀殺だった可能性あることが6日、明らかとなった。


第2代国連事務総長となるダグ・ハマーショルド氏は、1961年9月17日、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上の北ローデシア(現在のジンバブエ)上空で、搭乗機のダグラスDC-6Bが墜落を起こしたことにより事故死していた。しかし、事故当初からこの事故死を巡っては謀殺されたという憶測が飛び交っていた。


今回、発表された報告書は、ダグ・ハマーショルド氏事故死のナゾの全貌を解明するために、今年の3月にパン・ギムン国連事務総長が組織した第三者委員会が調査を行ったものとなる。


そして、今回、第三者委員会による調査の結果から、ダグ・ハマーショルド氏が搭乗していたDC-6B機は、墜落する前に攻撃を受けた「中程度の証拠(moderate probative value)」が見つかったとした。


三者委員会が発見した証拠とは、事故関係者による証言に基づくもので、第三者委員会が聞き取り調査を行った事故の目撃者によると、事故機の脇には、事故機が墜落に至る前に別の1機の機体が寄り添うようにして飛行し、その後、事故機は火を噴いて墜落に至ったというものとなる。


三者委員会はまた、当時の米国政府の安全保障担当者にもアクセスをすることで、米国政府は、事故当時、事故機の会話を傍受していた際に、事故機が別の機体から攻撃を受けたと会話していたとする証拠を得られたとしている。


三者委員会によると、ダグ・ハマーショルド氏が携帯していた暗号機には、NSAによる盗聴器が付けられていたとしている。


また、謀殺を行った可能性がある主体に関しては、明示することは避けたが、墜落事故を起きた周辺地域では、イギリス情報部が活動を行っていたと述べた。


(Source: United Nations)


・Joseph Hoffman is contributing writer of the Business Newsline.

(転載終)

ちなみに、緒方家のご自宅で自撮りしている『浴衣カウボーイ』には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160327)、こけし人形のシーンが出て来るが、これはスウェーデンのものだということを、今回、ストックホルムのお土産物屋さんをぶらついていて知った。