ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

異論を具体的に知るために

ツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)からの転載を。

Lily2 @ituna4011
ゼロ戦と日本刀』(http://www.amazon.co.jp/dp/4569762859/ref=cm_sw_r_tw_dp_7aufvb0B8FP9Y …)も合わせて買ってしまった。百田氏の戦争史観には疑問が多い。渡部氏については、You tubeの発言から、その主張の是非を文章で知っておきたかった。賛否以前に、なぜ今頃このような路線が出てくるのかに関心がある。


Lily2 @ituna4011
『思考の整理学』(http://www.amazon.co.jp/dp/4480020470/ref=cm_sw_r_tw_dp_p6tfvb1ZBG3Q1 … )を隣の市の本屋さんで買ってしまった。一週間前に第102刷発行とあり、新品を購入した意味を見出した。

(転載終)

渡部昇一氏については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141210)に別件で引用がある。

昨日のブログ記事(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150326)を踏まえて、久しぶりにパイプス訳文を掲載していただいたが、内部データベースによれば、アクセス反応が上々。パイプス先生は、邦訳提出を大喜びされていた。(かわいい!)
フェイスブック転載は以下の通り。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima


ユーリ:どうぞ!


「米国・イスラエル関係における歪みはどれほど深刻なのか?」
中東フォーラム会長で『季刊中東』誌の発行者のダニエル・パイプスは、イスラエルのネタニヤフ首相のテヘラン不信やイランの核談話を巡る懸念を共有しています。 再び仲間としてイランを持ち込む目標は「良いものですが、その施行はひどいものです」と、彼は述べます。彼によれば、オバマの中東政策は、全体として失敗してきました。「それは軟弱政策です。何十年以上もアメリカ政府が築き上げてきた責任を維持しないという政策です」。
http://www.danielpipes.org/15678/


ユーリ:パキスタンのことはわかりませんが、ここでパイプス先生がおっしゃっていたのは、アメリカとイスラエルの関係は必ずしも常に蜜月だったのではなかったという過去の事例を踏まえた上で、オバマ氏のネガティブな対イスラエル観はアメリカ文脈において初めてではない、ということです。ただし、大統領になる前から、オバマ氏がエドワード・サイードや過激なパレスチナ人と接触があった事実があるので、オバマ政権の中東政策が失敗続きなのは予想通りであること、イランとの核協議が危ない方向に行っていることを、パイプス先生は指摘されていたのです。パイプス先生のフランスでのお話は、日本のことを視座に入れていないと思いますが、少なくとも日米同盟があるので、共和党保守派で親イスラエル派のパイプス先生のお考えはこういうことだ、という理解でいいのではないでしょうか。差し出がましい文章で、大変失礼いたしました。

(転載終)

(2015年3月28日ユーリ後注:本件についての詳細は、英語ブログをどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20150328)。)
そして、池内恵先生もフェイスブック記事満載。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf


・トルコの国営アナドル通信の配信記事をアラビア語に訳したもの。多分元原稿は英語。


・私はアラビア語の記事をシェアしたいときはしますが、英語で同じ内容があればそちらを見ればいいでしょう。むやみにアラビア語にこだわることはないし、アラビア語の情報を取っていると称する人の分析が正しいとも限らない。


・ただし、アラビア語を見ておかないと肝心な情報を見落とすことは当然あるだろう。ところが、英語での肝心な情報を見ていないと、アラビア語情報の重要な部分にも気付けない。


・要するに両方やるべきなんですね。このことを中東専門家も、わかっている人はわかっているが、出身学部などの関係でアラビア語だけ、にこだわって混迷してしまう人たちがいる。お気をつけなさってください。


・アラブ世界のリベラル左派民族主義=いわゆる「アラブ知識人」が集っていると思われる新しいニュースサイト。


・それでもリベラル左派民族主義系知識層の議論が、ある程度客観的な分析や批判たり得ることがあって、それはなぜかというと、現在の中東の大部分の政治対立・紛争ではリベラル左派民族主義は「蚊帳の外」だからですね。もはや政治的当事者たり得ないので、ある程度客観的になれる、という皮肉な状況。


・しかし、彼らにしても、抱いている信念やイデオロギーや社会との関わり方は硬直化していて、アラブ諸国内の支持層が薄いので、その分析も全体的に信頼はできない。

(部分引用終)

上記の記述、なぜかマレーシアを見てきた者には通じるものがある。
言い換えると、「むやみにマレー語にこだわることはないし、マレー語の情報を取っていると称する人の分析が正しいとも限らない」「ただし、マレー語を見ておかないと肝心な情報を見落とすことは当然あるだろう。ところが、英語での肝心な情報を見ていないと、マレー語情報の重要な部分にも気付けない」。
これは、マレーシア研究でも非常に似ている。私の世代だと、1990年代前半頃はとにかく現地万歳というのか、現地滞在経験があるとか、現地語が少し話せるとか、現地人の友達がいるとか、現地資料を取ってきたり、現地語情報を提示しただけで、快挙だと学会で言われたと平気で自慢していた人がいたぐらいである。しかし、よく資料を見比べてみれば、現地語は曖昧だったり不正確だったりするのに対して、英語資料の方が信頼できることの方が多かったりもした。
つまり、無駄足を踏まされたというわけである。
「お気をつけなさってください。」

万事抜け目のないパイプス先生、その件に関しても、皮肉スパイスをたっぷり効かせた一文を提示されている(http://www.danielpipes.org/13358/)。