ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

持ちつ持たれつの関係?

スペインのアスナール元首相にせよ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140629)、ダニエル・パイプス先生にせよ、私のような一般の日本国民にとって、ジャーナリズムやウェブサイトで悪口雑言を殊更に書かれるほど、突飛な思想の持ち主だとはとても思えない。
思想や主張や言論の自由は確保されなければならないし、正当な方法で自分の見解を表明する権利は、誰にでもあるのが現代文明なのだ。
アスナール氏は現役時代に、日本とスペインの関係は良好だと述べ、北朝鮮問題に理解を示されていた。要は愛国心の強い、誇り高きスペイン中道右派ということだ。G8にスペインを参加させたいとか、EUでのスペインの影響力を拡大させたいとか、中南米への影響を広げたいとか、スペインの地位向上を試みて、いろいろと努力していた節もある。
それに、『ニューズウィーク』誌のインタビューでも、「欧州には米国への知的優越感があり、米大統領をあまり評価せず、共和党ならもっと評価が下がり、テキサス出身だとさらにマイナスだ」などと述べたこともあるそうだ。随分、無遠慮な発言だ。
彼は英語が下手だとも書いてあるサイトがあった。でも、一部を除く日本国の歴代首相と比べれば、特に遜色はないと私には思われるし、言葉の流暢さよりも、考え方や主張の筋が明確であることの方が重要だと思う。ただし、You tubeを見ていると、スペイン語で話されている方がすっと入ってくるのも不思議だ。
長年、国内および欧州やイスラエルの要人と渡り合ってこられたパイプス先生との交流が今でも何だか信じられなくて、4月にご一緒させていただいた写真を何度も見ている。確かに私に対しては、大柄なのに小柄な私に寄り添うように近づき、にこやかで親しみのこもった温かい表情をされている点、私のような平凡な存在こそ気楽で、それなりに価値があるのかもしれないと思ったりもする。

先日のブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140701)に書いた。

時々、日本認識が混乱しているけれども(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140618)。あれは、アメリカ人の立場としては、絶対に公には認めないでしょうねぇ。最近も、懲りずに別の角度から探りを入れてみたが、戦略的沈黙を保っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130925)。つまり、黙っている時には、内心は「ちゃんとわかっているよ」ということなのだと理解している。

「別の角度から探りを入れてみた」に関して、とりあえず2014年の6月24日と25日付メール交流から、ご紹介を。

私「もし、日本のファシズム第二次世界大戦中、成功裏に打ち負かされ、戦後はアメリカの指導者層によって、うまく日本を導くことができたとお考えならば、なぜ同じアメリカ人が、イラクあるいは中東の他の諸国に関して、そのようにできなかったのでしょうか。将来の論考文で、この話題について読みたいと思います」。

パ「2003年期に、この対照について僕はよく書いた。日本(とドイツ)における多くの相違、特に全面敗北の経験と、合衆国での多く、特にその全面焦点に僕は気づいた。
僕の多くの論考文中で、この議論の要素を見ればわかるよ、特に最初の議論を」。

そして、そのテーマ(Iraq+japan+germany+1945)に関する20件のリストが、ハイパーリンクで提示されていた。「最初の議論」とは、2004年4月13日付『ニューヨーク・サン』紙に掲載されたものだ(http://www.danielpipes.org/1723/the-roots-of-iraqs-rebellion)。
恐らく、以下の箇所を指しているのだろう。

First, the quick war of 2003 focused on overturning a hated tyrant so that, when it was over, Iraqis felt liberated, not defeated. Accordingly, the common assumption that Iraq resembled the Germany and Japan of 1945 was wrong. Those two countries had been destroyed through years of all-out carnage, leading them to acquiesce to the post-war overhaul of their societies and cultures. Iraq, in contrast, emerged almost without damage from brief hostilities and Iraqis do not feel they must accept guidance from the occupation forces. Rather, they immediately showed a determination to shape their country's future.

私から見ると、何だか、当座の局面打開のため、苦しい解釈を一生懸命に考えついたという印象しかない。アメリカって、こういう次元の話を堂々としているんですね、と。

そこで次のお返事を。

私「えぇ、私もずっと前に、数多くのご著述から日本に関して類似のリストを作ってきました。目下、全部を翻訳する充分な時間がありませんけれども。


リスト内の以下の番組で、私はブキャナン氏に同意します。彼の発言は歴史的に正しかったと思います。

http://www.danielpipes.org/452/debating-saudi-arabia-iraq-and-democracy)。


ブキャナン:でも、デモクラシーは両国で前に存在しましたよ。日本でさえ。
パイプス:日本で?
ブキャナン:日本では、確かに1920年代に存在しました。1933年までは、ドイツにおいて、確かにその資格がありました

全面戦争か部分戦争かは、時代の経過につれて、ただ戦争型の相違だけのように私には思われます。理論的に言えば、部分戦争の後の国家再建は、もっと易しいに違いありません。


もし、ムスリム世界は何世紀も遅れを取ってしまったという先生の以前の記述が正しいならば、ドイツ人や日本人のような敗北国民は、国家破壊から回復するための優先順位を認識する充分な能力を有していたのです。


1.両国では、本当に、ファシズムやナチズムや戦争そのものに全く反対した人々もいましたが、戦争参加を止めることに失敗しました。ドイツと日本は同盟でしたが、戦時中には違う風に行動しました。

2.両国は、戦前に一定レベルの文明に達していました。だから、経済回復がこれらの国々ではかなり早かったのです。

3.他の非西洋諸国は、これまで日本と同水準に達したとは思われません。残念ながら、中東地域はその一つです。

4.民族的な特徴は、概して古代から今まで一貫しています。日本人は、自らを素早く変えたのではありません。その代わりに、明治期以前でさえ、国や社会の制度を育んできたのです。だから、明治期後や第二次世界大戦後、比較的すみやかに、発達した西洋諸国に追いつくことができました。

5.イスラエル人を除き、中東人は同一の近い将来を期待できるのでしょうか?

これについては、冒頭で述べたように、お返事はなし。いろいろと背後の事情があるのだろうし、日本は「もう戦争はこりごり」という気分で70年間も来たのだから、私としては、本件に関して相手の認識を改めさせようということは、残念だが、あきらめている。

でも、こんな次元の話ばかりしているのではない。かなり遡るが、2014年3月8日付のメールを少し披露。

「1. 8世紀から10世紀までのアッバース朝(al-Dawla al-‘Abbāsīya)のイスラーム黄金期は、バグダッドで傑出した学者や文化エリートを生み出しました。彼らは純粋にムスリムだったのですか?それとも、ムスリム男性とズィンミーユダヤ人あるいはクリスチャン)の女性との間の子孫でしたか?


2. どこかで、学部の卒論はアル・ガザーリについてだったと読みました。彼の政治的側面よりも哲学的側面を扱ったのでしょうか?結論は何なのですか?全体として、イスラームに関する先生の思考パターンに、今でも影響がありますか?


3.なぜ、先生の読者の中には、そんなにひどく論考文をバッシングする人がいるのですか?彼らは何を著述から期待しているのですか?」

その回答が3月9日付で届いた。

「ほとんど単純な問いじゃないよ!


1.僕なら違う風に述べるね。ムスリム国家が提供した前イスラーム期の高文化や富や機会の子孫だった、と。


2.僕の論文題目は「中世のイスラーム討論:世界は永遠のうちに創造されたのか?」だ。純粋に哲学的な問いの一分析だ。ここに序文がある。

古代ギリシア人は、決して新たに作り直されず、ただ伝達されただけの発想の知見を考えた。初期イスラームは、ヘレニズム環境で中心を持つという美徳によって、これらの識見を受け取った。だが、ギリシア哲学風で科学的な伝統によって深く影響されたものの、イスラーム内部では外来要因のままであり続け、事実上、滅びた。それ故に、実際の到達に関する問いを別として、二つの大問題がこの伝統の研究を占有したのだった。それはどこから来て、どこへ行ったのか?


本稿は、イスラームにおけるギリシア遺産の展開の一つの問題を見ることによって、後者の問いに対して部分的な回答を求めるよう提案する。イスラームにおいて起こったことは、あまりにも険しい哲学低下を引き起こしたのだろうか?この低下を巡るいかなる一般説明も、知的理由のみならず、軍事的、経済的、政治的、社会的な理由を扱いつつ、非常な複雑さを必要とするだろう。だが、これらの領域全てのうち恐らく知的分野が、最も直接的に関連するので、最も実りある研究の一つである。哲学者達に提示された一つの格別な問題−世界の起源−に焦点を当てることによって、彼らが到達した高さ、そして、より重要なことには、その後まもなく続いた低下の一側面を示唆することを希望する」。

3. 彼らは、僕のイスラーム主義に対する反対が好きじゃないんだよ」。

私からの3月9日の再度のメール。

1.について、それは興味深いです。今までに私が読んだ何冊かの本によれば、西洋のクリスチャンの中東イスラーム学者達は、当時のバグダッドギリシア語とシリア語からアラビア語への翻訳者達に、ムスリムの父親とクリスチャンの母親がいたと考える傾向にあります。私が気づいたそのような学者達のもう一つの傾向は、中東におけるイスラーム社会へのユダヤ人の貢献を無視することでした。


2.の「古代ギリシア人の知見」について、気がついてはいたものの、私は一度も思いつきませんでした。要するに、意味されているのは、現行のイスラーム主義が、一般的に、世界や人類の進歩に否定的な影響を与え、全面的に誤っているか反対の方向に向かっているということですね。


「それはどこから来て、どこへ行ったのか?」で、2005年8月にボストン近代美術館で見たゴーギャンの絵のタイトル(D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)を思い出しました。


さらなる質問です。


1.イスラームの教えでは、「イルム」を求めることは重要だと考えられています。なぜ、いつ、ムスリムは他者から知識を獲得することによって思考し、反芻することを止めてしまったのでしょうか?他者から学ぶことが彼らにとっての命令である反面、高い位置に自分達を置くことは、彼らにとって矛盾していませんか?


2.ご経歴としてのイスラーム選択とシオニストとしての立場の間に、何らかの連関はありますか?」

3月10日付のお返事。

1.13世紀は、新たな情報の探索が一般的に終焉に至った時だった。
2.いや。僕はただ、サハラの遊牧民族を研究する意図で、当該地域に非常に興味を持っただけだ。

イスラーム研究者であることとシオニストであることの連関がないとは、お目にかかった4月にもおっしゃっていたことだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)。私が想像するに、子どもっぽく無邪気で茶目っ気のある内向的な人柄から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)、忙しく飛び回って政治の荒波に揉まれるよりも、広大な砂漠でのんびりと遊牧民の観察をして、何か変わったことを書き綴っている方が、本来は向いていたのではないか、と思うのだが。

...とまぁ、暇そうに、よくここまで質問を続けてきたものだと我ながら呆れる。
それでいて、「私は平凡な日本市民だ」と繰り返すので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)、「はぁ?」と驚かれてしまったのだろうか。私の意味は、世界政治を動かすような人脈も金脈も意志も能力も何もない、ただの生活者だ、ということなのだが。