ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本が孤立しないために

昨日の日本の国会中継で「このままでは、日本はイスラエルのように孤立する」と言った人がいたそうです。その一方で、昨今、韓国や中国が盛んに「(戦後問題については)ドイツを見習え」と主張してくるとも聞いています。ところで興味深いのは、そのドイツとイスラエルが極めて良好な関係を築いているというニュース。映像は第二弾英語ブログ版(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=German-Iseaeli+relationship)で、英語ニュースは第一弾英語ブログ版(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140227)をどうぞ。もちろんドイツやイスラエルは、それぞれ日本と長年のお付き合いがあります。
メルケルさんは、ドイツ語が明快で、態度に媚びがなくて、特に美人だとか女を売り物にしていない点、かえって誠実な印象を与えるところがいいですね。最初の映像で、メルケルさんの挨拶を英語通訳が終えた後、握手してネタニヤフ氏が「これからディナーだから」とにこやかだったのが、特に印象的でした。ネタニヤフ氏ならドイツ語を充分理解されているのでしょうが、あえて英語通訳が「ユダヤ人国家」とはっきり表現するかどうかにじっと耳を澄まされ、いちいちうなずいていらしたのも印象的でした。
ところで、今月半ばのブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140215)で「日本の核武装」に関する話題に少し触れました。売り上げ部数4万以下となって2009年5月には出版停止した、文藝春秋社発行の『諸君!』(2003年8月号)からの引用で、書いた当時の狙いは二つありました。
(1)「日米関係」と言っても、アメリカ内部で相反する政治見解が大きく二分していることに留意してほしかったこと。
(2)ダニエル・パイプス先生が地政戦略的に日本をどう見ているか、その人脈背景を示唆したかったこと。
ただし、誤解なきよう念のため、ここで一つお断りしなければならないことがあります。
イランの核開発問題について新たなブログを書いたパイプス訳文を提出した際(http://www.danielpipes.org/blog/14119)、この深刻な問題について、多大な懸念を共有しているという私自身の立場を明らかにした上で、1979年イラン革命以来の北朝鮮とイランのコネクションが広く知られていること、2012年4月にテヘランを訪問した鳩山由紀夫氏の失態ぶりとイランの諜報活動の関連性(参考:手嶋龍一・佐藤優『知の武装:救国のインテリジェンス』新潮新書(2013年)p.63(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131216))に言及しました。
そして、以下のようにお尋ねしたことを追加いたします。

①「もしイスラエルがイランを攻撃するならば、ムスリム多数派諸国のみならず、中国やロシアや北朝鮮での余波をどのように考えていらっしゃいますか?」
②「それでは、日本の核武装問題をどうお考えなのですか。広島と長崎に原爆を投下されて以来、いかなる種の核兵器も持たないよう、アメリカの指導者層に大半の日本人は教育されてきました」。

というのは、何年か前、大阪維新の会を支援する人々の中に、アメリカ共和党内部の強硬派だと言われる政治家の言論を、(私見によれば、広く世界戦略上から考えるのではなく、自分達に都合のよいように)引用している場合があったことに気づいたからです。ここで明言しますが、私の立場は全く異なります。
①に対しては、2014年2月23日付メールで、パイプス先生は次のようにお答えになりました。

偽善的な怒りの混じった大きな安堵があるだろうと、僕は考える。そしてイスラエルは、イラン発のテロ以外にも見事にやるだろう」。

そこで、私からはお返事をこのようにしたためました。
「イランに関して、私はイスラエル軍と高度な技術を信頼していますが、その後のイスラエルに対する、イラン人や世界中の反発を心配しております。この頃、先生のウェブサイト上でペルシャ語翻訳が増えてきたことに気づきました。イランのペルシャ語の読者層が、内部から自分達の社会を改革するために、先生のメッセージを正確に理解するよう期待したいと思います」。
この背景として、その直前に、ロシアとイランとフランスのメディア出演(特にフランスではフランス語を使用)の目的に関して、私から再度、確認をさせていただいていたことがあります。そのお答えは次の通り。

「ロシアとイランのテレビについては、時々は新たな視聴者に届く機会だという利点を生かしたいと思っている。このような出演の多くを、僕は拒絶しているけれどね」「フランスについては、フランスのマイノリティ(概して保守派)の中に読者がいる。でも、それ(テレビ・ラジオ・シナゴーグ)はどこでも、僕の地盤なんだよ」。

②に対しては、2014年2月24日付メールで、以下の回答をいただきました。

僕は、日本が核兵器を持つことに異議はない。日本が核の準備をする所要時間は、事実上ほんの数週間のことだと理解している。核禁止は70年前の出来事から生じたものであって、今日では関連なしだ」。

そこで、私のお返事。
「はい、既に日本が、いつでも自力で核兵器を準備するだけの技術やスキルを獲得したということは知っています。でも、ここの大多数の人々は、第二次世界大戦から経験している厳しい教訓のおかげで、もはやいかなる武器競争にも参入することを望んではいないと、私は信じております。重ねまして、ご回答をありがとう存じました」。
文末のご挨拶は、この微妙なやり取りの自己終結を意味します。ちょうどその頃、首都圏での『アンネの日記』破損事件が報じられ始めましたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140222)、やはりタイミングとしてはギリギリのところだったと思います。
核兵器をつくる技術云々の話は、賛否いずれにせよ政治意識から来たのではなく、理系の主人が勤務している企業との関連で、普段から自然と話題になっていたものです。アメリカ留学中に交流のあった、主人が尊敬する友人のご専門と関係していたからです。それに、院生時代の主人の研究専攻も、それとは遠くない分野だったようです。当時、ジミー・カーター大統領が研究室まで訪問に来られたことがあったぐらいですから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080624)。ただし、技術者というのは、政治的に動機づけられて開発しているのではなく、専門分野を追求し続けると、たまたまそこに行き着いたということが多いのではないでしょうか。
それに、パイプス先生の「ほんの数週間」というのは、いくら何でも無理難題で、「文系の発言だな、それは」と主人。「いざとなったら大変だよ。数年はかかる。どこで開発するか、どの企業や大学が関与するか、それほど簡単じゃないよ」「第一、それほどの技術を持っていたとしたら、福島原発事故なんて起きなかったさ」。
それらを総合した上で、「日本の核武装」に関する私の立場を申し上げます。
1.福島原発事故当時の政治失態と深刻な余波を見ればわかるように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110328)、技術があっても、それを使いこなすのはあくまで人間。「絶対大丈夫」とは言えない。韓国の人達が福島原発を見て、「あれは日本だからそうなった。韓国では発生しない」と息巻いていたと聞いたが、そういう態度こそ危険である。つまり、いずれの技術立国であっても、自信過剰と見栄は禁物ということなのだ。火の噴くテレビが日本製だったという話もあった。欠陥自動車で事故が起こったので日系企業が頭を下げた話もあった。韓国製品だって、言いたくはないが細部でいろいろある。だから、日本の核武装なんて、とんでもない事業なのだ。
2.とすれば、仮に核武装できるだけの自前能力を持っていても、あえて作ろうとせず、持とうとしない日本の立場こそが、貴重な抑止力になると考えられないか?第二次世界大戦中での広島・長崎と沖縄の経験があり、またアジア各地での加害者経験を有する日本国民全体が子孫代々、痛苦と悔恨の記憶を共有し続けつつ、むしろエネルギーや宇宙開発など核技術の平和利用に向けてこそ、クール・ジャパンではないか?「さすがは奥ゆかしい、優雅な日本だ。ご不浄であったはずのトイレにまでハイテク技術を活用するという特異な感覚(雪隠)もさることながら、安全保障技術に関しても、西洋的発想とは異なった東洋的な視点と度量がある。恐怖の内に暮らす人民が飢えているというのに、他国から人をかっぱらってまで無理に無理を重ねて背伸びして、核兵器で他国を消滅させようなどと威嚇する国とは、そもそも土台が違うのだ」という印象の方が、余程、日本および世界にとっての安全保障になるのではないか?「あそこに日本あり」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131018)と。
3.パイプス先生宛のメールで、私は非核三原則やNPT体制の遵守や左派の平和運動などという、陳腐で‘野暮な’議論には仕向けなかった。ましてや、IAEAの現事務局長が天野之弥氏であればこそ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130115)、野暮も野暮。これは、メール交信中は意識していなかったこととは言え、我ながら名案だったと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121017)。昨年11月半ば頃にも、原子力艦船の件で、多くの日本人が反米運動をしていたことに気分を害されたというパイプス先生に対して、「何か事故でも起こったらと心配しているのでしょう」「もしかしたら、環境保護団体では?」と、さらりと交わした私。もちろん、無知からしているのではないが、とりわけ意図的でもなかったのだ。パイプス先生の気難しい学究肌の性格(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)、強い愛国精神およびシオニスト情熱(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)、そして共和党保守派としての真面目な活動(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)は大体つかめたし、ディベート慣れしているため、私の知らない世界事情をあれこれ持ち出して、いつの間にか誘導させられそうだからだ。メール交信は、あくまで非専門家としての自分の知識と経験に基づき、自分の言葉の範囲内で、簡潔に率直に端的にするに越したことはない。
4.日本の将来の核武装についての拙見は、春原剛氏の著作『アーミテージ・ナイ緊急提言』(2010/2011年)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131222)とほぼ重複していて、異なる点がほとんどない。以下、ポイントを類別して列挙する。(敬体を常体に直し、一部省略を含む)。

(1) 私個人は日本の核武装には絶対に反対(p.214)。被爆国・日本にはとても強い核アレルギーも存在(p.197)。


(2) 私自身は日本が核武装を望んでいるとは思っていない。日本には科学技術力もあり、望めばすぐにでも核武装できるだろう。能力がないからしないのではなく、望んでいないから(核武装を)していない(p.200)。核武装できる技術もお金もありながら、「非核大国」である道を選び、核廃絶を世界に訴えている。そのユニークさをもっと自覚すべき(p.224)。日本はその気になりさえすれば、すぐにでも核武装できると思うが、そうしないということで(世界の核不拡散に)大きく貢献している。その行動こそ、「責任あるステークホルダー(利害共有者)」にふさわしい(pp.235−6)。


(3) 日本が核兵器を搭載した原潜を保有するということは、核拡散防止条約(NPT)にとても悪い影響を与える。北東アジア全域、さらには世界全体の安全保障環境にも悪影響を及ぼす。日本は今後のNPT体制の象徴的存在(Icon)であり続けるべきだ(p.214)。


(4) ただ、一方で日本には独自の核武装を主張する声も消えてはいない。背景には中国や北朝鮮からの核の脅威があるが、同時に米国による「核の傘」への不信感もある(p.214)。「在日米軍=瓶の蓋」論や核の傘に対する日本の不信感。非西洋社会で非キリスト教文明なのに第二次世界大戦であれほど米英両国を苦しめた「日本」という国の存在、その心中に潜む「悪意」を警戒している(p.221)。核を巡る日本の姿勢は今なお、非常に複雑(p.215)。


(5) 米国は核を保有する超大国であり、日本はそうならないことを決めた(p.35)。非核三原則の枠組みの中で米国は日本を効率的に守ることができる(p.193)。IAEAプロパーの人間が「世界で最も核武装の恐れがある」と疑っているのは「実は日本なのだ」(p.225)。日本が核武装を宣言すれば、即座にNPT体制は崩壊する(p.226)。


(6) 米国内では「いつか、日本も核武装するのではないか」という嫌疑の声が消えない。「日本核武装論」を口にし、警戒心を露わにしている(p.200)。米国内には日本とトルコの核武装論が水面下で燻っている(p.227)。


(7) 日本が核武装すれば、韓国の日本に対する好感度は一夜にして吹き飛び、彼らもまた核武装計画に走ることだろう。実際、彼らは一度、核兵器開発に着手している(p.211)。もしも日本が(1960年代から70年代にかけて)核保有国になっていたとしたら、すべての人々は日本を違う目で見て、それまでとは違う対応を見せたことだろう。日本が今日のような発展を遂げていたかどうか(p.220)。


(8) 我々はそれほど強く日本を信頼している。日本には多数の有能な人材がいる(p.225)。日本は大きな信用に値する(p.235)。経済力、対外経済支援、六十年以上にも及ぶ民主主義制度、そして各種国際機関への多大な資金的貢献など、朝鮮半島と中国を除いて、日本はその国民性ゆえに世界で最も尊敬されている(p.258)。

(以上)
だから、核兵器に関しては現状維持の日本の存在こそが、そのまま核抑止力につながるという考え方です。ただし、自衛のための軍事力強化は、これまた別の話です。