ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

保守性に関する再考

2013年6月20日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)の本文およびコメント欄で書いたフランス語訳者のアンヌ=マリー・デルカンブル先生に関して、一種の社交辞令ではあるのでしょうが、早速、6月22日に朗報が入りました。

 五十嵐一(監修)『最後の預言者 アッラーの徴 マホメット』(1990年12月)159大学図書館所蔵
 ・後藤明(監修)『ムハンマドの生涯』(2003年9月)226大学図書館所蔵

いずれも、“Mahomet, la parole d’Allah” (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)の邦訳を創元社から出版したものです。
「彼女の本は日本で人気があるみたいです」と書いた部分に興味を引かれたパイピシュ先生、早速「彼女に送ってもいいかい?」と問われたので、即座に「えぇ、どうぞ。大変光栄です。昨晩 You Tubeで彼女のビデオ映像を何本か見たところです」と書いてから、誤解なきよう、「人気がある」の私なりの意味を書き添えました。

1. 絵や写真が多いので、読者は楽しく読めてわかりやすい。
2. 学究用ではなく、イスラームの導入教育用の大抵のリストに含まれている。
3. 多くの図書館が所蔵している。
4. 著者に関する批判を日本で一度も見聞したことがない。それは、パイプス先生の過去の場合と異なっていた。

ただし、「フランス語の原著は、ここの図書館にめったに入っていません。それは、翻訳者と出版社が比較的日本で有名だということを示唆しています」とも述べました。そして、殺害された故五十嵐一先生の監修に代わって、後藤明先生が担当されましたが、NHKラジオで十数年前に講座を聴いた限りでは、確か「これまで日本が学んできた西洋中心の世界史ではなく、ムスリム側から見た世界の歴史も知る必要がある」という主旨だったかと記憶していますので、誤解なきよう、「新たな監修者は、中立か、あるいはやや親イスラーム寄りの学者です」とも添え、次のように書きました。

翻訳の語彙選択が、前者と後者の版では異なっています。例えば、最近のムスリム主張に宥和するために、前者では『マホメット』だったのが後者では『ムハンマド』に変更されています。もし私達が彼女の『フランスのオリエンタリスト』という立場を理解すべきならば、その訳語変更が彼女の本来の意図と合致しているのかどうか、私にはわかりません」。

パイプス先生からは、これまた同じ古典的立場のイスラーム学者としての同志感覚で、

あなたの短信二通を読んで、彼女はもの凄く喜んでいたよ。これからはイスラームではなく、もっとアジア文化(複数形)に目を向けるようにするって

と、何とも素直と言えば素直、単純と言えば単純な反応が送られてきました。

もともとパイプス先生の場合も、出会った直後に「京都の私立大学図書館に先生の博士論文を元にした最初のご著書のインドネシア語版が入っています」とお伝えしたところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、「それは初耳だ。資料を送ってくれるかな?」と言われたことが、急速にお近づきになれたきっかけ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。また、「先生の論文が二本、『中央公論』誌に日本語訳が出ていますよ」とPDFでお送りしたことも相当にうれしかったようです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)。
その延長線上で、この4月で仏語訳をやめることになったデルカンブル先生についても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(ユーリ後注:その後、再び戻って来られました)、これまではウェブ上で自分の訳業の参考にさせていただき、素早く活発な訳文投稿に励まされていた程度でしたが、これを機に調べてみたところ、何と故五十嵐一先生との関係が邦訳版で判明したという思いがけない展開に…。
日仏文化交流は、ムスリム事情に没頭されてきたパイプス先生達が想像される以上に、もっと洗練された長い歴史がありますから、今後はデルカンブル先生も、新たな趣味として日本にも目を向けてくださったら、イスラーム問題で長年緊張した神経も多少はほぐれるでしょうねぇ。ということは、パイプス先生にとっても、書き始めて中断されているという、トルコと日本の革命比較(アタチュルク革命と明治維新)の続章(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130313)が期待できるかもしれませんね。お待ちしていますよ!

ただし、一種の複雑系なる私としては、一応は世俗化したとされていたはずのトルコのNATO加盟はともかく、難航し拒絶されているEU加盟悲願があるかと思えば、予想通り上海倶楽部に入ってしまったりするなど、エルドアン率いる公正発展党の舵取りが混迷化しているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130601)、安易に諸手を挙げて楽観視することもできません。そこで、一応は慎重に「お褒めくださってありがとうございます」とお礼を述べた後、「東は東、西は西、しかして両者は永遠に相まみえることなかるべし」(キップリング)http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111009)を引用してお返事をお送りしました。
昨今では、安易に多文化主義、粘り強い対話、相互理解を唱道している割に、世の中どこもかしこも、混乱ばかり広まっている状況ですから….。
しかし、パイピシュ先生も、誠に僭越ながら実に良い点に着目されたとは思うのです。日本人とユダヤ人の現代比較はベン=アミー・シロニー教授がお得意ですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130508)、実は、パイピシュ先生が「僕の現代ムスリム理解を形成した唯一の本だよ」「博士論文を出版した初めての著書に賛同していただいた時には、わくわくしたよ」と書いて来られた故W.C.スミス教授の“Islam in Modern History”(Princeton University Press, New Jersey, 1957)(拙訳『現代史におけるイスラーム』)には、次のようにあります(p.204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。

‘Japan deliberately adopted Western methods for its own purpose; but never wished to become a member of a Western community―or, if it did, was shamefully insulted and rejected by that community, largely on the grounds of colour.

The Jew, apart from being a nation only in an unusual sense, and despite their immense contribution to that civilization, have been accepted as members of Western civilization in a sense the contemplation of which gives one pause, and a Westerner shame.’

かいつまみますと、「日本人は自己目的で西洋手法を採用したが、決して西洋共同体の一員になることを望まなかった。あるいは、もし望んだとしても、西洋共同体から恥ずかしくも中傷され、拒絶された。もっぱら肌の色のためである」のに対して、「ユダヤ人は、尋常ならざる意味でのみ一民族であることを除けば、ユダヤ文明に莫大なる貢献をしたにも関わらず、西洋文明の一員として受容されてきた」ということでしょうか。
実は、上記に書いた「東は東、西は西」とキップリングを引用したのも、元はと言えば、この書のこの箇所が気になっていたからでもあります。

故W.C.スミス教授のお名前は、1911年から2003年までのハートフォード神学校発行のジャーナル『モスレム世界/ムスリム世界』をずっと続けざまに通して読んでいた2005年から2006年頃に存じ上げていました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080910)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101022)。事実、本書にもハートフォード神学校の引用があります。換言すれば、パイピシュ先生のキャンパス・ウォッチ立ち上げは2002 年からということになっていますが、実のところ、その案の種子は、既に博士課程の大学院生だった1979年のイラン革命前に蒔かれていたということがうかがえるわけです。今から振り返っても、あの頃、京大や民博や同志社の図書館に暇を見ては通い詰めて、目を蟹の横ばいのように走らせ、付箋を貼り付けては、時間との闘いで複写に走りながら、ジャーナルに没頭していた時期の恩恵は、決して無駄にはなっていないということがわかります。
実はこの本には、パイピシュ先生のお父様のお名前と論文名も掲載されています(p.293)。それもお伝えすると、「それは初耳だ。一分でも時間がある時、ちょっと見てみるよ」と。私が長らく想像しているには、お若い頃からずっと、お父様の書斎にあった本を読まれて感化されたのがダニエル先生だということなのですが….。実は知っていても、謙虚におっしゃっているだけだと解しています。

ところで数日前にも、保守性について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)ちょっとおもしろいことが発生しました。一人の友人の言葉です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)。
あれから数ヶ月後、パイプス・ウェブサイトに目を通してくれたらしく、訳業は「意義深いこと」で、「意表を突かれるところがいろいろありました」との由。続いて、パイプス氏のことを「戦争大好きブッシュ路線のネオコン」だと鼻から毛嫌いされるのではないか、と思っていた私に対して、確かに自分が「中道左派」であることに一応の是認をした上で、中道左派アイデンティティを置いているというよりは、その方が「現状ではバランス上よい」と考えているとのお返事。ここが、私にとっては、またもやパイピシュ先生との格好の議論のネタになったわけです。
ここから先は、たまたまその友人のメールがきっかけで、これまで自分の了解してきた範囲内で、私が勝手に展開させた議論です。

1. 大半の日本人は、アメリカやアメリカ人について充分に知っていると思っているかもしれないが、実は知らない。


2. イスラエルパレスチナ紛争に関して、何がうまくいかなかったのか理解していると主張する日本人もいるかもしれないが、残念なことに彼らはそうではなさそうだ。


3. ある人々は、知的サークルに所属することで自らを「リベラル」だと誇りに思っているかもしれないが、それぞれの文脈で「保守性」が何を意味するのか理解し損ねているかもしれない。


第三の点に関して付け加えるべきでしょうが、私も最初、先生の政治的保守性を知って驚きました。先生のように、ハーヴァードで教育を受けて高度に知的な方が、現代アメリカで、どのように本当に保守的な見解を保持することができたのか不思議でした。


私の世代では、現状の世界から「解放」され「自由」であるために、因習的なもの全てを疑い批判するよう、幾ばくか学校で教わりました。それは主にマルクス主義社会主義の影響のためでした。最初から私は、理論においてマルクス主義は誤っていて、実践において破壊的であると知っていましたが、同時に、なぜ社会主義と同様にマルクス主義に引かれる人々がいるのか考察する必要があると考えました。先生の著述は、もう一度その主題を再考するための一種のヒントを与えています。


しかしながら私は、中東研究や世界的なイスラーム主義に関して、アカデミアに対して多くの側面を打開し挑戦されたという意味で、先生は思考においてラディカルかつ進歩的、態度において勇敢かつ革新的でいらっしゃったと感じています。つまるところ、常に時代の先をいらしたということです」。

そのお返事として、「あなたの書くことは全部、とても興味深いねぇ」とされた後、言葉足らずを誤解されたのか、次のように書かれました。

あなたが教育と保守的見解の間で矛盾を見るだろうとは考えもしなかったね。だけど、察するに、それは洗練された(世間ズレした)サークルでは、かなり標準的なんだろうね。今、その関連性を理解してくれてうれしいよ」。


(あ、これは誤解されている)と思った私は、早速、次のように書き送りました。

1.(その友人は)ブッシュ政権に対して批判的で、特に2003年のイラク戦争に対して反対でした。ドイツと日本の血を引く人として、中東のムスリムの間でアラビア語版の『我が闘争』が広く出回っていることを、彼は知りませんでした。(私自身は、2006年11月のクアラルンプールでのコンラート・アデナウア財団主催の宗教間対話で、その事実を知った。)平和主義のクリスチャンとして、彼はむしろパレスチナ人に同情的な方で、イスラエルパレスチナ問題に関する平和活動に支持的でした。それこそがまさに、彼が先生の著述をこの数ヶ月間読んだこと、「意表を突く」点が幾つかあったとまで書いてくれたことが、なぜ私にはうれしくて、先生にお伝えしたかの理由です。


2.彼は大学人として社会政治的に中道左派だと認めたものの、初めて告白したのは、必ずしも自分を中道左派だと同一化していないということです。もし社会の多くが中道左派になるならば、自分は保守に肩入れするかもしれないとのことです。 ある種のオピニオン・リーダーとして「社会の中でバランスを取る」ためです。


3.この態度は、ここ日本では尋常ならざることではありません。研究者や学者は、多くの人々の考えを刺激するために大衆や多数派とは異なっているべきだとしばしば言われます。知識人たるものの役割は、弱者、抑圧された人、周辺化された人々に同情的であるべきで、それを大衆に知らせることだとさえ言う人々もいます。


4.アカデミアのこの左派的傾向に、私個人は同意していません。このような態度は偽善的で不自然で、混乱の元だと考えています。その代わりに、私が真に思い、期待することは、研究者や学者は、どの分野でも人々や社会や世界の進歩と発展のために、本当に追求したいものに焦点を当てる必要があるということです。


5.誤解なさらないでいただければと願います。私がお伝えしたかったことは、この急速に変化しつつあるアメリカで、一貫して保守的な立場でいらしたことを知って私は安堵を覚えたということです。それは、私にとって驚くほど新鮮な経験でした。安堵感、信頼感、安定感を与えてくださいました。先生のお仕事全体とご経歴を理解する上で、私にとって非常に重要でした。私は、先生の高い知性と共にある真摯さと率直さが好きです。それは本当に恐るべきことなのです」。


この内容は、2012年1月半ばからずっと綴ってきた拙ブログ「ユーリの部屋」の要約文ですから、継続して読んでくださっている方達にとっては、そのまま頷けるところだろうと思います。
繰り返すようですが、訳者とは原著者の盲従ではなく、単なる賛美者ではないものの、厳然と横たわる文化背景の相違を直視した上でなお、これまでの人生経験から滲み出る相互通底する共通項や魅了される点が存在しなければ、本来、いくら著者からの(例外的)依頼があったとしても引き受けるべきではなかろうというのが私の基本的な考えです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130106)。(特に、訳して出版までしておきながら、「自分はこの著者に賛成ではない」と書いている不思議な本を何冊か見かけたことがありますが、それほど読者を小馬鹿にした態度はないと思います。)私が、パイプス先生にお知らせした上で、差し支えのないと判断した範囲内でメール交信をブログでご紹介しているのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130211)、まさに国や民族や世代や文化が異なる者同士では、理解というものには相当の時間がかかり、相互の努力が必要であることを示し、望むらくは興味を持ってくださる方々への一助となればと願っていることが理由です。

そのお返事。

「(社会のバランスを取るために中道左派に属しているが、多数派が逆転したら保守に肩入れするかもしれないという友人の言に関して)この態度は、米国出身の僕にとっては馴染みのあるものだよ。大学人達が、社会に批判的であろうとして自己指名した権限を持っているところだ」。
「(誤解しないでいただければ、に関して)同意した」。

「大学人達が、自己指名した権限を持っている」に笑わされた私は、引き続いて書きました。

その言葉には笑わされました。本当ですよね、私達をわざわざ教えて教育するために批判的であれとは、誰も頼んでもいないのに。この点で、私達はムスリム世界や左派の大学人達から、同じ罠に陥らないよう学べますね」。


再び、故 W.C.スミス教授が、上記著書(1957:87)で『高潔さの欠如は常に崩壊へと導く。そして、社会におけるいかなる知的誠実さの失敗も、破滅的な知性崩壊の脅威を起こさせる』と書かれた時、全く正しかったのです。道理で教授が先生の第一作目の著書に賛同されたわけですね」。

例えば、上記の友人の場合、根底のところでは保守的な立場だろうと、私はうすうす感じていました。ご家族の背景からも、書かれた文章の中にも、そのような傾向が認められるからです。本来はそこに自己同化しているわけではないと認めつつ、誰も頼んでいるわけではないのに「バランスを取る」と称して、あえて「少数派」たる「中道左派」に身を置いて発信を実践しているのです。その友人だけではありません。特に文系の、私の周辺では珍しくも何ともない態度です。
これは、取りようによっては、ある面で失礼な態度だと思います。自分が保守なら保守を貫けばいい、社会の多数派に自分も同意するなら、確固たる根拠を基に、それを堂々と公言すればいい。何も、社会が一方に傾くかもしれないことを勝手に予測して、アイデンティティを置いているわけではない別の立場をわざわざとって、高見から発信する偽善行為をする必然性はどこにもないのです。その態度の根本問題は、要するに(自分以外の)一般大衆には、物事の本質が見抜けないだろうから教えてやらなければ、という誠に失礼な臆測を前提としていることです。アンデルセン童話の「裸の王様」を地で行くような話です。
そして真の問題は、そういう人々の層がもたらす他者の人生への無言の抑圧および排除という破壊的影響に、果たして当該者達にどの程度の知覚があるかということです。
それは、個人の資質や理解の行き違いといったレベルに留まるのみならず、そのような人々の態度そのものが、スミス教授がいみじくも喝破されたように、「常に崩壊」へと導き、「破滅的な知性崩壊の脅威」をもたらす危険性があるからです。その場合、誰が一体、その責任を取るのでしょうか?
2007年3月に、たまたま見つけたダニエル・パイプス氏のエルサレム論文を一本読んだだけで、一気に魅了されてしまったのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130516)、まさに長年のもやもやを解消してくれるかのような見事に鮮やかな分析手法のみならず、あまりにも正直で真っ直ぐな彼の生き様そのものに裏付けられていたからです。これほど高い知性に恵まれていながら、知性派を気取ることさえせず、むしろ侮蔑し、損得を顧みずに「私は若い時からの保守だ」「父も私と似たような見解だ」と、堂々とインタビューでもおっしゃっていました。
もちろん、したたかな戦略家ではありますから、文字通りの世間知らずのうぶな純朴さでは立ち向かえない専門家です。しかし、戦略家ということと、シオニスト人生を真っ直ぐに生きていることとは、決して矛盾しません。それは、『孫子』を読めばよくわかるところです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130608)。パイプス先生は、人からは明敏だとか分析力に優れていると評価されてはいるものの、常に自分にできることとできないことを峻別し、知らないことは知らない、できないことはできないと、はっきり表明し、人にも「自分ができそうもないことには軽々しく手を出すな」と叱責されています。

パイプス先生のお父様譲りの飾りっ気なき、ぶっきらぼうな率直さという特徴は、次のようなところにも現れています。例えば、最近たまたま知ったのですが、パイプス公式サイト上の読者欄で、ある中東系ムスリマであろうと思われる人が、こんなことを書いていました。「パイプスさん、私はユダヤ教シオニズムも嫌いだけど、同胞民族を深く思うあなたの気持ちと行動には、心から高く評価し、賛辞を贈ります」。そのような正直でストレートな発言には、パイピシュ先生も心を動かされるようで、珍しく長く素直な返信を書いていらっしゃいました。
つまるところ、中道左派の嫌なところは、一見、耳障りのいいことや聞こえのいいことを穏やかに知性のオブラートで包みながら唱道しているようでいて、実は相手のことを真には何も考えていないし、後先の影響を真剣に考えていると言うよりはむしろ安請負している上、「押しつけはいけない」と言いつつ、その実、自分自身がただ押しつけているだけだという全くの言動矛盾です。バリバリの左翼ならば、また話は別になりますが、安楽椅子に肘を掛けて高尚そうな抽象論をもっともらしく語っておきながら、よく見ると、まるで現実離れした実践不可能なことを寝ぼけたように唱えていることが多いように見受けられます。
欧州と米国の一部で発生している「右傾化」と呼ばれる現象は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121126)、実はこのような背景と文脈の中で考察されるべき課題だと私は考えています。基本的に、人は誰でも自分の属する共同体や民族や国にアイデンティティと責任を持つべきで、あえて大衆多数派を「教導しよう」などと無理に操作しなくても、本音とは異なる立場に意図的に身を置いて発信しなくとも、一般の人々はそれほど節穴でも愚鈍でもないし、伝統を尊重し、経験と知覚に基づいて真っ直ぐ生きていれば、民主主義社会である限り、自然と正すべき点はいずれは正され、多様性と殊更言い立てなくても、自由な発想はおのずと生まれてくるものだと信じています。むしろ、そのような社会の維持に努めたいものです。

Lily2 ‏@ituna4011 24 June 2013
『エセー 1』モンテーニュ岩波文庫 赤 509-1)(http://www.amazon.co.jp/dp/4003250915/ref=cm_sw_r_tw_dp_ugeYrb079SVPN …)が届きました。リチャード・パイプス名誉教授がお勧めの書としてインタビューで言及されていました。