ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

長崎旅行から帰って

久しぶりにツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)からの転載です。

21 Jul Lily2‏@ituna4011
"Semites and Anti-Semites: An Inquiry into Conflict and Prejudice" by Bernard Lewis (http://www.amazon.com/dp/0393318397/ref=cm_sw_r_tw_dp_0Ezcqb0GAM0FW … via @amazon) arrived here.


21 Jul Lily2‏@ituna4011
"Islam in Modern History" by Wilfred Cantwell Smith (http://www.amazon.com/dp/0691019916/ref=cm_sw_r_tw_dp_8Fzcqb0T2XJ9T … via @amazon) arrived here the day before yesterday.


21 Jul Lily2‏@ituna4011
河合一充(編著)『ユダヤ人イエスの福音:ヘブライ的背景から読む』ミルトス(2012年7月20日)が届いた。イスラエルのカレンダーと共に注文したもの。私自身、幼稚園の頃から聖書物語を聞かされて思ったのは、何だかわざわざわかりにくくしているような解釈だな、ということ。幼児の直感か。


25 Jul Lily2‏@ituna4011
"Just Who are You?" (http://shar.es/tSKAp via @sharethis) Thank you again, Dr. Hunt, for this insight into inter-religious dialogues.


27 Jul Lily2‏@ituna4011
"Farewell to Jerusalem"(http://shar.es/v1OzH via @sharethis) Interesting to read this essay by Dr. Robert Hunt again.


37m Lily2‏@ituna4011
"Rethinking the Middle East (Israeli History, Politics and Society) " by Efraim Karsh (http://www.amazon.com/dp/0714683469/ref=cm_sw_r_tw_dp_Loqfqb1T5HRSZ … via @amazon) arrived here today.

ここ10日ほど、お休みしていました。
7月21日から23日まで、二泊三日で長崎へ。初めての長崎旅行。これで、昨年3月の沖縄(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110308)、今年5月の広島(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120504)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、そして今回の長崎と、自発的平和学習の旅を集中的にしたことになります。
5月初旬、ダニエル・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120713)にメールでおもしろがられたのは、小学校時代から、平和学習と反戦教育として、広島・長崎への原爆投下および名古屋空襲などの話をたくさん読んできたものの、私自身、広島に行ったのはこれが初めてだったということです。そして、原爆被害者にはずっと共感を覚えてきたものの、マレーシアをはじめとする東南アジア地域で、日本軍が行なってきたことを身をもって知っている者として、被害者意識だけを振りかざす気には到底なれなかったこと、加害者でもある日本という両面を常に意識せざるを得ないことです。そして同時に、学術文化面や一人一人のアメリカ人は別として、政治的に、日米関係の複雑さ、難しさも長らく痛感し続けているということです。
京都もそうですが、国際的に名が通っている地域ほど、案外に国内の日本人は別の感覚や印象を持っていることが多く、それは、広島と長崎も同様でした。
今回出かけた所は、原爆投下中心地・平和公園平和祈念像長崎原爆資料館浦上天主堂カトリックセンター・日本二十六聖人殉教地・眼鏡橋シーボルト記念館・出島資料館・長崎新地中華街オランダ坂孔子廟グラバー園大浦天主堂です。市電とバスを使い、日焼けで首から胸にかけては真っ赤になってしまうほど、歩き回りました。
長崎では、原爆を投下された場所が、実は主人の勤務先の会社が10ほど密集していた地域だったことが、地図から判明。そして、今では公園になっているものの、広島よりは規模が小さいこと、当時はともかく、現在から思えば、よくこんなところに原爆を投下できたものだ、と驚き以外の何物もない、ということです。
そして、広島と長崎とでは、もともとの土地柄の相違が大きく、長崎の方が、原爆投下だけではない、どこか活気のある賑やかさのようなものを、感じさせられました。
恐らくは、オランダや中国との制限された交流を可能にした出島の存在、長年のキリシタン弾圧および「信徒発見」というヴァチカンのお墨付きご由緒、ポーランド出身のコルベ神父の活動(1930年4月から32年5月および1936年までの数年)とアウシュビッツでの身代わり死など、東西文化の接点の出先機関のような役割を果たし、それが世界的に通用する物語として伝えられてきたことが、長崎を長崎たらしめているのだろうと思います。
それだからこそ、なぜ長崎が原爆投下地に選ばれたのかが、実に皮肉といえば皮肉です。広島の場合は、呉に軍港があったためだと言われていますが、京都が候補地から外されたのはともかく、もしかしたら名古屋であった可能性もあり、何とも曰く言いがたい、運命の皮肉のようなものを感じさせられます。
実は、5月に広島へ行った時には、その直前に松山を訪れたので、原爆問題にしても、印象はかなり異なっていました。元国文学科出身の私の好みでは、松山では、子規記念館と種田山頭火の家が面白く思われました。夏目漱石の住んでいた場所でもあり、文学的に意義深く、市電にまで俳句ポストがあるほど、町中で俳句が奨励されている土地柄ということもあり、市全体が明るく生き生きとして、人々が細やかな親切さを示して丁重だという印象でした。それに比べると、広島は、真っ先に来るのが平和宣言都市ということもあってか、今でもどこか暗い影を引きずっているようなところがあり、同じ日本でも何とも重苦しい難しさを感じさせられた次第。電車の中の人々の様子も、松山とはかなり違いました。
では、長崎はどうか。思っていたよりも案外に小さな都市だということと、カトリックの表出が強い地域だということが、印象に残りました。地元の人々の暮らしの上では、恐らくは、観光向けの顔と日常とが違う面も大きいのではないだろうか、と根拠なく思いました。もともと、世界に名が広まっていた開明的な土地だったのに、原爆投下されてしまったことによって、何ともニュアンスの濃い、複雑な意味合いを持つようになった長崎...。
日焼けが今では浅黒く残ってしまったことも疲れの一部なのでしょうが、帰宅してから一週間ほどは、パイプス先生の米国政策と中東問題やイスラエル関連の膨大な仕事を理解し吸収するのに費やした、これまでの約半年(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)のさまざまな疲れがどっと出たようで、ただひたすら、上記のツィッターに列挙した本を読み続けたり、日本国内での原爆投下地二ヶ所のことをとりとめもなく考えたりしているうちに、何だか朦朧とした気分に。とてもとてもブログどころではありませんでした。
だって、イランの核施設を爆破せよ、なんておどろおどろしい文章を2年前に書いていたパイプス先生(2010年2月2日)。もちろん、ユダヤ系やイスラエルの人々が皆、それに賛同しているわけではありません。反響も大きく、その1年後の2011年2月4日には、フィラデルフィアのスタジオに招かれ、4分ほどの短い対談ですが、その真意を問われた時には、夢中になって持論を展開されていました。結局のところ、アメリカの権益を守ること、中東地域、特にイスラエルの存続を守ること、それを考えると、そうせざるを得ないという主張だったように受けとめました。
ただし、文章をよく読めば、それでもかなり慎重な、制約付きの発言だということは、わかります。イランの核開発は、今に始まった問題ではなく、交渉と対話が単なる時間の引き延ばしに過ぎず、何ら実りがないならば、それしかない、という路線のようです。
何とも重苦しい、この矛盾と葛藤が、中東情勢の特徴だと思います。従って、私も、今回の旅の直前、何とか自分なりに折り合いをつけようと、出発前なのに徹夜までして、提出した訳文を整理し、ウェブ管理をしているレヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120604)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120630)にも他言語の翻訳者達がどのようにしているのか質問したりして、今後、どう進めていくか、考えていました。日本文脈では、広島と長崎の問題、および沖縄問題という重苦しい課題がつきまといます。単に平和を訴え、核廃絶を唱えるだけでは済まされず、加害者たる日本の過去および、現在の世界情勢の内実の一部を知ってしまった以上、どのように考えればよいのか、ということです。
恐らくは、それが旅の疲れの原因だったと思われます。

もう一つは、このパイプス邦訳の位置づけと今後の意義についてです。まだ半年で、60本ぐらいしか出していないのに、私が考えても仕方のないことかもしれませんが、思いがけない出会いに驚きつつも、自分なりにかなりの時間やエネルギーや他事そっちのけで取り組もうとしているだけに、旅に出て気分転換すると同時に、ちょっと考えさせられてしまったのです。
主人に言わせれば、「すべては自分の判断で決めなさい」とのこと。「いろいろ考えたり調べたりしたって仕方ないよ。もし向こうが、もういいって断ってきたら、それもいいじゃないか。本来の自分の課題に戻れるんだし。それに、いくら完璧をめざして頑張ってみたところで、向こうは忙しいから、日本語訳なんて、ほんの一部としか考えていないよ。多分、自分の書いたものが幾つかの言語に訳されているって自己紹介しているから、ついでに日本語も加えよう、ぐらいの気持ちじゃないか。あまりしゃかりきになることないよ」。
それを聞くと、かえって気が抜けてしまうと言うのか、脱力してしまいそうです。もちろん、主人は私を落胆させようとして言っているのではないとはわかっているのですが。
いつも繰り返し思うのは、仮に私が中東の専門家だったら、恐らくは、ちょっと引き受けられないだろうということ。日本政府の中東政策、特にイスラエルパレスチナ問題については、相当に見解や方策が異なっているからです。ただ、私の長年抱えてきた中心テーマが、マレーシアのキリスト教イスラームの接点で発生している諸問題なので、通じるところや響き合う点があるという共通基盤に加えて、ダニエル・パイプス氏のユダヤ系米国人としての立場から、新たに学ぶ面が大きくて刺激的なので、お受けしたということです。
ともかく、個人的に専門家と知り合い、その膨大かつ活発な言論活動を直接学ぶことで、私の中で一つの軸ができつつあることは事実です。雑誌や新聞やテレビ報道などを通して、自分の置かれた立場だけで茫洋と判断するのではなく、ある立場を具体的に知れば、他の考え方を反芻する場合の有力な手立てになります。
ただ、出会うタイミングは、今だからこそ、という面もあれば、もう少し何年か早ければ、と残念に思う点もあり、こればかりは何とも仕方のないことです。
それに、昨晩、パイプス先生のウェブサイト上で知ったこととして、2008年3月頃に何らかの手術をされたようで、毎週続けていた『エルサレム・ポスト』のコラムを数週間中断するというお知らせがありました。一読者との短いやり取りでは、「手術から戻って来られてよかった」と回答があり、その後は「隔週コラムにする」との由。とはいえ、コラムを休んでいる間も、ブログは盛んに更新されていて、その旺盛な情報収集力と文筆力には、ただひたすら圧倒されるばかり。しかも、すぐにオタワでの講演やラジオやテレビ出演や大学講演などを続けていらっしゃるのです。
シンクタンクは、アメリカにはたくさんあるため、一度立ち上げたら、資金集めのためにも、常に活動し続けなければならないという宿命なのかもしれませんが、それにしても、私などは、圧倒されっぱなし...。想像しただけでも、何だかこちらが疲れてしまいそうです。
また、2003年の10月から11月頃にかけては、香港で有名な『アジア・タイムズ』にも毎週コラムを掲載されていたことも知りました。フィラデルフィアからの広報として、「アジアにも進出」みたいな宣伝ニュースがありましたが、実のところ、あまりうまくいかなかったようです。
というのは、アメリカの別の新聞にも、同時期に、タイトルだけ違えて、内容はそっくり同じというコラムを掲載されていましたし、それ以上に、この『アジア・タイムズ』そのものが、当時も近年でも、パイプス氏を名指しで批判する記事をかなりたくさん掲載していたからです。例えば、「軍事的解決」「シニカルなイデオローグ」「リク―ド党のシンクタンク」「戦争好きなユダヤ系」「ネオコン」「最も悪名高い」「タカ派の親イスラエル」などと書かれていますが、残念ながら、驚いたことに、誤った部分引用が誇大化されていたり、今では該当しない(ご本人が否定されている)内容がほとんどです。また、ウェブサイト上の文章をよく読めば、それほど単純なことは書かれていないはずなのに、なぜか悪く批判ばかりされていたのです。
もちろん、私は盲目的に賞賛するつもりは最初から毛頭なく、異なった立場からの論評にも、できる限り目を通すようにはしてきましたので、今回も、批判は批判として、参考までにかなりの本数を読みました。
結局のところ、パイプス氏のような見解や立場は、あまりアジア向きではないということなのでしょうか。ムスリムが多数派であれ少数派であれ、広い地域に存在しているアジアであってみれば、例えば、いくらマハティール氏が反セム的言説を公言したとコラムで訴えてみたところで(“Another Holocaust?" 28 October 2003 in Asia Times)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120524)、別の側面では、日本も含めて、マハティール氏の政策から恩恵を受けている人々も一定数いたことは事実なわけで、だからといって、流れを変えるところまでは、当時はいかなかったのではないだろうか、と想像します。つまり、パイプス氏の言説は、ユダヤアメリカ人としての受け皿、つまり受容層が一定数あってこその存在価値なのだろうとも考えさせられたのです。
すっかり長くなってしまいましたが、最後に一言、ちょうど10日前のご報告を。
訳文を提出し始めてから、日本語サイトでどのような分布があるかを、自分なりにリスト化し、時々はパイプス先生にお送りしています。いつも、目を通してくださり、大変に親切なコメントがついて返ってきます。この頃では、数年前までの悪意的な日本語ブログ(大抵が英語ブログか英語ニュース記事などからの受け売りで、あまりオリジナリティは見られません。ダニエル・パイプス先生に関して日本語で書き綴った文章としては、今までのところ、私が独自性の点では唯一かと思われます)の上位ランクが圧倒的に少なくなってきました。そして、半数以上の訳文が上位ページに出てきますが、3月下旬に提出したものも、今でもその中に含まれているのは興味深い現象です。
7月19日にパイプス先生宛に提出した、私の分析コメントの要約です。

・日本語ブログでは、もし本当に話題に関心を持つようになったら、私の日本語訳のみに全面依存せず、先生の英語での著作を読むように勧めています。私は常に、自分の翻訳は一種の入り口であって、そこから、先生の思考論理、周囲の環境、全世界観へと導かれるものだと考えています。

・また、日本語ブログでは、英語であれ日本語であれ、先生のビデオ映像や論説文の一部のみを見たり読んだりして、すぐに感情的な反応に走らないよう、穏やかに促しています。よくご存じのように、日本政府のイランやイスラエルパレスチナ問題に対する政策は、先生ご自身の見解や米国政策一般とはかなり異なっています。それに、ここのメディア傾向は、イスラエルにではなく、もっぱらアラブ諸国に焦点を当ててきました。それゆえ、読者には、この話者および執筆者(つまりダニエル・パイプス博士)が、このような特別な話題で、なぜ、そのように意見表明したり判断したりしているのかについて充分考察するように、最大の努力をしております。

・日本には、実際のところ、米国とイスラエルの強い政治的つながりを批判する実質上の出版物があります。主に、親アラブまたはいわゆる「中立的な」見解によるものです。長い間、私は時折、そのような出版物の幾つかを読んできましたが、ほとんどの場合、同意することができませんでした。なぜならば、シオニズムの意味やアラブ状況の現実を理解していないように私には感じられたからです。それに、あの地域における和平をなすためには、パワー・バランスが重要であると考えているのかもしれないという印象を持ってきました。

・ある意味で、私は日本において例外的な事例の一人なのかもしれません。例えば、マレーシアで働いていた時、イラククウェートを侵攻しました。当時、私のマレー人学生達の何人かが、突然、態度を変えたことを今でも生き生きと覚えています。それが、イスラミストに影響された、18から19歳という若いムスリム達に私が出会った最初であり、初めてその存在を認識した時でした。私の前では、身ぎれいで勤勉で賢い学生達でしたし、その時、私はその意味するところがよくわかっていなかったのですが。

・いずれにしましても、半年以上、先生と接触があるからといって、また、私の訳業という理由だけのために、これまで全く誰からも何ら否定的な応答を受けてはおりません。


パイプス先生からは、次のようなお返事がありました。

とても興味深い分析をありがとう。日本語で僕の考えを伝えるようにしてくれているだけではなく、翻訳が読者達にどのように思われているかを示してくれて、感謝しているよ。否定的な反応がこれまでにないと知るのは何てよいことなんだろう。もっとも、論争や注目を引く方法ではあるけどね。」