ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国際聖書フォーラムに出席して

今日は七夕の日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070707)。我が町には、駅前などに笹の葉に括り付けた願い事がたなびいています。一種の風情を感じさせますね。
昨晩11時過ぎに、東京から帰って来ました。一泊二日で、ホテル・ニューオータニで開かれた第三回目の国際聖書フォーラムに出席したのです。
振り返ってみれば、初回およびその翌年のフォーラムから考えると、時の流れと環境の変化を感じます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070701)。あの頃、講師を務められた先生のお一人は既に逝去されました。また、親しく声をかけてくださったスタッフには退職された方もいたり...。私にとっては、神戸バイブルハウス関係の3名以外、今回はあまり知り合いがいなかったのが残念。
シンガポール聖書協会前総主事のリム先生も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120320)、カンボジア聖書協会の方と同席されていましたが、二日目には帰られたようで、ご挨拶できずに、これまた残念。レセプションの時、何とかお話できればよかったのですが、このところ、連日の翻訳提出作業で疲れていたので、遠慮したのが間違いでした。
二日間でのべ2000人の参加があったとの由。でも、関西系の神学生達や神学部の先生方は、平日だったためかお目にかかれなかったように思います。その代わり、東京の某神学生だという若い人達が少し出席していて、質問内容や服装や話し方などから、かなりがっかりさせられたこともまた事実。(噂は単なる噂ではなかったんだな)と思ってしまいました。昨年の今頃、ある深刻な問題について、いろいろと調べごとをしながら過ごしていた間に、「一般社会では通用しないような方法で、教会が神学生を神学生だというだけで甘やかしてきた」と、ある書で批判を読みましたが、それはまんざら的外れでもなさそうだ、と、残念ながら確認した次第(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110818)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110825)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110903)。

今回は、聖書学の学究的なお話が中心でした。どこまで理解できたか、本当の吸収には時間がかかるとは思いますが、出席できてよかったと思います。
ドイツからは、ヴェルナー・H・シュミット教授とペトラ・フォン・ゲミュンデン教授のお二人、英国からはレスター・L・グレイビー教授が、二日間、二度ずつ講義されました。一時間ほどドイツ語を聴きながら、スクリーン上の日本語訳を読み取る作業は、逐語同時通訳よりも遙かに楽で、私は好きです。それに、通訳された日本側の先生方は、元教え子という関係だそうで、久しぶりの再会を楽しんでいらっしゃる様子も、拝見していて興味深く思いました。
というのは、留学生には親切に配慮してくださるシュミット教授ではあっても、学問は非常に厳しく、きちんと論拠を出さなければ「烈火のごとく(助手を)叱り飛ばした」というご紹介には、(ドイツの聖書学の教授たるもの、かくあるべし)と、懐かしい気がしたからです。
シュミット教授は、レセプションでは英語でご挨拶され、「あんたは通訳せんでもよろしい」と、かつての日本人弟子(ルーテル神学校教授)を退けられたところが、いかにも昔風のドイツの正統派教授といった風格で、この辺りも、何だかとても懐かしく思います。
それに、小柄なペトラ先生が、時折、片言の日本語を交えて、全身込めて熱心にお話しくださった様子にも、感銘を受けました。3.11のために、日本を覚えてドイツの教会でもお祈りを捧げたとおっしゃり、「保守的なメルケルでさえ、ドイツの反原発に賛意を示した」と、レセプションで(予め用意した原稿を見ながら)述べられました。被災者のことを意識されてか、ご講義内容は、ロマ書のパウロおよびヨハネ福音書から「死」「恐れ」をテーマとしたものでした。
ヨハネ福音書といえば、かつては反ユダヤ主義文書としての見方が優勢でしたが、ペトラ先生ははっきりと、「反ユダヤ主義的発言は、今日の私達は、はっきりと拒絶されなければなりません」と明快でした。この一言で、ドイツ精神の真髄に触れた思いがしました。

去年の4月から7月上旬まで、関西の某私立大学神学部で、ある講義を聴講していた時には、「ドイツでは、墓石の上で裸の若いお嬢さんが昼寝していた」「ドイツのキリスト教会はガラガラだった」「教会でムスリムも一緒に礼拝している」「ドイツの聖餐式は、洗礼を受けていない人もどうぞ、と招いている」「どうして聖餐式では日本酒やマッコーリを使わないのかな」など、力が抜けるような話ばかり聞いていて、すっかりうんざり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110603)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110604)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110614)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110711)。私などから見れば、仮に現代ドイツがそういう状態だとしても、だからこそ、ドイツ本来のキリスト教を守ろうとしている小さな群れを探し求めて、そこに注目すべきではないか、と。
その延長にある類似の話として、つい最近、同志社大学アフガニスタンから元タリバン(?)関係者を招いて、礼拝堂で会合を開いたというニュースが快挙のように新聞報道され、(自分がこういう境遇に至ったのも、むべなるかな)とすっかり落胆。タリバンと関わっていた人々を日本の大学に呼ぶのがいけないと言っているのではなく、会合を開く場所が問題なのです。礼拝堂とは、キリスト教を信じる人々、あるいはキリスト教を求めている人々が集って、讃美歌を歌い、聖書のことばを聞く場だと思っていた私にとっては、主催者側にタリバンの本質がわかっているのかどうか、気になって仕方がありません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100216)。
ところが、今回、ペトラ先生やシュミット教授のような、一見、地味だけれども、きちんとした聖書学の先生もご健在であることがわかり、一安心。ドイツたるもの、かくあるべし、と勇気づけられた思いがしました。
日本側の講師のお一人であった大貫隆先生については、あまりよくわからないところもありますが、一点だけ共感したのは、「日本ではキリスト教の土着化ということが言われますが、私は、まだ西洋から学ぶことはたくさんあると思います」とおっしゃったことです。
もう一人の海外講師は、テキサス出身の古代イスラエル史やユダヤ教がご専門の方で、長年、英国のハル大学で教えていらした方でした。派生的に、「テキサス=ブッシュ=イラク戦争ネオコン宗教右派」みたいな単純な図式が、いかに誤った固定観念に執着した単純な見方かを裏付けるものでもあるかと思いました。この図式も、数年前の同志社では優勢を誇っていたことを、複雑な気分で思い出します。
ここで「ブッシュとネオコン」から思い出したことで、またもや、ダニエル・パイプス先生のお話で恐縮ですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120702)、最後に綴って今日の締めとします。それは、アメリカ独立記念日だった7月4日に交換したメールです。
4月半ばから5月にかけて下訳を試み、やっとこの頃、パイプス先生の文体特徴や語法や話題提供の傾向に慣れてきたために、一応のチェックを済ませて提出できるようになった一連の翻訳について、日本語グーグル分析のデータを客観的に示した上で、私は次のように書きました。

自分のブログで、中東や一神教の専門家ではない人々に向けて、先生の論説文やご著書やビデオ映像などに基づいた、私自身の解釈や理解を書いています。」


地理的、文化的な距離から、そして一般のメディア傾向から、日本人読者の大半は、先生の本来の意図に反して、ある特定の話題に興味を持っているように思います。例えば、(ずっと前に掲載した)『批判にさらされて』(http://www.danielpipes.org/10989/)という文章が、これまでの38本の邦訳文の中で、なぜ今でも(グーグル検索の)トップに出てくるのでしょうか。私が臆測するには、今でさえ、ほとんどの日本人読者は、先生のことを、2003年にイラク戦争へと導いたブッシュ政権に仕えた強力な‘ネオコン’官僚の一人として覚えているのではないかと思うのです。それに、先生の著書を読まずに、英語でのある批判を支持して、先生について否定的に日本語で書いた何人かのブロッガー達に影響されていたのかもしれません。」


私は、先生に関する、そのような単純で一方的な固定観念のイメージを是正するために、もっと多様な広い話題についての日本語訳を提出することで、全力を尽くしていますし、これからも尽くしたいと思います。」

ダニエル・パイプス先生からは、次のような、簡潔ながらも心のこもったお返事を頂戴いたしました。(注:パイプス先生は、私を親しく名前で呼ぶこともあれば、改まって名字に‘Ms’をつけて書いてくることもありますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120306)、普段は、省略形で宛名なしのメールです。私の方は、一貫してフォーマル形式で通しています。今回は、本当に久しぶりかで、名字に‘Ms’がついてのお返事でした。正式に翻訳を依頼された3月初旬の時と、フォーリン・アフェアーズ日本支部との取り次ぎ以来です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)。従ってここでは、「僕」ではなく「私」と訳させていただきます。)

あなたが、私の見解や著作について、日本における理解を改善するために働いていることは、私にとって大変に満足のいくものです。わかっていますが、これはたやすいことではありません。ひとたび誤った印象が作られたら、それを修正するには多大な努力を要しますから。」