ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

複雑な人生の諸相をシンプルに

引き続き、毎度、ダニエル・パイプス先生の話題で恐縮ですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)、どうかしばらくご勘弁ください。
自分のためというよりも、これほど派手に誤解された知識人は、ちょっと珍しいのではないかということと同時に、それには何か理由があるはずで、その探究にも興味を持ってしまったという、私なりの背景があります。
昨晩から今朝にかけて、日食のせいなのか、映画で泣き過ぎたためなのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)、お化粧のアレルギーのせいか、ものすごく眼などが疲れてしまったので、しばらくネットはお休み。その代わり、たまった本などを、ごろごろ寝転びながら読んでいました。
その間に、“The Long Shadow: Culture and Politics in the Middle East”という、パイプス先生の1990年(ペーパーバック版)を読んで感じたこと。それは、あの複雑な中東情勢について、見事に本質をつかみ、シンプルで論理的な英語で、的確に説得力豊かに表現する能力および才能に恵まれた研究者だな、と。
結果として書籍や論文の形に出来上がったものを見るならば、一見、大したことの無いように思えるかもしれませんが、実は、学者であれば誰しも、そのような才能というのか技能というのかセンスを備えているわけではないことは、私自身、日本国内の各種学会を見ていても、しばしば痛感するところです。単純な事柄を、ペダンティックにわざわざ小難しく表現することで、学者としての自分を力量以上に誇示するタイプの人も、残念ながら少なくはありません。また、大学に残りたいために、ちょっと見には高尚そうな、名の通ったテーマを取り上げる人さえ見受けられます。そこには、独創性も個性も見当たらないのに、です。
パイプス先生は、お父様もそうですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)、そういう衒学的な態度を嫌うようです。そして、事実に基づいて、率直に真っ直ぐに観察したことを、出来る限り平易に表現する訓練を受けていらっしゃるかのようです。
そんな先生ですが、私に対しても、「それに、付け加えなければならないけれど、英語が最もエレガントだよ」と褒めてくださったことがあります。いえいえ、私の場合、英語の語彙が、ネイティブ知識人よりも極度に限られているので、本当に伝えたいことを、自分の言葉で論理的に事務的に客観的に伝えようとすると、そうなってしまうというだけの話です。それに、ご多忙のところをメールで割り込むわけですから、過不足なく、誤解なく用件を伝えるには、礼節だけは守りつつも、シンプルな表現で、ということの結果に過ぎません。
映像を拝見する限りにおいて、あまりニコニコと愛嬌を振りまくタイプでもなさそうですし、ぶっきらぼうな感じの方ですから、私に対しては、決してお世辞やおべんちゃらではないだろうと思っています。もちろん、私だって、見透かされてしまうでしょうから、心にもないことは書いたことがありません。
「あの先生と、いい友達になれそうだね」と言ってくれた主人には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)、感謝しています。
それと、今日読んだ別の本で感じたのは、知識階級であれば進歩的な左派が優勢という考え方が、いかに偏っているかということです。
Philip Jenkins, "God's Continent: Christianity, Islam, and Europe's Religious Crisis", Oxford University Press, 2007
この本にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)、キリスト教の立場から、イスラームと欧州ないしは米国との共存問題について、表向き語られていることと、現実問題としての実際との相違が、率直に叙述されています。それが、オックスフォード大学出版から出ているという点に、なぜか励ましのようなものを感じた次第です。
本書は、マレーシアの広東系神学者Dr. Ng Kam Weng(伍錦榮博士)(参照:2007年8月22日・2008年4月3日・4月25日・6月14日・11月4日・11月7日・2009年4月28日・10月26日・10月27日・11月3日・2010年1月27日・6月15日・6月26日・7月3日・2011年3月7日・4月24日・10月13日・2012年3月21日・4月24日付「ユーリの部屋」)の論考に出てきたので知ったのですが、なんと、パイプス先生のシンクタンクが発行しているジャーナル『季刊中東』(Middle East Quarterly)も、わざわざリストで引用されています!(p.290)
つまりは、こういうことです。パレスチナ人やアラブ人やムスリムの一方的な味方をしているような立場の非ムスリム学者達の偽善性は、西洋の文化変容に伴う知識人の葛藤を踏まえず、しかも、マレーシアの少数派の(Dr. Ng Kam Wengを含む)クリスチャン指導者層の苦悩を無視して、パイプス先生の中東観だけを一方的に叩いているという、偏狭さ、心の狭さ、近視眼的思考が露わにされているのではないか、と、
話はやや変わりますが、そういうわけで今日は、W.A.グロータース先生の『それでもやっぱり日本人になりたい』を、やっと少し読むことができました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120411)。学生時代の畏れ多き印象とは異なり、私も歳をとったせいか、時代の変遷のためか、実に含蓄のある読みやすいエッセイを書かれることに、感銘を受けました。それと、「日本人が働きすぎるから」という当時の非難に対しても、「こうした苦情を真に受けるべきではない」と断言されている「働く喜び」(p.114)にも、感謝したい気持ちでいっぱいです。
ここで思い出したのが、ワーク・ライフ・バランス提唱の本意と背景、犬養道子氏(参照:2009年3月20日・3月26日・5月15日・11月11日・2010年1月14日・1月15日・2月1日・3月25日・2011年4月14日・2012年3月18日・5月15日付「ユーリの部屋」)の1970年代から80年代にかけての随筆集です。長時間働く日本社会を単純に批判するのに都合のよい自分勝手な反応ですが、改めて少し私見を記して締めとしたいと思います。
故グロータース神父が書いてくださっているように、現在のギリシャを初めとする(ドイツ以外の)EU経済の不振、アメリカのウォール街での格差反対のデモンストレーションなどの淵源は、「日本製品が良質なのは日本の労働者がヨーロッパ人より長時間働くからである」「あなたがたは怠け者ですよ。あなたがたの経済が悪化しても驚かないでください」(p.115)「彼らはもはや自分の仕事に喜びを見出せない。だから余暇を楽しむ時間を増やそうとする」(p.116)にあるのではないか、と。
もちろん、日本が絶対に正しいというつもりはありません。このエッセイが書かれた時代は、古き良き日本であって、既に、インドや中国や韓国やシンガポールに追い抜かれている現代日本です。また、長時間の会議を非効率にする傾向のある日本の勤労体制が、必ずしも妥当だとも思ってはいません。
しかし、犬養道子氏が当時書いていたのは、そういうことではありませんでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)。記憶を辿れば、次のような要点だったかと思います。
・ヨーロッパは、権利以上に義務として、1ヶ月のヴァカンスがある(特にフランス)。
・年金としてちゃんと返ってくることがわかっているから、貯金なども、ヴァカンスのために気前よく使ってしまう。
・先進国とは、そのように、国家機能として社会保障制度がきちんとしているということなのである。その前提には、人間に対する「信」がある。
・何かあった時には、教会が面倒を見るという習慣もある。そして、他人の内面には立ち入らないし、個が確立しているから、誰も寂しくない。

ただ、私自身、それを読んだ時に感じたのは、次のようなことでした。
・それは、あくまでよその国のことだ。日本は日本なりにやっていくしかない。
・日本は資源のない小国だから、誰もが常に勤勉によく学び、よく働かなければ、生き残れない。
・ヨーロッパがそれほど素晴らしい国だとしても、それは、大戦期に尽力した人々へのご褒美としての制度ではないか。また、100年も200年も、そのように結構な制度が続く保証は、どこにあるのか

そして今フランス語を学びながら、未だに続くフランス革命の弊害や、哲学の盛んな国の特徴として、バクーニンよろしく、社会主義思想によって人々がより怠け者になっているような、権利ばかり都合よく主張して、黙々と義務を果たすことをおろそかにしているような事例もあることに、気づいています。
それに、上記のエッセイを読んだ後に、別の雑誌で目にしたのが、金融の街フランクフルトで働くドイツ人でさえ、やっと2-3日の夏休暇が取れるというスケジュールで、しかも、海辺でもラップトップとにらめっこ。充分に休む時間がないという記事でした。それを読んだ時、(ほらね、日本だけじゃないでしょう?)と思った次第。
うちの主人でも、アメリカ滞在の経験があるためか、私がそのような話をすると、「だって、僕は労働者じゃないよ。9-5時で帰宅するという人達は、どこの国でも労働者階級のこと。専門職だったら、誰だって長時間労働なんて、当たり前じゃないか」と。
そうですよね。テキサスでのんびり過ごしているイメージのあるロバート・ハント先生も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)、出張旅行は頻繁。ヴォイスメール機能もしばしば。メール返事は即座でマメ。頻繁にオンライン・エッセイを更新されます。ダニエル・パイプス先生に至っては、その4-5倍は書きまくって働いていらっしゃるという次第。お二人とも、アメリカ人ですが。
結局は、私自身の直感が正しかったということの証左。少しぐらい、自慢してもいいですよね?