ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

通過儀礼を経ること

...というわけで、あと10年早かったら、もっと自分の資質や立ち位置や方向性なども明確になり、集中して自分のテーマに没頭できたかもしれない、という思いがあります。
それに、一番くやしいのは、私が「奥ゆかしい」(?)「大和撫子」(??)のためか(???)、随分失礼なと感じられる対応をされたことがひっかかって、なかなか前進できなかったことです。特に、マレーシアと関わっている、というだけで、それ以前にはされたこともないような言動をとる人もあって、それには断固、抵抗感がありました。なぜかと言えば、マレーシア社会において私は、マレー人の学生達であれ、インド系であれ、華人であれ、先住民族の人々であれ、きちんとした家のしっかりした人達に恵まれてきたと思うからです。研究テーマの一つの角度としては、いろいろな問題点を感じることの多いマレーシアではあっても、人々との触れ合いの中で、伝統的な日本と類似した習慣や振る舞いがあることにも気づかされ、多くを教えられました。ですから、同国人に対してさえ、そんな態度がとれるなら、現地の人々には相当失礼なことを思っているはずだ、と反感を持ちました。
もっと自分のアイデンティティが客観的に認識できていれば、そういう態度を取る人こそ相当の問題がある、と毅然とした態度をとれたはずなのに、どこかで(こういう目に遭うのは、自分にも不足があってのことだから)と言い聞かせていました。

昨日、近所の図書館で立ち読みした本の中には、某大手新聞社の編集であるマナー本があります。ざっと眺めただけですが、私どもが結婚した頃にも流行っていた、いわゆる「ジミ婚」や結婚当事者だけの「海外挙式」をする人達の割合は、表向きメディアで語られているのみで、実際には全体の一割程度だとのこと。また、そういう結婚をした人は、自分達はよかれと思い、それなりの事情があったとしても、その後、周囲の人々との交際に変化が生じるとも書かれていました。例えば、年賀状のみで結婚した事実を伝えると、「挙式さえしない非常識な人だ」とか「式に招待もしない人なら、子どもが産まれても相手してやらない」などの対応をされる、らしいです。

そうしてみると、私どもの結婚式も披露宴も、準備は二人だけで足りない知恵を絞って考え、何分初めてのことで経験不足のために、大変は大変でしたが、やはり、人生の通過儀礼としても、すべきことはしないといけないんだなあ、と改めて思いました。当時は、とにかく無事切り抜けられるかどうかを考えるだけで精一杯でしたし、式も宴も実際にはあっという間に終わってしまい、担当者は慣れた手順ですべて進めていかれるために(これもビジネスか)などと、つい思ってしまいがちでした。それ以上に(本来ならばクリスマスケーキ時に結婚すべきが、こんな歳になっての結婚で...)と、どこかに引け目のような思いがありました。今なら、全く問題のない年齢だったのに、です!

しかも、私側は、大学関係者を一人もお招きしなかった(それは、主人にもし転勤の可能性があるとしたならば、私が職を持っていては結婚生活そのものが成り立たない、と考えていたことと、結婚式に大学の先生をお呼びすると「どうせ就職の世話をしてほしいんだろう?」と恩着せがましく探られるのがイヤだったのと、一番の気がかりは、キャンパスでの観察などから、こちらが不愉快になるような非常識なスピーチをされるんじゃないか、と恐れていた)ことのために、それも後で、非難囂々、悪口合戦になるのでは、と身構えてもいました。

お金の方は身分相応に抑え、華美は避け、集まってくださった人々に、おいしいフランス料理と衣装(お色直しの案内をされると、思わず主人側の招待客から「おぉ!」と、どよめきが起こり、びっくりしました。声を上げたのは、職場の同期の人々です)を楽しんでいただければいいかな、というふうにしてみましたが...。

さっき、主人に話すと、「あ、上司の○○さんが、僕が病気になった頃、『でも、奥さんは...人に見えるから』と言ってくれていたよ」と。どきん、とします。どこでどのように観察されているかわからない、という...。でも、だからこそ、通過儀礼を経ることで、一つの関門が超えられるのですね。

もう一つ、これも某月刊誌に書いてあったことですが、平成に入ってから、お世話になったお礼と相手の幸を祈ることばを書いて送る年賀状がめっきり減り、自分が何をしたか、今年は何をするか、自分の家族がどうなのか、などを一方的に書き立てるものが増えて嘆かわしい、とも。

確かに、業績一覧表のようなカラフルなお年賀状をいただくことがありますが、それに対しては、「ますますご活躍くださいますよう」としかお返事できません。共通項としてのコミュニケーションが成り立たず、一方通行のような感じがします。ついでに、「私は楽しく仕事をしています。あなたも、いろいろと履歴書を出してみては?」「今は忍耐の時です。いつかはきっと春が来ますよ」などと書かれているものも、たまに一枚ぐらいはありますが、こちらはこちらなりに、何とかやっているつもりなので、なんと返答していいものやら、わからなくなることがあります。

想像してみるに、人様に自慢できるような「業績」に値する公活動を何もしていないので、相手へのご挨拶だけで終わっているのだろう、と思われているらしいのです。

一番失礼というか、非常識だと思った年賀状は、自分のところに産まれた二歳ぐらいの男の子が、片手でズボンを下げようとしているような拡大写真を貼り付け、「かわいいだろう?」と書き添えてあった年賀状です。冗談のつもりかもしれませんが、あまりにも身勝手で自己中心だと思います。誰からのものかは、書きません。こういう人には、頼むから人を指導するような立場になってほしくはないと思います。

そうはいうものの、私にも今年、反省すべき点があります。11月に喪中葉書をいただき、すぐにお悔やみのお葉書を書いて複写もとり、賀状ホルダーに入れておいたのに、12月に入るや否や、研究発表もあったために、バタバタと昨年のホルダーを見てリストをつくって、その方にも「ご無沙汰しております その後いかがお過ごしでしょうか」などと書いて送ってしまったのです。お正月中に気づき、昨日、寒中見舞いとしてお詫び文をお送りしましたが、これは大バツですね。普段、えらそうなことを言う主人も、尋ねてみると、「実は僕にも一枚あるんだ」と。本当にごめんなさい。夫婦揃ってお詫び申し上げます。

それと、年内に投函しても、どうも届くのが、地域によっては、都市部でもかなり遅れているようで、人によっては、年賀状の文面以上に、届く日で相手を判断される場合があるとも聞きました。「元旦(一月一日)に届かなかった人には、もう出さない」というのです。こればかりは、こちらの努力では、どうしようもありません。所詮、それだけの関係と思われていたのでしょう、残念ですが。
こちら側の言い訳としては、この歳になると、近親者にいつ何が起こってもおかしくないので、あまり早めにお年賀状を印刷して用意してしまうと、出そうと思ったら喪中葉書に変更、という不測の事態が発生しないとも限らず、用心している、という事情もあります。確かに、結婚前にピアノを習っていた頃、「かわいがってくれたおじさんが、お正月にお葬式を出すことになって...」という話を聞き、「そういうことってあるんですね」としか申し上げられなかったこともありました。

また、本家に嫁いだので、お正月は毎年、親戚の接待でお年賀状どころではなく、従って、年賀状の代わりに寒中見舞いにしている、という話も、茶道を習っていた頃にうかがいました。それもよくわかる話です。

こちら側の好みで、何事も一方的に判断してはならないのだという教訓だと思いました。心したいものです。