ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

異文化を理解する苦労と楽しみ

昨日は、午後から久し振りに同志社大学神学部図書室へ行きました。知り合いの教授から、インドネシアの神学大学の先生が2月に来日されるとご紹介をいただいたので、その会合の申し込みも兼ねてです。
アラビア語新聞には、予想された通り、ガザ問題で、被害の大きさを大写真で訴えるようなものが続いていました。紙質や印刷技術のせいもあり、どうもアラブ系新聞は、暗いニュースが多いような印象を受けます。
その点、マレーシアの新聞は、事故などの死体が堂々と一面に出ている以外は、何だかカラリと明るかったです。
とはいうものの、赴任当初は、何がなんだかさっぱりわからないままに、一生懸命読もうとして疲れていました。例えば、「マハティール博士:睡眠時間を減らして、もっと働け」なんて見出しには、仰天しました。どうして、睡眠時間まで首相がコントロールするのかな、この国は…。または、「マイノリティはマジョリティのことを配慮すべきだ」という見出しにも驚きました。目をこすって、何度も読み返したものの、確かに、「少数派は多数派に気を使え」って書いてあったんです。日本の学校で習ったのとは、まるで正反対。あれ?
…という感じでした。今は、当時と違って、インターネットがありますから、事前にかなり情報収集できるのでしょうけれども、本当に、暑さと慣れない強いアクセントの英語とで、頭が朦朧としながらも、必死になって読んでいました。なつかしい思い出です。

と、話は逸れてしまいましたが、当然のことながら、図書室担当の方も顔ぶれが変わり、学生の雰囲気も変わり、同じなのは、昔からの教授陣だけという、時の流れを感じさせる一時でした。私の必要とする関連文献資料が増えたのはうれしい限りです。一方で、このブログでも以前ご紹介した『ムスリム世界』は(参照:2008年4月14日・4月18日・6月13日・9月10日付「ユーリの部屋」)、2007年分が製本されたのを最後に、打ち切りとなってしまったようです。でも、京大や民博では継続されているそうなので、続きはこちらで見ることにしましょう。その点、本当に関西は便利で、ありがたい限りです。
神学ジャーナルを何冊かチェックした他は、文献リストノートを見ながら、書庫から出していただき、次のものを部分コピーしてきました。

・Adam S. Francisco,“Martin Luther and Islam: A Study in Sixteenth-Century Polemics and Apologetics”, Brill, Leiden/Boston, 2007.
・David Thomas (ed.), “The Bible in Arab Christianity”, Brill, Leiden/Boston, 2007.
・Risto Jukko “Trinity in Unity in Christian-Muslim Relations” Brill, Leiden/Boston, 2007.
・John Barton (ed.), “The Biblical World”(Vol.2), Routledge, London/New York, 2002.
Journal of Church and State, Vol.32, Autumn 1990, Number 4.

なかなかおもしろそうな文献です。
最初の文献に関しては、「ユーリの部屋」(2008年10月12日付)をご覧ください。二番目の資料の編者は、マレーシアの英国国教会のインド系司祭が博士論文を提出した時の指導教官です(参照:2008年2月13日・5月23日付「ユーリの部屋」)。三番目は、古来からやっかいな三位一体の問題に関する論考、四番目は、聖書翻訳と現代聖書学の研究分野の拡大についても言及されています。最後の資料には、1990年にマレーシアのカトリック司教団が、イスラム法導入に反対したとの記事が短く掲載されています。
各種の神学ジャーナルには、国際問題や各国の政治宗教事情が細かく書かれているので、必見です。この点、日本におけるマレーシア研究の盲点かもしれません。ただし、神学の前提は、「宗教は信じ込まされてきたもの」という‘安易な’動機付けではないため、単なる情報取りだけでは意味がないことを申し添えたいと思います。

早く読みたくてうずうずしています。というわけで、今日はこの辺で失礼いたします。