ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

インドのテロについて

メムリ」(http://www.memri.org

Special Dispatch Series No 2135 Dec/1/2008

紛争をテロ正当化の口実にする者は黙らせよ
―ムンバイ事件に関するUAEコラムニストの論評―
アラブ首長国連邦UAE)の英字紙The Nationalは、2008年11月30日付で、ムンバイの同時多発テロに関する論評を掲載した。著者はドバイの実業家でコラムニストのカッセミ(Sultan Al-Qassemi)。「ムスリムがテロで不快感を示すだけでは充分ではない」と題し、ムンバイ攻撃を激しく非難。テロリストの残忍な蛮行は絶対に容赦できないとし、「イスラム諸国はテロリストに先制攻撃を加えなければならない。それより更に重要なのが、テロリストを支え教唆扇動する者に対する戦い」であると論じた。以下その内容である※1。
穏健なムスリムは、イスラムの名で繰り返される“聖戦行為”に怖気をふるっている
 その電話の主は、「彼等は私の部屋のドアを激しく叩きました。しかし私はあけませんでした」と言った。そして間をおいて「今のところ無事です」とつけ加えた。その電話の主とは、首長国連邦国籍のオワイス氏(Rashid Al-Owais)。40歳になる大理石の取引業者。ムスリムでアラブ人である。商用でムンバイに滞在中、卑劣極まりないギャング共の同時連携テロに遭遇し、ひどい目にあった。11月27日夜オワイス氏は、オベロイ・トライデントホテルの部屋からドバイテレビに電話して、状況を伝えたのだが、事件発生以来部屋で息をひそめていたのである。当然であるが、首長国連邦は、この「言語道断の犯罪行為」を非難した最初の国のひとつである。
 アラブ首長国連邦の立場はユニークである。インドとの関係は数百年になる。国内には静穏なインド人社会がある。外人居住者の多くはインド人である。56のイスラム国家で構成されるイスラム会議機構(OIC)も、このテロ攻撃を非難し、「この暴力行為は生命尊重の価値観に真っ向から反し、如何なる理由でも正当化できない」とする声明をだした。「如何なる理由でも」というのが今回のこの事件に関するキーワードである。
9/11の凶行以来、穏健なムスリムは、自分達の宗教の名において繰り返される「聖戦行為」に怖気をふるっている。その宗教は平和を意味するのに、残忍な蛮行の言い訳にされるのである。テロ事件が発生した時、犯人達が非ムスリム原理主義者であることが判明すると、ムスリムの間には安堵の空気が流れる。ムスリムによる凶行事件には、例えば2007年4月バージニア工科大における32名の虐殺がある。犠牲者の大半は学生で、犯人は韓国人学生であった。
 オワイス氏のように、ムスリムもテロの犠牲になる。ムスリムが犯した凶悪事件もある。例えばスペインの「祖国バスクと自由」(ETA)やスリランカの「タミールの虎」が然りである。タミールの組織は、200件以上の自爆テロを実行し、6万人を殺した。犠牲者のなかには、インドのラジブ・ガンジー首相も含まれる。今回のムンバイ攻撃の犯人達は、よくもインドを選んだものであるさまざまな人種、民族で構成される美しきモザイク社会。これがインドである。犯人達はそのシンボルを攻撃対象にしたのである。社会の周辺部でうごめく一部のムスリムは、自分達の惨めな存在の状況が判ると、いつもイスラムの名において犯行におよぶ。しかし犯行にも拘わらず、このモザイクは輝き続ける。
テロリスト達と対決し、我々の宗教をとり戻す時が来ている  
穏健なムスリムが、ムンバイ攻撃で不快感を示すだけでは充分ではない。これまでニューヨークの世界貿易センタービルアンマンの結婚式、ロンドンの地下鉄、マドリッドの列車、ベスラン学校エルサレムのピザ店バグダッドの市場等々多くの場所が、テロ攻撃の対象になり、我々はその度に不快に思った。しかし、それだけでは充分ではない。この犯人共と真剣に対決し、我々の宗教をとり戻す時がきているムスリムは、このような犯罪者について、もっと(怒りの)声をあげなければならない。イスラム諸国はこの行動様式と対決しなければならない。皆が口にしたくない言葉を借りて言えば、イスラム諸国は、このテロリスト達に対して心理的先制攻撃を加えなければならない。もっと重要なのは、彼等を支え扇動する者に対する攻撃である。テロを非難できないムスリム説教師は教育し直すか、処分するかしなければならない。何かの紛争をテロ正当化の口実にする者は、沈黙させなければならない。今日彼等がまき散らしている毒は、明白我々全員を汚染してしまうからである。
 報道機関のなかには、テロリストのプロパガンダを流す水道管になったところもある。例えばイマム(Sayyed Imam、ファドル博士としても知られる)のような改悛した元過激派の人々の話を、メディアを通して、是非をわきまえぬ少数派の人間達に知らせる必要がある。我々のメッセージは明快でなければならない。「この種暴力行為は、人間の生命尊重の価値観に反し、如何なる理由でも正当化できない」。如何なる理由でも正当化できない。これが我々のメッセージである。
※1 2008年11 月30日付The National

(引用終)