昨日の続きだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)、故リチャード・エドガー・パイプス氏(1923年7月11日−2018年5月17日)について過去ブログで言及したリストを以下に列挙する。
「リチャード・パイプス」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%A1%A6%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Richard+Pipes)
• 2018-05-27 秋月瑛二氏の江崎道朗氏批判
• 2018-01-22 再び日高義樹氏の講演会へ
• 2018-01-12 ヘリテージ財団でのパネル講演
• 2017-12-21 最初から本筋に触れていれば
• 2017-09-08 ツィッターの転載から諸々
• 2017-08-10 平野啓一郎氏への公開質問
• 2017-06-26 ロシア革命の100周年に
• 2017-05-13 ダグラス・マレイ氏の新著
• 2017-01-29 限界を承知の上で
• 2017-01-24 今後に備えるべき日本
• 2017-01-23 日高義樹氏の新春特別講演会
• 2016-11-15 認知症講座を受けて
• 2016-07-21 Elliott Abrams氏の公開講演
• 2016-07-16 遅れ過ぎて誤解に満ちた日本
• 2016-07-08 イラク参戦を巡る英国報告書
• 2016-04-25 感情で相手の信用を潰す?
• 2016-04-06 社会の分断化工作
• 2016-03-27 我が道を行く
• 2016-03-17 中曽根時代を思い出す
• 2016-03-16 世論の是正が始まった(2)
• 2016-02-12 ドイツへの片思い
• 2015-09-24 日米友好祭から
• 2015-09-08 日本を壊そうとする動き
• 2015-08-21 ウォルドロン教授の対日本警告
• 2015-08-11 蝉の声を聞きながら
• 2015-05-15 レーニン『帝国主義』を持参
• 2015-04-13 パイプス先生のお仕事シリーズ
• 2015-04-02 キリスト教の左傾化
• 2015-03-30 アメリカ人の発言+&
• 2015-03-15 正しく怖がること
• 2015-03-13 これから軌道修正を
• 2015-02-05 訃報
• 2014-12-24 世の中の実相
• 2014-11-25 ポーランドでの復権と日本
• 2014-11-21 ジョージ・ケナンと日米同盟
• 2014-11-14 三つのテーマをまとめて記録
• 2014-11-02 日本人として恥ずかしい
• 2014-11-01 身勝手な断罪の末に
• 2014-10-07 E・サイード 対 パイプス父子
• 2014-10-03 ヨム・キプールに『ヨナ書』を
• 2014-09-23 献辞のない本のありがたみ
• 2014-09-22 流行らない本を再読する意味
• 2014-09-18 『ロシア・インテリゲンチア』
• 2014-09-17 『ロシア革命史』が届く
• 2014-08-06 広島の原爆記念日の雑感
• 2014-07-01 ブログのパラダイム転換
• 2013-10-17 豪州のビショップ外務大臣
• 2013-07-12 ある中東歴史家の回顧
• 2013-06-30 印象に残った記述から
• 2013-06-25 保守性に関する再考
• 2013-02-03 国生みの淡路島へ
• 2013-01-17 各々の職分をきっちりと守る
• 2013-01-05 現代の反イスラエル意識
• 2012-10-07 タカ派時代が平和を...
• 2012-05-21 金環日食−世の不思議さ
• 2012-05-07 日本に関心を寄せる西洋学者
• 2012-05-05 ダニエル・パイプス先生のこと
• 2012-01-31 新たなツィッターを作りました
• 2012-01-24 前言を翻して
英語版ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=Richard+Pipes)はこちらを。
• 2016-12-08 Legacy of the late Edward Said
• 2013-01-04 The Pipes (3)
• 2013-01-03 The Pipes (2)
• 2012-12-31 The Pipes (1)
• 2012-06-01 Israeli issue
映像クリッピングの抜粋は、もう一つのブログ(http://itunalily.jp/wordpress/)の‘Category:Richard Pipes’を参照のこと。
また、C-SPANに登場されたビデオ一覧は、以下の通り。(一部は、上述の英語版ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/)にも掲載済みである。ご逝去の前日、アメリカの保守主義運動を復習しようと思い、偶然にもリチャード・パイプス氏の古いビデオを閲覧して掲載していたところだった。)
(https://www.c-span.org/video/?289853-4/ronald-reagan-fall-berlin-wall-part-3)
November 6, 2009
Ronald Reagan and the Fall of the Berlin Wall, Part 3
(https://www.c-span.org/video/?179455-1/vixi-memoirs-belonger)
November 19, 2003
Vixi: Memoirs of a Non-Belonger
(https://www.c-span.org/video/?175201-1/importance-archival)
February 13, 2003
The Importance of Being Archival
(https://www.c-span.org/video/?170366-1/president-reagans-westminster-address)
June 3, 2002
President Reagan's Westminster Address
(https://www.c-span.org/video/?167225-1/communism-history)
November 1, 2001
Communism: A History
(https://www.c-span.org/video/?154149-1/property-freedom)
December 13, 1999
Property and Freedom
(https://www.c-span.org/video/?153401-1/ronald-reagan-won-cold-war)
November 5, 1999
How Ronald Reagan Won the Cold War
(https://www.c-span.org/video/?100370-1/bosnia-russia-gulf)
February 9, 1998
Bosnia, Russia, the Gulf and Beyond
(https://www.c-span.org/video/?76996-1/the-unknown-lenin)
November 22, 1996
The Unknown Lenin
(https://www.c-span.org/video/?10101-1/liberalization-soviet-union)
November 30, 1989
Liberalization within the Soviet Union
(https://www.c-span.org/video/?7939-1/thinking-soviet-policy-europe)
June 6, 1989
New Thinking on Soviet Policy Toward Europe
(計11本)
昨日引用させていただいた秋月瑛二氏のブログ(http://akizukieiji.blog.jp)には、故リチャード・パイプス氏の業績に関して、一定の留保をつけつつも、長期にわたって著書の和訳を「試訳」として掲載されていた(http://akizukieiji.blog.jp/tag/R%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%B9)(http://akizukieiji.blog.jp/tag/R%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%B9?p=2)(http://akizukieiji.blog.jp/tag/R%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%B9?p=3)。その尽力には敬服以外の何物でもない。
私は英語原書7冊と日本語翻訳版4冊を入手しており、邦訳は3冊、英語原書は3冊しか完読できていない。「ロシア史研究は、ロシア語原書を読まなければならない」と学生時代に聞かされていたが、専門でもない一般素人に、それほどの高い要求をされても困る。だが、少なくとも、リチャード先生の「パピ本」(私が勝手に親しみを込めて密かに付けた渾名(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170908))は、ありがたくも英語で書かれているので、そのまま読み進めてきた。
秋月氏ではないが、ロシアに行ったこともない私のような一般素人でも「パピ本」を英語版でそのまま読んでいるのだから、当然、日本の専門家や識者にとっては、言及するまでもなく、朝飯前のことなのだろう。
これまでに入手した、別の著者による英語で書かれた本にも、リチャード・パイプス氏のお名前がここかしこに引用されているのを発見した。
日本語に訳されていない本は、日本の学界や出版業者で評価が低いからなのだろうか?それとも、「この程度は、訳書を待たずに直接読みなさい」と示唆されているのだろうか?
喪主を務めたご長男のダニエル氏からは、昨日の午前中、「あなたが父に会えなかったことを遺憾に思っている」とメールをいただいた。確かに「うちの両親は喜んで会うよ」「父にメールを転送しといたよ」と過去に伝えられてはいたものの、圧倒されるような思いで後さずりしているうちに、とうとうチャンスを逃してしまった。
考えてみれば、父方の大叔父の加藤静一(東京帝国大学を昭和10年に卒業)が昭和21年(1946年)に信州大学医学部の教授に就任したのだから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170829)、アカデミア内での年齢上は、故リチャード・パイプス教授よりも先輩格である。大正生まれの母方の祖母の兄弟にも大学教授がいたことは、既に記した通りである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161118)。敗戦国の日本であっても、小国(?)なりに頑張ってはいたのだ。
ではなぜ、自分にはお目にかかる資格がないような心理状態だったのだろうか?
PS 1:大叔父の書になる「積善」の額が、実家の私の部屋に飾ってあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170711)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180419)。
PS 2:信州大学眼科学教室のホームページから。
(http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-ganka/guide/outline.html)
・嘱託として眼科学の講義や診察を行なっていた加藤静一先生(東京帝国大学、昭和10年卒)が、1946年(昭和21年)6月30日付で第2代教授に就任されました。戦後、日本初とされる巨大電磁石を作成し、多くの眼内鉄片異物を摘出されました。また当時の白内障手術は肉眼で短時間に終わる嚢外摘出術がほとんどでしたが、「嚢外摘出術+人工レンズ挿入術」を早くから取り入れていました。他にも信州大学附属病院長、信州大学学長を歴任されました。
・1946年(昭和21年)6月 加藤静一先生が第2代信州大学眼科学教授に就任
・1958年(昭和33年)7月 加藤静一教授が信州大学医学部附属病院長に就任
・1973年(昭和48年)10月 加藤静一教授が信州大学学長に就任
(部分抜粋終)
「松本の叔父さん」と亡父は呼んでいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170801)。誠に遅きに失するが、戦前の教育を受けた人の気概を痛感すると同時に、大叔父の「戦後日本初」の業績を誇りに思う。遥か彼方の不肖より。