ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

韓国大統領のカトリック信仰

韓国のキリスト教事情を巡る話題については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180729)。筆者の長谷川良氏については、過去ブログのリストを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C4%B9%C3%AB%C0%EE%CE%C9)。

http://agora-web.jp/archives/2036104.html


カトリック信者・文大統領の「信仰」
長谷川 良
2018年12月11日


・他者の信仰をああだ、こうだと批判したり、論評することは最も愚かな試みだろう。第3者が他者の信仰世界を完全に理解できるだろうか。


ローマ・カトリック信者の文在寅大統領の「信仰」を問うてみた。


・文大統領は10月18日、金正淑夫人を同伴してバチカン法王庁を訪問し、ローマ法王フランシスコを謁見した。カトリック信者としては最高の名誉だろう。ペテロの後継者であるローマ法王カトリック信者にとって雲の上の存在だ。その法王に夫人を連れで謁見できたということは、それだけでも文大統領の信仰が神に認められた結果というべきかもしれない。


・「文大統領は本当にカトリック信者だろうか」。カトリック信者は名ばかりで神への信仰はなく、必要な時に神に声をかけ、そうでない時は全く関心がない、といった程度の内容だろうか。第3者がそれを判断できるだろうか。幸い、方法はある。「イエスの教え」から文大統領の言動を検証することだ。


人権弁護士の文大統領は大統領に就任後、「積弊清算」を標語に反日活動を、これでもか、これでもかと進めてきた。


・文大統領の場合、民族の過失や過ちを悔い改め、内省するのではなく、過去の過ちは全て日本側にあるとして、日本の朝鮮半島統治時代を追及し、糾弾してきた。旧日本軍の慰安婦問題では少女像を駐韓国日本大使館前に設置するだけではなく、米国や欧州各地に設置してきた。


・イエス曰く、「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目ににある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」(「マタイによる福音書」第7章)と諭している。


・文大統領の言動が「イエスの教え」とは180度異なっていることが分かる。相手(日本)のちりを指摘することに奔走し、自分の目の梁に気が付いていないのだ。イエスはそのような人を「偽善者」と呼んだ。


・彼は愛を輸出しているのではなく、日本への憎悪を輸出しているのだ。文大統領は「愛の宣教師」ではなく、「憎悪の伝道師」ということになる。


・「汝の敵を愛せよ」(「マタイによる福音書」第5章)だ。文大統領は自身の敵を憎み、その憎しみを世界に広げている。


韓国出身でキリスト者の政治家、指導者といえば国連事務総長を務めた潘基文を思い出す。国連広報の同氏の宗教欄は無記入だった。その理由曰く「国連事務総長は中立的な立場を維持しなければならない。多数の民族、国家、宗教が集まった国連の事務トップとして自身の宗教を公表しないほうがいいと判断した」という。


・同氏らしい弁明だが、同氏が強調する中立主義が如何に詭弁かはこのコラム欄でも指摘してきた。


潘基文氏は文大統領以上に狡猾だ。文大統領は最初から中立主義とは言わない。過去の「積弊清算」であり、明確な反日だからだ(「国連の潘基文事務総長の『悪い癖』」(2013年8月27日参考)、「潘基文氏『中立性原則』違反の常習者」2015年8月31日参考)


韓国の外交官には結構、カトリック信者が多い。一人のカトリック信者の韓国外交官に聞いたことがある。「なぜカトリック信者となったのか」と。彼曰く「妻が信者だ。彼女からカトリック信者になれば都合がいいからあなたも教会に入りなさいといわれた」という。


・出世を目指すのならば、カトリック教会に入れば都合がいいというわけだ。イエスが聞けばビックリするかもしれないが、この世の荒波をうまく泳ぐために教会に入る人は上記の外交官だけではない。結構多い。


・人口の1%にも満たない日本のキリスト者も大きな違いはないからだ。キリスト者といっても、熱心で敬虔な信者から名前だけの信者まで多種多様だ。


・日本のキリスト者はイエスの教え、キリスト教の教理などにあまり関心がない(「日本の信者は教会の教えに無関心」)2014年2月23日参考)。


・政治活動と信仰生活を別々にしなさい、ということは「詐欺師になりなさい」と勧めているようなものだ。


・「イエスの教え」を完全に実践することは誰にとっても容易ではないが、「イエスの教え」を完全に否定するような言動は慎むべきだろう。それは神への冒涜だからだ。


・文大統領が相手を糾弾する前に自身の過ちを正すならば、同大統領の南北融和政策は必ず神の祝福を受けるだろう。さもなければ、南北融和政策は悪用され、韓国を一層カオスに陥れることになるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年12月11日の記事を転載させていただきました。

(部分抜粋引用終)

日本共産党員のリスト

久しぶりに、秋月瑛二氏のブログから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%B7%EE%B1%CD%C6%F3)、日本共産党の党員だと考えられる人のリスト抜粋を。
ちなみに、このリストには、私が知っている人は一切含まれていない。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066307103.html


宮地正人日本共産党の党員
注目されるべきは、「大学(名誉)教授」類などだ。
・森英樹・名古屋大学名誉教授
渡辺治一橋大学名誉教授
・西川勝夫/滋賀医科大学名誉教授−戦争中の「医学犯罪」
・多羅尾光徳/東京農工大学准教授−現在の大学等の「軍事」研究
桜田照雄/阪南大学教授−カジノ反対
・丹羽徹/龍谷大学教授−部落差別解消推進法
渡辺治一橋大学名誉教授。不破哲三の書物に関する対談
・牧野富雄/全国革新懇代表世話人日本大学名誉教授
石川康宏/神戸女学院大学教授・全国革新懇代表世話人
小田川義和/総がかり行動実行委共同代表・全労連議長・全国革新懇代表世話人
・中野晃一/安保法制廃止等市民連合呼びかけ人・上智大学教授
・西郷南海子/安保関連法反対ママの会発起人
窪島誠一郎/「無言館」館主。(?)
・朽木一・水村武・小村公次。それぞれの分野でかなり著名で(そして党員か親共産党の者だが)

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066448645.html


渡辺治一橋大学名誉教授)
小沢隆一(東京慈恵医大教授)
・木下智史(関西大学教授)
・小松浩(立命館大学教授)
・植松健一(立命館大学教授)
・鈴木宣弘(東京大学教授)−TPP
・昆 弘見(ジャーナリスト)−「働き方改革
・橋山禮治郎(元日本開発銀行調査部長)−リニア新幹線
・坂井 優(弁護士)−水俣病訴訟
・高岡 滋(医師・協立クリニック院長)−水俣病
・高橋正己(埼玉県民医連事務局長)−生活保護
田中章治(全日本視聴覚障害者協議会代表理事)−駅の安全

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066506244.html


・植松健一/立命館大学准教授−集団的自衛権
・芝田佳宜/弁護士−選挙制度
・和田 武/日本環境学会会長−再生可能エネルギー 
・平田仁子/気候ネットワーク東京事務所長−原発
・吉田 裕/一橋大学教授−日本史・歴史認識
・宮城道良/不戦兵士市民の会東海支部事務局長−戦争体験
・小池由美子/埼玉県立高校教諭−高校教育
・河邑重光/(肩書きなし−歴史)

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066566905.html


小沢隆一/憲法学・慈恵医大−政治改革
・上脇博之/憲法学・神戸学院大学−政治改革
渡辺治一橋大学名誉教授−安保・改憲
田中章史/日本原水協常任理事−核兵器禁止
・野邦夫/不戦兵士市民の会−特攻隊
石川康宏/神戸女学院大学教授−古典教室・不破哲三らと
・北澤宏一/東京都市大学長・福島原発事故独立検証委員会委員長
・舩橋晴俊/法政大学社会学部教授
・本島勲/元電力中央研究所主任研究員
・廣瀬勝己/元気象研究所地球化学研究部長
・大島堅一/立命館大学国際関係学部教授

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066580473.html


・山家悠紀夫/暮らしと経済研究室主事−金融緩和
・吉永 純/花園大学教授−生活保護基準
・実方伸子/全国保育団体連絡会事務局長−待機児童・保育  
・村山祐一/帝京大学教授−子育て三法
早川光俊/地球環境と大気汚染を考える全国市民会議専務理事−COP18
加藤健次/弁護士−国家公務員法事件最高裁判決
・土方 功/全日本教職員組合〔全教〕障害児教育部長−障害児学校
・渡部昭男/神戸大学教授−無償教育・大学教育
・武居利史/美術評論家−砂川闘争・60年安保
山田敬男/労働者教育協会会長−労教協創立60年

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066593040.html


・青木 理/ジャーナリスト−共謀罪
・入谷貴夫/宮崎大学教授−日本経済
・中原准一/酪農学園大学名誉教授−北海道の経済
・山田 朗/明治大学教授−歴史認識真珠湾攻撃
・吉田 裕/一橋大学教授−歴史認識
・吉田千亜/フリーライター自主避難
・鳫 咲子/跡見学園女子大学准教授−子どもの貧困

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066645284.html


・二宮厚美/神戸大学名誉教授−安倍政権と経済
・丹羽 徹/大阪経済法科大学安倍内閣憲法
・俵 義文/子どもと教科書全国ネット21事務局長−安倍内閣の人脈
・宮永与四郎/教育行政研究者−第二次安倍政権の教育改革*筆名?
・吉田信雄/消費者問題研究者−消費者行政*筆名?
河村健吉/金融問題研究者−金融緩和
・今泉義竜/弁護士−解雇・退職強要との闘い
・高田太久吉/金融労働研究ネットワーク−欧州と新自由主義

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066672042.html


渡辺治一橋大学名誉教授−安倍政権・改憲新自由主義
・大瀧雅之/東京大学社会科学研究所教授−アベノミクス・経済政策
佐貫浩/法政大学教授−教育改革
笠原十九司都留文科大学名誉教授−東アジアの歴史認識
・武田清春/通信産業労働組合書記長−NTT
・永島民男/全国私教連中央執行委員長−私立高校・間接雇用講師問題

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066813576.html


・森 英樹/名古屋大学名誉教授安倍内閣改憲路線
・藤田孝典/ほっとプラス代表理事生活保護改憲反対
・末浪靖司/ジャーナリスト−アメリカが求める九条改憲
・小森美登里/「ジェントルハート」理事−いじめ問題
・福井雅英/北海道教育大学教職大学院教授−同上
・宮城みのり/民青同盟千葉県委員会副委員長−同上
・藤岡裕子/尼崎医療生協病院副事務長−生活保護
・丸浜 昭/歴史教育者協議会事務局長−歴史教育

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066952046.html


・寺尾正之/全国保険医団体連合会事務局−社会保障制度改革
・林 泰則/民医連常駐理事−社会保障制度改革
・布施祐仁/ジャーナリスト−原発労働現場
・脇田 滋/龍谷大学教授(労働法学)−労働規制緩和
・萬井隆令/龍谷大学名誉教授(労働法学)−解雇規制
吉田敏浩/ジャーナリスト−安保・米軍基地

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066995982.html


小沢隆一/東京慈恵医科大教授・憲法学者
・中山 徹/奈良女子大学教授−公共事業予算
・田中靖宏/ジャパン・プレス・サービス社長−ベネズエラ
・佐藤次徳/マツダ訴訟原告団事務局長
・高根孝昭/マツダ共闘会議事務局長

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1070391298.html


・尾藤廣喜/弁護士・生活保護問題対策全国会議代表幹事
・立石雅昭/新潟大学名誉教授−原発再稼働新基準
・児美川孝一郎/法政大学教授−若者の就職活動
・大内裕和/中京大学教授−奨学金問題
・吉田好一/国際人権活動日本委員会代表委員−日本の人権

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1070558617.html


・小林 武 /沖縄大学客員教授辺野古法治主義憲法
徳田博人/琉球大学教授−辺野古法治主義憲法
・中野晃一/上智大学教授−安倍政権
・渡辺 治 /一橋大学名誉教授−安倍政治。*またもや登場
・岩見良太郎/埼玉大学名誉教授−アベノミクス
・中山 徹 /奈良女子大学教授−アベノミクス下の大型開発
・山田博文/群馬大学名誉教授−アベノミクス・シムズ理論
・牧野富夫/日本大学名誉教授−安倍政権・働き方改革
・立石雅昭/新潟大学名誉教授−柏崎刈羽原発再稼働
・長澤成次/千葉大学名誉教授−地方自治体の社会教育行政
・格地悦子/相模原市民−公民館活動
・宮永弥四郎/教育研究者−貧困

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1070598320.html


・山内敏弘/一橋大学名誉教授−安倍九条改憲
西谷修立教大学特任教授−安倍改憲
・丹羽徹/龍谷大学教授−教育無償化論
・田中隆/弁護士−安倍改憲と改正手続法
・鈴木達治郎/長崎大学核兵器廃絶研究センター長−核
桜田照雄 /阪南大学教授−カジノ実施法案
・斉藤敏之/農民連副会長−卸売市場法
・大日方純夫/早稲田大学教授−明治150年と自由民権
・中村晋輔/弁護士−米兵殺人国家賠償
佐貫浩/法政大学名誉教授−教育政策と新自由主義

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1070819061.html


・本秀紀/名古屋大学教授−安倍改憲の特質
山口智美/モンタナ州立大准教授−政権・「右翼」の「歴史戦」孤立と改憲
丹波史紀/立命館大学准教授−福島県双葉避難住民
・鳥畑与一/鳥取大学教授−成長戦略と地域銀行
・建部正義/中央大学名誉教授−ビットコインの「実像と虚像」
・久保田和志/弁護士−埼玉九条俳句訴訟
・神川喜夫/教育ジャーナリスト−大学入試改革迷走と高校教育改革
・村田武/九州大学愛媛大学名誉教授−日本農業の構造改革

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066736590.html


松竹伸幸レーニン最後の模索−社会主義市場経済(大月書店、2009)
松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)
松竹伸幸は現在、かもがわ書房京都市)の編集長
この出版社の名前からして「左翼」系だとは分かる
・溪内謙・上からの革命−スターリン主義の源流(岩波書店、2004)
藤田勇編・権威的秩序と国家(東京大学出版会、1987)
日本共産党歴史観は<講座派マルクス主義>と言われたもので、明治維新を<絶対主義天皇制国家>への画期と捉えていたから、ブルジョア革命=市民革命=「民主主義革命」はまだ完遂されていないのだ。労農派マルクス主義の立場にたてば、つぎの目標は「社会主義革命」なのかもしれない。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1073091032.html?
ref=popular_article&id=5969708-2946529)


・左翼人士−民科法律部会役員名簿・第25期(2017年11月〜2020年10月)等。
 理事長/胡澤能生(早稲田大学
 副理事長/小沢隆一(東京慈恵医科大学)、豊島明子(南山大学)、本多滝夫(龍谷大学
 全国事務局事務局長/本秀紀(名古屋大学
 理事(50名、50音順)/愛敬浩二(名古屋大学)、朝倉むつ子(早稲田大学)、飯孝行(専修大学)、板倉美奈子(静岡大学)、上地一郎(高岡法科大学)、大河内美紀(名古屋大学)、岡田順子(神戸大学)、岡田正則(早稲田大学)、緒方桂子(南山大学)、緒方賢一高知大学)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、金澤真理(大阪市立大学)、川崎英明(関西学院大学)、神戸秀彦(関西学院大学)、桐山孝信(大阪市立大学)、胡澤能生(早稲田大学)、近藤充代(日本福祉大学)、榊原秀訓(南山大学)、佐藤岩夫(東京大学)、清水雅彦(日本体育大学)、新屋達之(福岡大学)、白藤博行(専修大学)、清水静(愛媛大学)、鈴木賢明治大学)、高田清恵(琉球大学)、只野雅人(一橋大学)、立石直子(岐阜大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、徳田博人(琉球大学)、富田哲(福島大学)、豊崎七絵(九州大学)、豊島明子(南山大学)、新倉修(青山学院大学)、根本到(大阪市立大学)、長谷河亜希子(弘前大学)、人見剛(早稲田大学)、広渡清吾、本多滝夫(龍谷大学)、松岡久和(京都大学)、松宮孝明立命館大学)、三成賢次(大阪大学)、三成美保奈良女子大学)、村田尚紀(関西大学)、本秀紀(名古屋大学)、矢野昌浩(名古屋大学)、山下竜一(北海道大学)、山田希(立命館大学)、山本晃正(鹿児島国際大学)、吉村良一(立命館大学)、亘理格(中央大学)、和田真一(立命館大学
 監事(3名) 市橋克哉(名古屋大学)、今村与一(横浜国立大学)、森山文昭(愛知大学


 出所−機関誌『法の科学』の末尾(日本評論社刊)


 歴代理事長(上掲雑誌49号(2018年)p.125 による)
 ・戒能通厚/第20期−2002年〜2005年
 ・西谷 敏/21期−2005年〜2008年
 ・広渡清吾/第第22期−2008年〜2011年
 ・浦田一郎/第23期−2011年〜2014年
 ・吉村良一/第24期−2014年〜2017年
 ・胡澤能生/第25期−2017年〜

(部分抜粋引用終)

中東と米国そして日本

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


「兇獣が跋扈する国際社会の闇」
2018年12月10日


・トルコのサウジアラビア総領事館を訪れた、アメリカに亡命中だったサウジアラビアの反体制ジャーナリストのジャミル・カショギ氏が、本国から派遣された情報機関のチームによって、館内で惨殺された。


・トルコの新聞によって、カショギ氏が総領事館内で殺害されたと報じられてから、アメリカのポンペイ国務長官が、カショギ氏殺害の疑いをめぐって、サウジアラビアに急いで飛んで、実権を握っている33歳のモハマド・ビン・サルマン皇太子と会見した。


・トランプ政権は、カショギ氏惨殺が事実であっても、サウジアラビアが中東外交の重要な駒であり、武器輸出の大切な顧客であることから、大事にしたくないと望んでいた。サウジアラビア政府は殺害を隠蔽できず認めたが、政府や、皇太子の指示によるものでなく、情報機関が勝手に行ったと言い逃れている。


・それなら、トランプ大統領が笑顔を浮べて、北朝鮮金正恩書記長を抱擁したのは、どうなのか。金書記長は異母兄の金正男氏をマレーシアで、白昼、暗殺したではないか。トランプ大統領は、中国の習近平主席とも抱きあった。中国は新疆ウイグル自治区で100万人以上を「集団訓練所」に拘置して、多くのウイグル人を虐殺している。チベット内モンゴルでも、戦慄すべきことが起っている。


・ロシアのプーチン大統領も、国外に亡命した多くの反体制派を、暗殺している。


私たちの日常生活の感覚で、諸外国を判断してはならないサウジアラビアは、中国、北朝鮮や、ロシアと体質が変わらない国家だ。


・世界は日本国憲法の前文で、たからかに謳っている、「公正と信義」を重んじる「平和を愛好する諸国民」によって、構成されているわけではない。国際社会は兇獣が横行するジャングルと、変わらないのだ。


・私はこれまで本誌で、今年に入ってから2回にわたって、サウジアラビアが安定を保てない可能性が高いと、警告してきた。サルマン皇太子は、サウジアラビアの“脱石油化”をはかって、きらめく近代国家に造り変えようとする、壮大な計画を進めてきたが、私は皇太子の改革が成功するはずがないと、予想してきた。


・カショギ氏はメディアが伝えているような、自由主義のジャーナリストではない。アル・カイーダや、ムスリム同胞団が信奉するイスラム原理主義に加担して、サウジ王家が民意を踏み躙っていることを、亡命先のアメリカから激しく非難してきた。


・サルマン皇太子がカショギ氏を目障わりだとして、計画的に殺害したのは、人口2400万人あまりのサウジアラビアの安定がきわめて脆いことを、示している


サウジアラビアをめぐる報道を、対岸の火災として見てはならない。日本はサウジアラビアを中心とするアラビア半島の産油諸国から、日本経済を支える石油天然ガスの80%を輸入している。アラビア半島が混乱に陥ったら、日本が大きく蹌踉くことになろう。


・日本のテレビの「ワイドショー」は「ショー」(英語で見世物)の言葉通り、視聴者の好奇心だけみたす娯楽番組でしかない。

(引用終)
加瀬英明氏の過去引用ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)。
非専門分野ながら、「最近のサウジ改革は本物だ」というアメリカやオーストラリアの保守派論客の言説には(https://www.meforum.org/articles/2017/daniel-pipes-on-recent-saudi-reforms)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170716)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20171218)、加瀬英明氏のように私も同意できなかった。もしも、今の皇太子によってそれほど簡単に改革できるとするならば、なぜ今まで改革できなかったのかの説明が必要である。それに、他の近隣ムスリム諸国の状況を見ると、サウジアラビアが「イスラームの盟主」として、全体をしっかり統率しているとも言い難い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180403)。表面的には、サウジの体面上、西側諸国からの圧力を懐柔する戦略だったのではないだろうか。
一方、なぜアメリカの保守派論客がサウジの改革を後押しするような論陣を張っていたか、という理由については、恐らくイランとの対決姿勢を誇示するためであろう。イランは、イスラエル撲滅を長らく公然と主張し、実践している国でもある。
一つ、新鮮だったのが、末尾の「ワイドショー」に関する辛口コメント。ここ十年以上、テレビを殆ど見ない生活なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)、たまに行く皮膚科のクリニックや、主人の持病で薬を受け取る薬局の待合室で少し眺める程度だが、本当にくだらない内容をダラダラとうるさく流している。あれを見て、世論を知ったつもりになっている層があるとすれば、恐ろしいことだ。

次に、そのアメリカ保守派に関する一つの洞察を、メーリングリストから抜粋。

広瀬隆アメリカの保守本流


・酷使された言葉だが、「石油のためのイラク攻撃」という、多くの人の誤解を解くことが必要になる。イラク攻撃が石油のためではないという答は読者にとって意外だろうが、その裏には「石炭」と「鉄道資本」が握る共和党政界のメカニズムがある。これこそ、保守本流の地盤である。


・大陸の西部には、ユニオン・パシフィック鉄道の行き着く先にカリフォルニア州スタンフォード大学があり、この鉄道に沿って共和党のフーヴァー大統領、ニクソン大統領、フォード大統領、レーガン大統領が次々と生み出された


・一方、東部の大都会には、ペンシルヴァニア鉄道とニューヨーク・セントラル鉄道があり、かつての栄華は一転して凋落したかに見えるが、この鉄道こそ、メリル・リンチという世界最大の証券会社を生み出し、ブッシュ・ファミリーをテキサスの利権者に育て上げた一族のシンボルだ。しかも鉄道利権が、インターネット時代の光ファイバーケーブルを支配しているのである。


・第二次オイルショック時代の七九年から八九年にかけて、ワイオミング州選出の下院議員となって、八九年から父ブッシュ政権の国防長官に抜擢されて湾岸戦争を指揮した男─リチャード・ブルース・チェニーである。


・チェニーの利権は、地元ワイオミング州が生み出す石炭の支配力にある。やがて彼の一族は、ワイオミングの地底に眠る巨大資源オイルシェールを掘り出すだろう。


・石炭と鉄道資本が握る共和党の地盤。


・そのユニオン・パシフィック鉄道の支配者が、ほかならぬブッシュ親子を大統領に育てた鉄道王アヴェレル・ハリマン一族だった。


・ハリマン家が経営する投資銀行ブラウン・ブラザース・ハリマンの最高幹部から転じて上院議員に当選したのが、プレスコット・ブッシュであり、その息子が父の資産をもとにテキサスで石油を掘り当てCIA長官から大統領になり、続いて出来の悪い息子が間違って大統領になってしまったのだ。


・石油とちょうど反対に、石炭と鉄道はアメリカ国内だけで完結する事業である。紛争を起こさず、国内で着実に石炭を掘り続けてきたので、メディアではほとんど取り上げられず、国際的にまったく地味な存在だ。


・ペン・セントラルに集約される共和党閨閥


・大富豪四人組のUSスチール「鉄のトラスト」を取り仕切った顧問弁護士が、ニューヨークのサリヴァンクロムウェル法律事務所のジョウ・フォスター・ダレス、のちのアイゼンハワー政権国務長官として米ソ対立・核兵器競争を激化させた政界保守本流中の本流だ。


・こうしてあらゆる組織、あらゆる資本、あらゆる産業を近親者で支配したひと握りの共和党閨閥が、ペン・セントラルという鉄道に集約されることになった。


・ワイオミングの石炭とテキサスの石油をつなぐコネクション。


・ワイオミングとテキサスを鉄道でつなぐ閨閥によって、石炭資本と石油資本は一体となっている。


・息子ブッシュ政権の人事部長チェニーは、石炭利権者であると同時にロスチャイルドの人脈でもある。


・彼らの所属する組織は、シンクタンクから軍需産業、メディア、政権幹部ポストへと広大なつながりを持っている。その人脈コネクションを図解すれば蜘蛛の巣のように入り組んでいるが、中心には必ず大きな財閥の資金源がある。


イラク侵攻と北朝鮮問題の軍事プロパガンダに関与した注意すべき主な政策研究所やシンクタンクの名前をあげるだけで、数十のリストができるのである。そこに、キッシンジャー・アソシエーツのような数多のコンサルタント会社が加わる。


・しかもシンクタンクとは、アメリ連邦政府補佐官や側近などをホワイトハウスに送り込む「取り巻きの養成所」であり、同時に政権交代がおこなわれた時の天下り中継組織」である。シンクタンクがよくもこれだけ大量の人間を養っているものだと思うが、国際金融マフィアの法外な収入は充分それに見合うだけの資産を蓄えてきた。

(部分抜粋引用終)
日本とは規模の違う人材ネットワークと膨大な資金力を、決して侮ってはならない。これは、我々が敗戦から学んだ痛い教訓である。最近の「日本は悪くなかった」論調の国内向け出版物の間違いは、そこにある。だからこそ、とても大変だが、二刀流で常に勤勉に努力を続けていくしか、天然資源の少ない小さな国である日本の生きる道はない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180423)。
これは、私が中学生の頃から身にしみて感じていたことである。今も、それは変わらない。
最後に、少し古い記事だが、久しぶりに『メムリ』を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri%2Ejp&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri%2Ejp&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri.jp)。
日本の全国紙でも、この程度は報道していただきたいものである。

https://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP762118


緊急報告シリーズ   Special Dispatch Series No 7621 Sep/14/2018

日本人テロリスト岡本公三を讃えるファタハの公式フェイスブック


ファタハの公式フェイスブックが、2018年8月12日付で、日本人テロリスト岡本公三の写真を掲載し、日本赤軍に関する情報を付記した。1971年5月30日、3人の日本赤軍所属テロリストがイスラエルのロッド国際空港を襲撃し、26名を殺害し、79名を負傷させたが、周知の通り岡本公三はこの3人のテロリストのひとりである。このテロ攻撃を実行する1年前の1971年、岡本公三は、レバノン所在のパレスチナ解放人民戦線PFLP)のもとで、テロ訓練をうけた。3人の内2人は、空港襲撃で死亡し、岡本公三は捕まってイスラエルの法廷で終身刑3回の判決をうけたが、13年後に釈放されたジブリル合意、即ち、パレスチナ解放人民戦線―総司令部派(PFLP-GC)との捕虜交換による。
次に紹介するのは、ファタハの公式フェイスブックの内容である※1。


岡本公三とは誰か(ファタハの主張)
1 パレスチナシオニストに対して攻撃を敢行した日本人戦士である。
2 24歳でイスラム教に改宗し、1972年のロッド空港作戦に参加した。この作戦でシオニスト26人が殺害された。岡本は、弾薬が尽きて捕虜になった。
3 岡本公三は、死刑の判決をうけたが、日本の圧力により、終身刑減刑された。 
4 岡本公三は、1985年に釈放された。


上記がその説明である。ここではっきり指摘しておく必要があるが、パレスチナ自治政府ファタハの公式フェイスブックが、岡本公三をとりあげたのは、今回が最初ではない。2016年5月18日付では、「戦友岡本公三とは、一体どのような人物か」と題して、次のように紹介している。


国際革命家である。1972年5月30日、3人の日本人コマンド隊が、ロッド隊は、手榴弾5発を投擲した。3発を駐機中の航空機に投げ、1発を通関事務所へ、残る1発は駐車中の車両に向けて投げた。その結果、イスラエル人26人が死亡、80人以上が負傷した。コマンド隊は手榴弾攻撃を終えると、空港から後退し始めたが、ラムラ刑務所付近で、イスラエルのパトロール隊と交戦、5人を負傷させた※2。この攻撃でコマンド隊3名のうち2名が死亡した。奥平剛士(通称バッサム)と安田安之(通称サラフ)である。第3の隊員岡本公三(通称アフマド)は負傷し、捕まった。本作戦はPFLPが策定した。


この日本コマンド隊は、日本赤軍に所属していた。ちなみに日本赤軍日本共産党から分離した革命組織で、世界の被圧追人民を支援し、世界の圧制・暴虐植民地主義及び帝国主義勢力に対する、グローバルな革命をひき起すことを任務としていた。この革命組織が注目したのが、パレスチナ大義である。その人民は、超大国に支援されるシオニスト運動の手にかかって塗炭の苦しみを味わい、日常的に暴力と追放にさらされていた。そしてこの革命組織は、当時レバノンを拠点にして(活動していた)パレスチナ革命勢力、特にPFLPと連帯したのである」※3。



[1] Facebook.com/officialfateh1965 , August 12, 2018.
[2] 本テロ襲撃の実際は、この説明とは非常に異なる。
[3] Facebook.com/officialfateh1965 , May 18, 2016.

(転載終)

メーリングリストより

婦人公論』は、図書館の棚で表紙のみ一瞥する程度で、もともと読まない。また、デヴィ・スカルノ氏についても、インドネシアを理解する意味では一つの参考にはなるが、基本的に距離を置いて見ている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150201)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171002)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181018)。だが、不思議な方で、時々、共鳴する記事を発信されるので、以下を。
恐らくは、スタッフが書いているのだろう。参考までに、小保方氏のStap細胞事件については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=+STAP%BA%D9%CB%A6)。

http://dewi-s.com/Ld204209/214191


読者の皆さま ごきげんよう
今日のテーマは『『婦人公論』のインタビュー取材』


先日、『婦人公論』の取材がありました。(『婦人公論』 中央公論社2018年12月25日・1月4日 合併特大号 12/11発売) 


私は小保方晴子さんの特集をずっと組んできた『婦人公論』が不満でした。何十年か前に 私の特集をした『婦人公論』と 今の『婦人公論』はまったく 違う雑誌になっていました。 


あの秀でた研究者 笹井秀樹氏を自殺に 追い込んでしまった彼女。しかも ありもしない STAP細胞のインチキ論文を発表した責任もとらない、そんな人を擁護する『婦人公論』はとんでもないと思いました。


彼女のことは何も判っていない瀬戸内寂聴氏などにおだてられて得意になっている彼女は、私にとって 見苦しい存在です。 


婦人公論』は私のこうした思いを踏まえたうえで、取材の申し出がありました。私はお金の大切さを皆さまに分かっていただくいい機会と思い、取材をお受けすることにしました。


1916年創刊された『婦人公論』は40代〜60代の 主婦層を中心に読者が多く、日本の女性雑誌の草分けなのだとか。 

(部分抜粋引用終)
メーリングリストより。

山田雄司忍者はすごかった:忍術書81の謎


・戦国時代の忍びは、 敵国への侵入、情報収集などを行った。もっとも重要な職務は、 敵方の状況を主君に伝えることであるため、極力戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要があった。


・忍びの必要な要素の一つ。軍術はいうに及ばず、諸芸に通じていて、詩文あるいは謡、舞、小唄、拍子、物まねなどの遊芸に至るまで、適時使うことができ、時間を埋めることができる者。


・その土地の人々から情報を聞き出すためには、仲良くなって言葉巧みに情報を引き出す能力が必要。忍者は、天井裏から聞き耳を立てているようなイメージがあるが、実際には、人と仲良くなって情報を聞き出す陽忍のほうが多かったようだ。


・ネットワークを構築する。日ごろから諸国に知人を作り、情報網を築いておく。


・事が起きてから急に関係を持とうとしても難しい。普段から関係を築くには、詩歌、連歌俳諧茶の湯などの遊芸の類をする。そして諸国に知己をこしらえ、自分の名を世間に知られるようにしておくのがよい。


・どのようなことがあっても、その当時流行っていることを身につけておけば、各地に通じやすい。


・何かあってから情報を得るために奔走するのではなく、日頃から各所に知り合いを作っておけば、常に情報が入るし、何か起こった時にはその人物を頼って情報を得たり対策をとったりすることが可能だ。


・「芸は身を助ける」とのことわざもあるとおり、いい関係を築くためには共通の趣味を持つのが良い。利害関係のない付き合いをすることは、さまざなま面で(ママ)頼りとなるものだ。


・言いにくいことは酒の席で言う。


・日々の生活すべてが修行。


・修行の第一は、儒学の書、軍書などを数多く読み、何事も広く学び、山野を歩き回り、寒い暑いも我慢して夜道を歩き、深夜にも高山を登り、厳寒であっても山奥の谷に降り、暑中であっても怠ることなく精神を集中させ、鍛錬することを修行の第一とする。


・忍者にとって修行は、総合的能力を高めること。


・文武両道を実践するため、まずは学問の素養を身につける必要がある。これも特定の分野だけでなく、さまざまな領域にわたる広い素養が求められた。その上で、肉体的鍛錬を行った。


・その際は筋肉をつけるのではなく、 忍耐力を高めるために、暑さ寒さ、昼夜にかかわらず、 高山に登ったり険しい谷に降りたりすることを繰り返すことで、 持久力および瞬発力の強化にも繋がったのだ。

(部分抜粋引用終)

明治の英傑

加瀬英明氏の過去引用ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


「明治を創った英傑に、国を想う心を学ぼう」
2018/12/4


・今年は、明治維新150周年に当たるが、『日本の偉人物語 伊能忠敬 西郷隆盛 小村寿太郎』(光明思想社)という、幕末から日本を創った3人を取りあげた、良書が出版された。各家庭に1冊、常備したい本だ。


伊能忠敬(1745年〜1818年)は農家の子で、和算(数学)、天文学、測量を学び、55歳から17年かけて全国の沿岸を測量して、精密な日本全図をのこした。


・今年は、忠敬の没200年に当たる。私は忠敬の次女しのが、千葉の銚子の隣の旭村(現旭日市)の農民・加瀬佐兵衛に嫁いだことから、忠敬の孫の孫の子である玄孫に当たる。


・この春に、忠敬の没200年を記念して、都内のホールにおいて、忠敬の測量に協力した人々の子孫が70数人上京して、私たち忠敬の子孫から、感謝状を贈る式典が催された。


・忠敬は日本の近海を脅かすようになっていた、西洋諸国から日本を守るために、精密な沿岸図をつくるのに、余世を捧げた。私の父方の祖父は、私の生前に他界した。祖母のか津は、忠敬が養子となって酒造りをしていた佐原の庄屋の近くの、醤油造り家の娘だったが、私に忠敬の国を想う心を伝えた。


・忠敬の直弟子であった間宮林蔵も、烈々たる愛国者だった。忠敬の没後に、北方の千島列島と樺太の測量を行ない、幕末の安政2(1855)年に結ばれた露和新条約によって、国後、択捉、歯舞、色丹の北方四島を、日本領として認めさせた。


・今日でも、樺太とシベリアの間の海峡が、間宮海峡と呼ばれるが、林蔵の業蹟である。日ロ間で明治5(1875)年に、千島樺太交換条約が結ばれ、千島列島がすべて日本領となったが、林蔵の力によるものである。


西郷隆盛は、私の母方の郷里の鹿児島が生んだ、明治維新の英雄だ。西郷の大活躍はよく知られているが、西郷の右腕として尽力したのが、山岡鉄舟だった。鉄舟なしには、西郷と勝海舟による江戸無血開城はなかった


・鉄舟は旗本の五男で、剣道の達人だったが、生涯、無私無欲で、日本の行く末だけをひたすら想った。西郷に鉄舟を評して、「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬといったような、始末に困まる人です」といわせている。西郷だからこそ、鉄舟を見込むことができたのだった。


小村寿太郎(1855年〜1911年)は、今日の宮崎県にあった、飫肥藩(おびはん)の藩士の子として生まれた、明治を代表する外交官である。


・寿太郎は小柄だったが、日本男子の気魄にみちていた。寿太郎が育った、日南市にある『小村寿太郎記念館』に、寿太郎が日露戦争講和条約であるポーツマス条約を調印した時に着た、フロックコートが展示されているが、七五三の少年の衣装のように小さい


・私の自宅の近くに『振徳館』という、飫肥藩の藩校の名をとった、武道の道場があるが、毎年、新年の道場開きに招かれて、乾杯の発声を行うことになっている。居合、警視庁師範による逮捕術、陸上自衛隊員による銃剣術、空手道の演武などが、繰り広げられる。


・日本が明治維新という、世界の奇蹟を行うことができたのは、国民が国を想う燃えるような心と、武を磨いたからだった。


日本国憲法は前文から、自虐精神によって始まっており、日本が自立することを否定している。幕末から明治にかけた先人たちが、この憲法を読んだら、いったい、どう思うだろうか。

(部分抜粋引用終)

流行の教育方法論とは

古いメーリングリストを整理していたら、以下のようなものが出てきた。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2748    H30.01.24   7,975部


方法論に終始する「問題解決型学習」
今井信吾


・従来の授業形態を知識詰め込みの「知識注入型教育」であるとして批判する中で導入されたのが「ゆとり教育」であった。昭和55年度から小学校、中学校、高校と徐々に実施されたが、大まかに言へば「(1)教科内容と授業時間数の削減、(2)教科書のない『総合的な学習の時間』の設置、(3)自ら課題を見付け自ら学び考へる主体的な問題解決力の育成」といふものである。


・しかし学力の低下が指摘されたことから「ゆとり教育」が指向され、新たに提唱されたのが主体的・対話的で深い学びの実現を目指す「アクティブラーニング」(問題解決型学習)であった。


・もともとアメリカの教育学者、ジョン=デューイ(1952年歿)の学習理論で、「学習」とはそもそも能動的に行ふものであり、知識の暗記のやうな受動的な学習ではなく、自らの問題を発見し解決していく能力を身につける、といふものである。


・この学習の特徴は、まづ自分で教科書で基本的な知識を理解することを前提とし、それを踏まへて授業で積極的に他者と対話しながら自分の意見を形成していくところにある。現在、学校現場ではこの「アクティブラーニング」の研修会や授業実践が盛んに行はれてゐる。


・筆者が参加したある研修会で、講師の大学教授は「私の90分間の授業で講義するのは10分間だけ。あとは学生によるディスカッション(討論)やプレゼンテーション(報告・発表)を自由にさせてゐます」と語ってゐた。つまり、先生が教壇に立って教授することを極力避け、学生の自主性に任せるといふ方法なのである。


・一昨年度、某校(一年生)の「総合的な学習」の時間で課題研究が行はれた。まづ各自が自分に関心のあるテーマを準備する。それに基づいて研究テーマを絞り込むためのブレーンストーミング集団思考、集団発想法)を行ふ。テーマが決まったら、グループごとの討論、ICT(コンピュータ―やネットワークを使ふ情報通信技術)による発表を行ひ、最後は到達目標に達したか否かをルーブリック(評価指標)によって生徒たちを指導する。


・生徒の中には、テーマと真剣に向き合ってゐない者もゐて、少し行き詰まると「先生、別のテーマに変へてもいいですか?」と言ってくる。そして新しいテーマに関する情報をインターネットから巧みに引用し情報を上手に「整理」して発表を終へる。論点などない。したがって、生徒同士が真剣に討論することもないし、発表者に質問をすることもない。すべてが表面的な作業である。生徒の知識理解は二の次なのである。これでは学力がつくはずがない。


・須く「学問は学者の人格、志、生き方を離れては存在しない」(福田恆存)ことを忘れてゐる。


・このやうに今の教育界ではカタカナ語を頻用した方法論に終始して、基本的な「ものを考へる(言葉を学ぶ)」「志を育てる」といふ教育が等閑りにされてゐる。学習指導要領がいふ「人間性豊かな教育」を実践するためには、自由気ままにおしゃべりをすることではない。古典的名著や偉人の生き方に謙虚に学び、「人生」の質を高めなくてはならない。古典に宿る先人の命に触れれば、生徒の心も自づと躍動する。心を働かす訓練なくして単に方法や技術に固執する考へ方は、社会制度を変革すれば社会は良くなるとした人間不在の社会主義思想にも通じるのである。


・筆者は「アクティブラーニング」と言ふならば、幕末の「吉田松陰先生に学べ!」と言ひたい。先生の『野山獄読書記』を開くと、「甲寅((安政元年))10月念4日((24日))入獄」からその年の12月までの僅かの期間に資治通鑑』や『日本外史』など「大略106冊」を読破したと記されてゐる。先生は熱心に読書をする一方で、ほぼ全国を旅して知識を吸収し、大事な事柄については抄録を作り、感想を記し、野山獄や松下村塾では弟子たちと真剣な討論も展開したのである。


・これぞ我々が目指すべき「問題解決型学習」のお手本ではないか。わが国にも立派な先達がゐるのである。かうした具体的な教育実践に真摯に学ぶ姿勢こそ、今日の教育界に最も必要なことだと思ふ。

(抜粋引用終)
「問題解決型学習」は、学校でする課題ではなく、学校を出てから個別に社会人として取り組む姿勢である。学校は「基礎学力を身につけ、社会性を学び、生涯に及ぶ勉強の方法を知る所」である。若いうちから、妙な実践をしてはならない。
この「ディスカッション学習」を新聞のコラムで読み、二十年以上も前に某大学の授業で試してみたことがある。時間がダラダラと流れるだけで、全く駄目だった。いきなり問題設定しても、結局は、その場の思いつきしか学生は発言しないし、「多角的な物の見方を養う」と前提すると、正解どころか、答えの骨子そのものがなくなってしまうのだ。また、途中でこちらが知らない話題が飛び出すと、対処ができなくなる。
基本は読み書き算盤。教育を受ける目的は、生涯にわたる人格の陶冶と国益に沿うもの、という原則を徹底させなければならない。
恐らく、欧米の大学や日本国内の留学生達が、積極的に人前でも滔々と話す様子を見て、刺激されて「グローバル化への対応」として学校でも導入に至ったのであろう。だが、外来方式は、必ずしも日本の国是や民族性に合致しないこともある。奥ゆかしく、じっと周囲を観察して、黙っていても自分の内で考えをまとめている学生や生徒達もいるはずだ。「沈黙は金」が世の中で通用する場合は、今も少なくはないと思われる。
要再考。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2777   H30.05.02   7,946部


「小学校教育の経験から思ふこと」
沢竹助六


・今から10年近く前の話になるが、約半年間、千葉県の某公立小学校に産休代替講師として赴任した。卒業を控へた第6学年の担任だった。


・いよいよ児童との対面である。教室で児童の自己紹介を聞きながら名簿を見て驚いたのは、記載されてゐる名前が男女で混在し、性別を問はず五十音順であったことである。最近の名前は読み方や性別がはっきりしないものが多い。この名簿は生徒の顔を名前を覚えるのに苦労するばかりか、クラスの運営上でも非常に不便なものであった。


・名簿の問題は、一人づつ男女のチェックを付けることで乗り切ることができたが、性別や年齢を問はず全ての児童に「○○さん」といふ敬称を付けることを強要されたことは実に不快であった。男子の児童に対して「○○くん」と話しかけたら、間髪入れず女性教員から「"さん"と呼んで下さい!」と、児童らがゐる前で叱責された。かういった"ジェンダーフリーごっこ"は多々あったが、なによりもこのやうなことを児童の前で注意されてしまっては、教師の威厳も何もあったものではない。否、さういったものはそもそも教室には無かった。


・「先生は、まだこの学校に慣れてゐないから、みんなで助けて、仲良くしてあげませう。」小学校では教員と児童が友人関係なのだらうか、と考へさせられた。失墜してしまった教師の立場は、最後まで完全には払拭できなかったやうに思ふ。


・授業は、いはゆる主要な科目の時間がとても少なく感じた。学校5日制(土日休業)のため授業時間数が少くなってゐるにも関らず、勉学以外の不思議な名称の時間が多く設定されてゐた。算数は辛うじて週に5コマあったが、特に国語は週に4コマしかなかった。そして国語が無い日に私の頃には存在しなかった「外国語」の授業が設定されてゐた。


・「外国語」とは英語である。それは市から派遣されてきた日本語が話せるネイティヴの教員助手に一任され、担任はそれを部屋の隅で見てゐるといふ形態であった。


・国語の授業の少なさによる文章力の低さは、直ぐに卒業文集の作文指導に支障が出た。特に漢字や日本語の不正確さが目立ち、またカタカナ語の使用が非常に多かった基礎学力の低下は明らかだと思はれた。


・3年前、音楽教育の現場で大きな出来事があった。半世紀に渡って東京藝術大学を中心に使用されてきた音楽の基礎科目の一つであり、音の響きの理論である「和声」の教科書が一新され、長年我が国で使はれてきた方式ではなく、欧州風のものに変ったのである。


・編者によると、その大きな理由の一つに、日本人の演奏する西洋音楽は日本語の発音のやうで海外では通用しないので、聴感覚を西洋人の耳に近づけなければならない、といったものがあった。かうした話は音楽の世界では、例へば国際的なコンクールで日本人が落選する度に聞かされてきた。


再現芸術である音楽においては一定の理解はできることではあるが、そこには危ふさもある。実は西洋の模倣でよければ、さほど芸術などは難しいものではない。そこを超えた部分に芸術の真の価値があり、それが困難な課題なのである。

(抜粋引用終)
基礎学力の低下は、国力低下につながる。
「和声」については、遥か昔の学生時代、カワイのピアノ検定受験のために音楽理論を教科書で独習した時、非常に感銘を受けたことを思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070910)。あの頃の教科書はまだ良かった。クラシック音楽は西洋由来であるが、まともな西洋人ならば、東洋人の猿真似演奏等、聴きたくもないだろう。
最近、韓国人の若手ピアニストが日本に来て、日本人に対して「ショパンとは...」等と、既に誰もが知っていることをわざわざ解説しているのを聴いて、どこか違和感を覚えることからもわかる。
内田光子さん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%E2%C5%C4%B8%F7%BB%D2)が高く評価されている理由は「我々の真似ができないような方法で、我々の音楽を理解し、解釈し、実演している」からである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181103)。
要想起。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2766   H30.03.19   7,946部


古典と歴史の中に自分の志を見出さう
今村信吾


・本年度、生徒指導主事を任されることになった。生徒指導主事とは、文字どほりその学校の生徒指導に関する業務を総括する係である。近年では、生徒の問題行動に対応したり、問題行動・事件事故を未然に防ぐ係といふ消極的な見方があるが、実はそれだけではなく、生徒の在り方生き方を考へさせる係でもある。


・本校では毎年4月、新入生の集団宿泊研修といふものを2泊3日で実施してゐるが、そこで生徒指導講話を30分間行った。講話の中心は、志を持てといふ内容で話した。


1 学問の喜び

子曰く、学んで時に之を習ふ、亦説ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦 楽しからずや。人知らず、而して慍らず、亦君子ならずや。 (『論語』学而第一)


孔子中国古典に学び、それだけに終らずに自分の真なる生き方を求め続けた人といへると思ひます。これこそ孔子の志であったのです。孔子中国の古典を信じて、生涯学問に励んだ人と言へるでせう。志とは、心に堅く決したこと、心に誓った信念といふ意味です。


2 学問の志


志といへば、私は吉田松陰の志を思ひ出します。


松陰は、学問に取り組まうとするなら、それを行ふ者の志がどこにあるかを問題にしてゐます。それは人としての正しい生き方を学ばうとする心がなければならない。名誉や利益を得るための学問など学問とは言はない。そのやうな「学問」は、「学問」が進めば進むほど弊害が現れると言ひます。

其の心に作るとは初一念の事なり。人は初一念が大切なるものにて、どこまでも付回りて、政事に至りては、其の害最も著はるるなり。今、学問を為す者の初一念も種々あり。就中誠心道を求むるは上なり。名利の為にするは下なり。
故に初一念名利の為に初めたる学問は、進めば進む程其の弊著はれ、博学宏詞を以て是れを粉飾すと云へども、遂に是れを掩うこと能はず。大事に臨み進退拠を失ひ、節義を欠き勢利に屈し、醜態云ふに忍びざるに至る。
(『講孟箚記』勝文公下から)


松陰は、下田でペリー艦隊のポーハタン号に向ひ密航を企てるが失敗に終り、萩の野山獄に入れられます。その獄中で「孟子」の勉強会を始めるのです。

今且く諸君と獄中に在りて学を講ずるの意を論ぜん。俗情を以て論ずる時は、今已に囚奴と成る。復た人界に接し、天日を拝するの望あることなし。講学切して成就する所ありと雖ども、何の功効かあらんと云々。是、所謂利の説なり。仁義の説に至りては然らず。人心の固有する所、事理の当然なる所、一として為さざる所なし。
人と生れて人の道を知らず。臣と生れて臣の道を知らず。子と生れて子の道を知らず、士と生れて士の道を知らず。豈恥づべきの至りならずや。若し是を恥づるの心あらば、書を読み道を学ぶの外、術あることなし。已にその数箇の道を知るに至らば、我が心に於て豈悦ばしからざらんや。
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」と云ふは是なり。亦何ぞ更に功効を論ずるに足らんや。諸君若し茲に志あらば、初めて孟子の徒たるを得ん。
(『講孟箚記』粱恵王上から)


松陰のどんな環境でも、卑屈になることなく、前向きに己の道を求めていく姿に感動させられます。


3 天野清三郎の生涯



天野清三郎は安政4年の冬、15歳で松下村塾に入門しました。天野は高杉の下で勤王倒幕運動に従事します。高杉は頭のいい天才的な人物でした。しかし、彼は、機転が利き、決断力や行動力のある高杉と自分を比較して、自分は頭も悪く、臨機応変に対応する能力がない、このままだと高杉さんの足手まとひになるだけだと悟ります。では、自分は何をすべきだらうか。


夷等此の時に乗じ再び前請を申ねば、国家の大体、華夷の名分を知らざるもの、動もすれば一時権宜の策に託し、国体を屈し和議をなさん杯いふに及ぶべきも量るべからず、実に寒心すべき事に非ずや。此の時に方りて堅艦の夷人を制するに足るものを製し、糧運に支りなく、又応援に便ある如くなさずんば、何を以て守りを為さんや。
(『将及私言』「船艦」から)


天野はこの松陰の言葉に「さうだ、自分は頭は悪いが手を使ってものを作ることは好きだ。松陰先生の教へに従ひ、船造りにならう。そして日本を守るぞ」と決意したのでした。松陰は何気なく言った言葉かも知れませんが、天野にはそれを受け流しせず、心で受け止めたのでした。ここに注目してください。


そこで天野は慶応3年、脱藩し上海に密航しました。そして上海からロンドンに渡り、ロンドンのグラスゴー造船所で働きながら船造りを覚えました。


造船所で働いてゐるうちに技能だけではなく、もっと基礎的な学問が必要なことがわかってきました。造船に関する学問です。そこで天野は昼働き、夜間の学校に通ふことにしました。そしてさらに専門の学問だけでなく英語や数学、物理学も勉強しました。本当に血を吐くやうな思ひで勉強に取り組んだのでした。そして、努力の甲斐あって見事3年で卒業することができましたが、しかし、彼はそれだけでは納得がいきません。


大西洋を渡り、アメリカのボストンの造船所で働きながら、学校に通ったのでした。


さうやって天野は苦学の末に造船学をマスターして、明治七年に帰国を果しました。政府は、天野が造船学を学んだことを知ると、政府は長崎造船所の建設に力を貸すやう要請、その後、長崎造船所の所長に抜擢しました。而して天野は日本造船業界の草分けとなったのでした。


松下村塾では、あまり目の出なかった、勉強嫌ひの天野清三郎がロンドンやボストンで血を吐くまでに勉強できたのはなぜか、どうしてそこまでしてがんばれたのか、その底力はどこにあったか。それは天野が立てた「志」に他なりません。高杉晋作の下で働く中で、自分は何のために生きるかを真剣に考へ、松陰の言葉に発奮して、自分の持ち味と世の中への貢献とを結び付け、己の志を発見、見事貫いたのです。


4 最後に


「自分探し」といふ言ひ方があります。それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること、といふ意味です。これだと自分の生き方がどこか別の場所に存在してゐるやうな印象があります。友人や先生、家族や国家とのつながりを求めていくのではなく、さういふ人間関係を遮断してゐて、果して志が生まれるでせうか


みなさんは自分の生き方をよそに求めるのではなく、己の中に求めてください。是非、古典や歴史の中に、また先人の言葉を手がかりに自分の志を発見してほしいと思ひます。

(抜粋引用終)
二十代後半の頃、「"自分探し"はいつまでも続く」と聞いたことがある。あの頃は、書店の女性向け本でも、「"自分探し"の旅」という話題が目立った。果たして、その結果は如何に?
一方、「いつまでも"自分探し"ですか?」と問われたことがある。
否。私は「自分探し」などしていない、ここに「私=自分」がいるではないか、と言い返したい。世の中を自分が納得のいくように理解したいから、学生時代から気になっていた諸分野について、自ら本を読み、学んでいる過程なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171031)。
そういう、他者を誤解したままの人が上に立って指導していた環境にいたので、私は出てきたのだ。
要猛省。

No.2825 H30.11.09 7,836部


あなたは自分の言葉で日本を語れますか?


いくら外国語ができても、自国の歴史文化も語れない「根なし草」では、外国の歴史文化も語れず、外国人と語り合うこともできません。そういう日本人が多いのは、日本の歴史教育の問題ではないでしょうか?


我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を深める」


この学習指導要領の目標が達成されていれば、それを「根っこ」として国際社会でも逞しく生きていける「国際派日本人」が育つはずです。現在の歴史教科書は、この目標を達成しているのでしょうか。

(抜粋終)
例えば英語学習のために、反日リベラル左派の英文雑誌を購読したり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170410)、NHK講座のとみに変になってきた外国人講師の発話をリピートしたりすれば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170526)、まともな西洋人からは相手にされないだろうし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160905)、良家で育った東洋人からも見下されることだろう。
まずは、しっかりとした国語と国史の力をつけることだ。そして、それを基本的な英文法と英単語によって置き換える訓練をする。その意味で、海外文通は、私の学生時代には良い趣味と実益を兼ねていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081001)。後は、著名な諺や名文とされる模範文を繰り返し発音して暗記する。いざという時、切り返しが鮮やかになる。

信用してはいけない政党

古いメーリングリストから抜粋を。

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2752 H30.02.07  7,946部


社民党ほど人の心を弄んだ党を知らない」
某メーカー勤務社員


社民党の党首選、立候補者がおらず存亡の危機だと聞いた。党首に立候補する者もいないほど社民党は疲弊しきった政党なのだ。


社民党ほど人の心を弄んだ党を知らない。社民党は日本にいらない。


湾岸戦争前の1990年、イラクは外国人を「人間の盾」として人質にした。その時、弊社のバグダット駐在員2名も幽閉され出国できなかった。社員が人質になった各社はあらゆる手段を使い、人質とコンタクトしようと努めた。私は当時、海外人事課に所属し、その窓口だった。


・当時はパソコン・インターネットもなく、テレックスはあったものの第三者に見られる恐れがあるので使用せず、社員との唯一の通信手段は国際電話しかなかった。国際電話も申し込んでから繋がるまで8時間以上かかった。通話はすべて隠語を使いながらだったが、少しでも横文字単語が使われると盗聴されていて、電話はぶっつと切られた。現地には物資もなく、届出るために国会議員等に八方尽くした。


・当時の社会党党首土井たか子からも呼びかけがあり、バグダットに行きフセインに会うので、皆さんの要望を直接伝えたい。だから議員会館で話を聞きたいと申し出があった。(実際行けなかったようであるが・・・)


・祈るような気持ちで留守家族と私のような駐在員を派遣している会社の社員は議員会館に行き、一室に入れられた。しかし、かの土井たか子は予定があるので皆さんの話しが聞けないと、顔も見せなかった。挙句の果ては解散するので帰って欲しいと社会党の議員から言われた。


・30名前後集まっただろうか。集まった人たちが激高したのも当たり前である。四国から来た某社駐在員の母親は、「息子のことが心配で、わざわざ四国から、呼びかけに応じて来たのに、何ということだ。人の心を弄び馬鹿にするのもいい加減にして欲しい」と泣きながら訴えた姿を今でも鮮明に思い出す。


社会党拉致被害者の件でもしかりだが、同胞を助けよう、力になろうなどという気持ちは微塵もなかった。それが証明されたのだった。


社会党とはそれだけいい加減な政党だった。それを肝に銘じた。その後の衆議院選挙で大敗したのもむべなるかな。だから、現在の社民党の議員、なかんずく福島瑞穂や現立憲民主党辻元清美が何を言おうと、彼女らの言葉は口先だけであり、信用できるものではないのだ。いや、信用してはいけないのだ。絶対に

(抜粋終》

土井たか子氏については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160714)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171226)。辻元清美氏は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)。福島瑞穂氏は、こちらにある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180626)。

社会党は、所謂「女性の社会進出」を後押しした政党としても銘記される。参考までに、以下の記事を。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://style.nikkei.com/article/


「女性抜擢人事のその後 りそな、成長の芽育む」
2014/10/4


現在りそなグループで支店長以上の女性幹部社員は43人に上る。女性管理職比率は23%で03年比3倍だ。女性活躍と軌を一にし、経営再建が進んだ。

(引用終)
← この記事は好意的に書いているが、口座を持っている顧客としての私は正反対の意見だ。


昔は、大和銀行りそな銀行では、窓口の行員がきれいな若い女性達で、テキパキと働いており、少しでも預金すれば、厚手ガラスのカップやしっかりしたタオル等のプレゼントをもらえた。当時は利率も今よりは高く、預け甲斐があった。男性陣も張り切って凛々しかった。


今や、私よりも老けた感じの女性行員と出っ歯で禿げ頭の中年男性が、ゆっくりと働いていて、よろず時間がかかる。例えば、4ヶ月ほど前、1万円の新札をお願いしたところ、「時間規定がある」「新札への交換には手数料がいる」と言われた上、何分も待たされた。こちらの預金通帳を見て、「昔は利率が高かったんですねぇ」と当たり前のことを言ったりもする。


バカバカしいので、歩いて1分の近くの京都銀行に行ったところ、手数料も時間規定もなく、その場で新札がすっと出てきた。行員は、二十代ぐらいのきれいどころの女性達。


これでは、どちらの銀行に足が向くか、考えなくてもわかりそうなものだ。

(転載終)