ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

八幡社は新羅由来

『萬晩報』主宰の伴武澄氏の著述に関する過去引用ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180427)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180506)。
以前は、書かれた内容を理解するのが困難だったが、時間というものはありがたく、最近ではすっと入ってくるようになった。
理解が難しかった理由は二つ、考えられる。(1)学校で習った教科書とは異なる事項や解釈が書かれていたこと(2)従来の自分の興味関心と重複する部分が少なかったこと、である。

『萬晩報』(http://yorozubp.com/


新羅の神さまだった八幡社」
2018年1月10日
萬晩報主宰 伴 武澄


高知市の北部に「秦」いう地名があってその西に秦泉寺もある。高知県の西部地方は幡多郡という。


・テーマはその秦だった。


宿毛市へ行くと土佐国とは別に「幡多国」があって、歴史的に九州から移り住んだ人たちが西から開発を進めたのだと解説された。高知県には「はた」に関連する地名が多いのである。


・八幡社は八幡太郎源吉家が石清水八幡宮を奉ったことから全國に広まり、日本の神社八万社の半数以上が八幡様となっている。この神社が新羅由来の神さまと知ったら日本人は驚愕するだろう。


八幡様の本家は大分の宇佐八幡宮である。古代の宇佐は新羅からの移住者が定着した土地。歴史書(八幡宇佐宮御託宣集)に「辛國の城に、始て八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり」という有名な一文がある。豊前国風土記には「昔話、新羅の國の神、自ら度り到来りてこの川原に住みき、すなわち名を鹿春の神といひき」とある。現在の福岡県田川郡香春町を流れる金辺川の川原に新羅国の神が天降ったということである。新羅の人々はその後、豊前に移り、定着した。


・隋書倭国伝に608年の小野妹子の遣隋使の答礼使の記事として「竹斯国にいたり、さらにその東に秦王国がある」とある。「王国」と書いてあるのは興味深い。さらに「其人同於華夏以為夷州疑不能明也」とある。なぜ中国人が野蛮な国にいるのか不明というのだ。この時期、秦河勝が朝廷で活躍している。また大宝年間に作成された正倉院文書の豊前国の戸籍に「秦部」「勝部」とあり、700年ごろには新羅系渡来人が完全に定着していたことが分かる。


新羅百済が併存していた時代の前、朝鮮半島には三韓という時代があった。馬韓辰韓などがあった。中国では秦の始皇帝の時代である。始皇帝の圧政に耐えかねた人々が朝鮮半島に逃げ込んできた馬韓は東部の地を彼等に与え、その地が辰韓となった。辰韓では秦の言葉を使ったので、秦韓ともいわれた。


・これらは後漢書など中国の歴史書に記述がある。邪馬台国があったずっと前の歴史である。新羅つまり辰韓が中国人による国だったとすれば、多くの疑問が氷解する。


日本書紀の記述では百済新羅から大和の国に度々朝貢があった。その使節団の人々の名前が、新羅は中国式の姓が一字の人であるのに対して百済は万葉仮名のような表記の長い姓なのである。また白村江の戦い唐が新羅について大和と百済と戦った構図も分かりやすい。豊前に定着した秦氏は当時としては高度な知識を持っていたことは当然のことで、大和朝廷が宇佐の人々に一定の尊敬を持って処遇した。秦氏は自らも列島に広がったことは想像の範囲で、朝廷に招かれて高官となった人々も少なくない


土佐は西側から開発されたというのは歴史の定説。幡多郡、秦という地名も残っている。秦時代の中国からの移民が辰韓つまり新羅を経て、筑紫に渡り、豊前を経てさらに土佐にやってきたのだ。長宗我部氏が先祖を秦の始皇帝とするのはいささか乱暴だが、秦国由来の人々であるとするのは合点がいく。

(部分抜粋引用終)

どうした、今の日本!

メーリングリストより。

致知』2019年1月号
特集「国家百年の計」p.20


【占部】平成時代の教育の実態はどうかというと、30年間で日本の教育はますます悪化しています。「教育基本法」の改正に伴い確かに教育改革は進みました。いじめ対策も立法化までして取り組んでいますが、いじめ問題も不登校も結果的に増えている


【野口】私も占部先生のいまのお話に全く同意見です。先生は制度の改革が成果に結びついていない理由をどのようにお考えですか。


【占部】やはり中身が伴っていないんですね。平成11年に国旗国歌法が施行されましたが、先生たちはいまも多くが歌っていません。歌っていないけれども起立していますから、一応は歌ったとカウントして報告される。それと同じで制度のいじくりだけが進んでいるわけです。


一方で大変面白いのは、外国人の目によって日本の教育の素晴らしさが分かってきたのも平成なんです。


阪神・淡路大震災の時、諸外国から報道関係者や調査団が避難所を訪れて、あの過酷な状況の中で人々がゴミの分別をきちんとやっていた姿を見て大変感動し驚くんです。実際、韓国の新聞はそのことを大きく報じています。


アメリカの調査グループはさらに、その理由を調べました。そこで分かったのが、日本人の整然と協力する姿勢の背景に小学校からの班単位による学校掃除があることでした。


【野口】日本の学校のどこでも行っている清掃活動が背景にあったというのですか。


【占部】ええ。日本人にとってはそれが当たり前でも、子供に学校掃除をさせない国が多いのが現状ですから、外国人にとっては驚くべきことだったんですね。


エジプトでは崩壊寸前の教育を再建するために、大統領自ら日本の学校掃除に注目し、いま学校に掃除を導入しています。学力世界一のシンガポールも、頭だけの教育じゃ駄目だというので、一昨年から日本の学校掃除を取り入れています

(引用終)
学校の掃除だけでなく、給食の配膳と後片付けについても、短いビデオを見て、フェイスブック上でアメリカ人の知り合いが褒めてくれた。
それにしても、なぜ平成になってから教育の質が悪化したのか、興味がある。私見では、昭和の時代に社会主義思想が広まって、マスコミや教育においても大衆化と悪平等志向があり、模範的な人の足を引っ張る風潮があったことと、その影響を受けた世代が主導権を握る時代に突入したからではないだろうか、と思われる。

加瀬英明氏のブログ引用を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)。

http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi


ペリー浦賀来寇から僅か15年で明治元年となった
2018/11/30


・私は昭和40(1965)年に、東京放送(TBS)が出資して、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)の最初の外国語版の『ブリタニカ国際大百科事典』(全21巻)を編集して出版した時に、初代の編集長をつとめた。29歳だった。


・編集の最盛期には、翻訳、縮訳と、新しい項目をつくるために、200人以上が携わった。当時、もとのブリタニカ百科事典といえば、欧米を世界の中心としていたから、額田王和泉式部も、義経も、二宮尊徳も、平田篤胤も、日本で自動車をつくっていることも、載っていなかった。そこで、日本とアジアの新しい項目を、加えなければならなかった


・今年は、明治維新150周年に当たる。年表をみると、ペリー提督が率いる黒船艦隊が浦賀に来寇したのが、嘉永6(1853)年だった。日本は僅かその15年後に、「御一新」と呼ばれる明治維新を行うことによって、明治元年を迎えた。


・イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けたのが、天保10(1840)年だったが、ペリーが来冠する13年前のことだった。幕府も諸藩も、長崎に入港するオランダ船から入手した、海外の最新の情報をまとめた『オランダ風説書』によって、詳細な情報を手に入れていた


・ペリー艦隊が搭載していた砲の射程が、3500メートルもあるのに対して、わが砲は家康の時代から変わっておらず、射程が4、500メートルしかなく、日本の古い砲が火玉しか発射することができないのに、ペリーの砲身のなかに螺旋が施されて、威力がある炸裂弾を撃つことも知っていた。


阿片戦争から明治元年までの28年間を振り返ると、戦後の日本の目覚ましい経済復興をもたらした、驚嘆に価いするエネルギーをみる思いがする。


島崎藤村の『夜明け前』といえば、幕末の木曽路の宿場町の生活を、克明に描いた長編小説だ。山深い木曽路にある宿場が舞台となっており、庄屋の青年である青山半蔵が主人公である。半蔵は家業に励しむかたわら、賀茂真淵本居宣長平田篤胤をはじめとする江戸時代の国学者の著作を学んで、日本の行く末を真剣に憂いていた『夜明け前』を読むと、幕末の日本をよく理解することができる。あの時の日本には、半蔵のような青年が、全国のどこにでも存在していた。江戸時代に入って生まれた国学と、半蔵のような国民が、未曽有の国難に見舞われた日本を救ったのだった。


・だが、あの時の日本を護ったのは、天皇の存在だった。もし、幕末に天皇家が存在しておらず、徳川家しかなかったとしたら、日本は洋夷に対してまとまって団結することがなく、独立を全うできなかったはずだ。


・来年4月に、平成が31年で終わる。このあいだに、中国、北朝鮮からの脅威が募るなど、日本を取り巻く国際環境が、いやおうなしに緊迫するようになった。


・それにもかかわらず、日本はこの30年のあいだ、泰平の深い眠りから醒めずに、72年前にアメリカの占領軍が、銃剣を突きつけることによって強要した『日本国憲法』を改めることができずに、眠り続けてきた。いまだに護憲派が強い力を持っている


アメリカによって与えられた「新憲法」のもとで、日本は徳川期の一国平和主義――鎖国の繭のなかに、ふたたび閉じ籠ってしまってきた。国際環境がいっそう厳しさを増してゆくなかで、一国平和主義の繭を一日も早く破って、成虫になって羽搏かなければ、この国が亡びてしまおう。


明治維新150周年を、ただ祝うだけであってはならない。日本は150年前に世界の現実に適応することによって、独立を守ることができたのだった。いま、安倍政権がようやく現行憲法のごく一部を改正しようと、眦を決して乗り出した。


アメリカは日本占領が始まった翌年に、日本を未来永劫にわたって自立できない国に変えるために、『日本国憲法』を強要したのだった。


憲法第95条で、「改正」という言葉を用いているから仕方がないが、私は親しい国会議員に、改正を呼び掛ける時に「改正」ではなく、「修正」という言葉を使ってほしいと訴えている。「改正」というと、現行憲法を全面的に書き改めようとしている、誤解を与える。


・このところ日本文化への共感が全世界にわたって、ひろまるようになっている。幕末から明治にかけて、ジャポニズムと呼ばれたが、浮世絵を中心にして日本の美術がヨーロッパ、アメリカの芸術に大きな影響をおよぼした。日本文化に関心が集まるのは、それ以来のことだ。


・かつてのジャポニズムが、視覚に限られていたのに対して、今回の日本文化の高波は、食文化から精神のありかたにまでわたっており、はるかに深いものがある。和食の流行は、和食が自然と一体になっていることから、健康志向によって支えられているが、日本が発明したスマートフォンのエモジや、ポケモンなどのアニメが世界を風靡しているのは、万物に霊が宿っているという、日本の八百万千万の神々信仰にもとずいている。いま、西洋では独善的な一神教が、揺らぐようになっている。


・この3、40年あまり、西洋においても自然と共生するエコロジーが、人類を守り、救うと信じられるようになっているが、エコロジーこそ神道の心である。


マンリオ・カデロ・サンマリノ共和国駐日大使は、在日外交団長をつとめているが、神道に魅せられて、これまで全国にわたって100近い神社を参拝してきた。大使は和を重んじ、自然を敬う神道の心こそが、抗争と流血が絶えることがない世界を救うことになると、信じている。


・私はカデロ大使と、『神道が世界を救う』(勉誠出版新書)という対談本を、9月に刊行した。


・日本には150ヶ国以上の外国大使が駐箚しているが、20人あまりの大使が日本語に堪能だ。日本語ができる大使や、日本に在住する外国人からこの対談本によって、日本人をつくっている文化と、日本の生きかたや、心をはじめてよく理解できるようになったと、感謝されている。

(引用終)
サンマリノ共和国駐日大使の小さなご著書は、一冊持っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140703)。

国民として感じること (2)

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181130)の続きを以下に。
八幡和郎氏の論述引用は、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)。

http://agora-web.jp/archives/2035942.html


大嘗祭秋篠宮殿下、爆弾発言の裏側と深刻さ」
八幡 和郎
2018年11月30日


秋篠宮殿下は30日に53歳の誕生日を迎えられたが、これに先立ち行われた記者会見で、眞子様の結婚問題や、皇位継承行事などについて語られた。


・非常に率直な会見であったが、30日の解禁を前に「週刊文春」「週刊新潮」に眞子様の結婚についての発言内容が解禁日破りのかたちで掲載された。本日の朝刊には大嘗祭への国費支出への疑問という爆弾発言が掲載されて波紋を拡げている。


・論点は宗教的な色彩が強い大嘗祭の扱いということと、皇族がこのような政治的な発言をしていいのかという両方の問題があるということだ。


・私は皇室の行う宗教的な色彩の強い行事への支出は憲法違反ではないが、皇室の行う上での問題はないと考えている。そもそも、日本国憲法は皇室制度をいちから創設したのでなく、現実にあるものを追認したのである。


内廷費というのを設けて日常的な神事は、そちらから支出しているのであるが、大嘗祭は費用も大きいので国費でということに平成の大嘗祭のときになったのである。


内廷費といえども国費由来には違いないのだし、そういった経費も考慮に入れて、内廷費を増額するというのも、非透明性を増すだけだ。


・そういう意味では、秋篠宮殿下の考え方は、少し一面的なのではないかと思う。


・近代立憲君主制においては、天皇陛下の発言は、厳密に首相以外に話すことも良くないし、漏れてはならないものだと理解している。それに対して、皇族は陛下から距離があればあるほど節度さえ保たれれば自由度はあってよいと思う。


・皇室問題についていえば、皇室は関係者であるから、意見をいいたいというのも当然だ。ただ、意見を皇室内部や政府にしかるべく聞いてもらえば、そこで我慢すべきということもできると思う。


・かつて、皇室典範改正問題があったとき、三笠宮寛仁親王が苦言を呈されたことがあった。このときは、懇談会の座長であった吉川某とかいう理系の学者が、憲法上の問題もあるから皇族の意見は聴かないと言明したことが引き金だったから、殿下の発言には正当性があった。


・今回については、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」といい、宮内庁長官は「聞く耳を持たなかったといわれるとつらいが、そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」といいつつ、陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。


・いずれにしても、こうした問題も、眞子様のお粗末な騒動にしても、根本は皇室制度の制度疲労というか、かつての「朝廷」とか「宮中」というしっかりした組織や華族などがなくなり、両陛下や皇族と弱体なスタッフだけからなり、政府との対話やコントロールもあまりされていない、貧弱なご主人一家と従業員だけからなる「個人商店化した皇室」において起こるべくして起きている問題だというのが私のかねてからの主張だ。

(引用終)

http://agora-web.jp/archives/2035961.html


①週刊誌報道などは承知している
果たして、本問題では独走を続けるアゴラなどネット情報を承知しておられるかどうかは不明だ。誰か聞いたら良かったのに。


②小室さんからの連絡はある
「2,3か月に一度くらいでしょうか,時々もらうことがあります」。眞子様にか、殿下にかなどは不明。


③小室氏がするべきこと
話題になっている問題が、借金問題は入っているのだろうが、将来設計などどこまで含むかは分からないが、きちんと解決して欲しいといっておられるらしい。


④まだ婚約はしていないという認識・世間の納得が大事
納采の儀をすませないことには、婚約したことにはならない。つまり、まだ婚約していないという認識か。それなら、なかったことにするのも、婚約解消ではないということになるが、陛下の裁可などの位置づけがどうなるかは不明。また、正式婚約するためには、借金を返したらいいのかとかいうだけでなく、世間の納得が必要という認識を示された。


⑤殿下と眞子様はあんまり話していないようだ
結婚問題も含めて、あまり議論されたりせずに、一方的に問題をクリアしなければダメとだけ仰っているのだろうか。


⑥数々のスキャンダルについて小室氏はどういっているのか
違うからどうするのかという話は聞こえてこないということか。だいたいは、当たっているということか。


⑦昨年末に眞子様が体調不調だった
妃殿下は仰ったが、上記の殿下がこのごろはあまり話してないと仰るのとどう関連するか分からないが、少なくとも当初は議論されていたらしい。
妃殿下と眞子様の意思疎通は十分なようで良かった。しかし、婚約問題について話されているかどうかは不明のまま終わった。


・借金などの問題への真摯な解決を望むとの趣旨は明らかだが、将来設計については、この会見ではどう考えておられるかあまりよく分からなかったということだろうか。また、眞子様の体調が悪いのは昨年の年末から今年の初めであって、最近は、そうでもないということなのだろうか。それなら安心だが。

(抜粋引用終)
次に、将来の「国母」を目指す紀子妃の苦闘を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B5%AA%BB%D2%C8%DE)。

週刊現代』(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/37569


2013年11月22日
皇室特別レポート いずれ 天皇の母になる彼女の「プライド」とは 日本の「国母」になる紀子妃の大研究


・ご成婚当時、国民の多くは、紀子妃がこれほど重い立場に立つとは想像もしていなかっただろう。秋篠宮悠仁親王二人の皇位継承権者を妻・母として支える紀子妃の現在の最大の関心事は、悠仁親王の教育だという。


・「紀子さまは『勉強に力を入れて賢く育てたい』というお考え。一方、秋篠宮さまは、悠仁さまが控え目でおとなしい性格のため、運動を奨励されている。『勉強より、子供は外に出て飛び回って、多少ケガをするくらいでちょうどよい』とおっしゃっています。


・教育はもっぱら紀子さまのご担当です。秋篠宮さまは夕方からお酒を召し上がり、すぐ酔ってしまうので、勉強をお教えになることはほとんどありません。そのため、ときに紀子さまが『ちゃんとお考えになってほしい』と殿下にこぼされることもあるそうです。紀子さまは、悠仁さまを東大に入れたいという大きな野望をお持ちですからね」


・「悠仁さまは皇室の存続が危ぶまれる最中、41年ぶりに皇室に誕生した男児。大事なお世継ぎですが、単純にそれだけではないのです。江戸時代の光格天皇以降、皇位天皇である父から長男である皇太子へ、7代にわたり受け継がれてきました。秋篠宮家は現状では直系ですが、皇太子が天皇になった時から傍系になる。そして、秋篠宮さまや悠仁さまに皇位が継承された時、直系の伝統は途切れ、傍系から天皇が生まれることになります。二百数十年ぶりに皇位継承の形が変わる—。天皇家は今後、秋篠宮家の血を継いでいくという事実が、紀子妃に尋常ではない重圧を与えているのです」


・「紀子さまの申し入れにより、赤坂御用地の宮邸から悠仁さまが通っているお茶の水女子大附属小学校までの道は毎日、通学時間に合わせ、交差点ごとに所轄の各警察署が警官を配置しています」(警察関係者)


・「5月25日に、お茶の水小の運動会が行われました。1年生の悠仁さまにとって初めての運動会なので、ぜひ取材させてほしいとお願いをしたのですが、一切ダメだという。この一件で、宮内庁記者クラブからは『紀子さまのガードは固すぎる』という不満が噴出しました」(全国紙宮内庁担当記者)


・実際、運動会に平服で潜り込んだ警備関係者は50人前後。学校周辺は大塚警察署、富坂警察署、警視庁第五方面本部が人員を出して警備にあたるほか、パトカーが3〜5台。総勢100人を超える、ものものしい警備体制が敷かれたという。


女性天皇を巡る議論が一段落し、悠仁さまが皇位を継承する流れに落ち着いた頃から、紀子さまは周囲に過度な緊張感をもって接するようになりました。とりわけ、皇宮警察に対しては『情報管理が甘い』と猜疑の目を向けています。愛子さまの校外学習に雅子さまが同行した際の行動について、逐一報道がなされたことも、皇宮警察のせいだとお思いのようです」(前出・秋篠宮家に近い関係者)


皇宮警察は、関係各所に警備の配置をしなければなりません。そのため人が大勢動き、どうしても指示系統が一つではなくなる。完璧に統率するのは、不可能に近いのです。それを警戒されてのことか、この夏、ご一家で福井県の恐竜博物館に行かれた時は、前日の夜まで警察側に日程の詳細が伝えられませんでした。そのため、大慌てで警備の準備をすることになり、現場は混乱を極めた紀子さまが情報管理を厳格にしたがるお気持ちはわかりますが、警備を担当する側や間に立つ宮内庁職員は困っています」


・「娘さんお二方にも厳しいですよ。『秋篠宮家は天皇になる父と長男がいる宮家です。軽率な行動は慎みなさい』と指導されています。2年前、眞子さまがまだ未成年だった時に、大学のサークル合宿で飲酒したのではないかと疑われる写真がネット上に出回ったことも、大いに影響しているのでしょう。娘さんはお二人とも携帯をお持ちですが、それもGPS機能を停止させないという条件で持たせたそうです」


・「秋篠宮家の雰囲気は正直、ピリピリとして息苦しい宮内庁の職員に『東宮秋篠宮家のどちらに勤めたいか』と聞けば、大多数が『東宮』と答えますよ。世間に流布しているイメージとは違って、宮内庁内では紀子さまより雅子さまのほうが人気が高いのです」(元秋篠宮家関係者)


・「雅子さまはもともと気さくな方で、職員にもよく話しかけてくれたり、時にはお皿を洗うのを手伝ってくれることもありました。とてもお優しい方なんです。一方、紀子さまは素直でまっすぐなご性格ですが、とにかく気がお強い。カメラの前で見せる『紀子さまスマイル』が、紀子さまのすべてではありません。美智子皇后も、公務などでお話しになるときは蚊の鳴くような小声ですが、実際は大きくはっきりお話しになりますし、歩く際も、昔はスタスタと闊歩するような方でした。紀子さまは何事も皇后さまに倣って振る舞われていますが、ご自分の『見せ方』という点でも、皇后さまを見倣っているのではないでしょうか。その点、雅子さまは、本当の自分を隠すという器用さがなかったためにバッシングを受け、体調を崩されてしまったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)


・皇族には、華やかな学歴を持つ人が多い。皇太子は英・オックスフォード大に留学、雅子妃は米・ハーバード大を卒業後、東大法学部に学士入学している。また、秋篠宮もオックスフォード大に修学した経験があり、紀子妃の周囲は全員、一流大学に留学した経歴を持つ。一方、紀子妃は学習院大学卒で、留学歴もない


・「学習院も立派な学校ですが、海外留学をしていないことや、雅子さまのように社会に出て働いたことがないことに少しコンプレックスを感じておられるようです。今年、お茶の水女子大学に人文科学系の論文を提出して博士号を取得されました。学識を深めたいという純粋な動機はもちろん、経歴としても立派なものを持ちたい、というお気持ちもあったように拝察します」(前出・元皇族)


・「ご結婚なさる前、大学生だった紀子さまが出された直筆のお手紙を拝見したことがあります。とても素朴な文章だったのが印象に残っています。それでいて、ところどころ辞書からそのまま引っ張ってきたような難しい四文字熟語や漢字が使われている。なにか無理をなさっているようで、違和感がありました。『ああ、紀子さまは皇室の一員になるに当たり、他の皇族の方に比べてご自身に日本語力が足りないことに、少し劣等感を感じてらっしゃるのではないだろうか』と感じたことを覚えています」


・紀子妃は、米・ペンシルベニア大に留学する父・川嶋辰彦氏について1歳から6歳まで海外で過ごしている。現地の小学校に入り、辰彦氏の方針で、会話は家でもすべて英語。そのため紀子妃は、英語を母国語として育った。帰国したのは小学1年生。まったく言葉が通じないなか、苦労して日本語を学んだが、5年生の時に父の仕事の関係で今度はオーストリアに移住。2年後に帰国して学習院女子中等科の1年に編入し、以後は大学院まで学習院だった。だが、日本語へのコンプレックスを克服するまでには至らなかったという。


悠仁親王を何としても立派に育てるという強い思いが原因で、周囲と軋轢を生むこともあるという。


「毎年国から支給される秋篠宮家への皇族費は6100万円。一方、天皇家東宮家への内廷費は合計3億2400万円です。この金額で、悠仁さまに満足な教育を受けさせられるか、気を揉まれている。それが、秋篠宮家の職員の離職率が高い原因の一つかもしれません」(前出・元秋篠宮家関係者)

(部分抜粋引用終)

結局のところ、お手伝いさんのいない家庭で帰国子女として育ったことが、日本の伝統文化や歴史の重みを感じる自然さに欠けるということでもあろうか。
同世代なのでよく覚えているが、二十代の頃、「雅子様がいいか、紀子様がいいか」と私が男性陣にストレートに尋ねると、大抵の人は口ごもっていた。
今にして思えば、女性の生き方選択もさることながら、メディア報道のあり方の問題でもあった。最初から、雅子妃の方が素直で自然な感じがあり、とても子供好きだとも伝えられていたのに、努力家で優秀で経歴が抜群というヒガミやっかみが、長引く病へと追いやった面もあったのではないだろうか。
紀子妃については、以前も書いたように、東京の有名私大出身の人達から、「何か変わった人みたいよ」「学習院で大学の講義にタイ衣装を着てきたんだって」という噂を聞いていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)。だが、二十代前半で結婚して出産し、表向きはおとなしく夫を立てるように見えた姿勢が、男性陣の本音を支えていたのだろうか。
儀式の古い映像を見ると、時々、紀子妃が凄い形相でいらっしゃったことを知った。

大学と奨学金の問題

https://ironna.jp/article/11316


「高等教育の無償化」が救うのは学生でなく倒産危機の大学
『NEWSポストセブン』 週刊ポスト 2018年2月16・23日号
取材協力/峯亮佑(フリーライター


・安倍政権が打ち出した「高等教育無償化」は、“奨学金を借りる学生を減らす政策”に見える。だが、本当にそうか──。


・過当競争で私大の4割が定員割れを起こしているのに加えて、今年から18歳人口が急激に減少に向かい、奨学生が払う学費では大学経営が維持できなくなってくる。安倍政権の掲げる「大学無償化」からは、“奨学金でこれ以上、大学生を増やせないのなら、授業料を国が払って18歳全員が大学に行けるようにしよう。そうすれば大学は生き残れる”という発想が透けて見える。


日本学生支援機構のデータから加計グループ3大学の奨学金受給率を見ると、岡山理科大(50.7%)、倉敷芸術科学大(57.0%)、千葉科学大(51.7%)と奨学生によって経営を支えられていることがわかる。


・安倍政権の大学無償化の最大の問題は、大学の生き残りが優先され、「大学生に国が投資し、国に利益が還元されるか」という重要な視点が抜けていることだ。卒業生に借りた奨学金を返済するための「生活力」を持たせられない大学の授業料を無償化して学生を通わせても、国は税金投入に見合うリターンを得ることができるはずがない。


・大学無償化の本当の狙いは、奨学生が背負いきれなくなった私大経営の支援を、納税者に肩代わりさせることではないのか。

(部分引用終)

https://ironna.jp/article/11315


奨学金に絡む自己破産者は15000人以上 増加傾向にあり
『NEWSポストセブン』 女性セブン 2018年3月15日号


・東京の有名私立大学を卒業後、念願のアパレル業界に入社。しかし残業は毎月70時間を超え、給与は雀の涙。完全にブラック企業だった。人間関係にも悩み、わずか2年間で退職。以降、派遣やバイトなど非正規で働く日々を送っている。


「学生時代の奨学金です。合計300万円超。まだ半分も返済できていません。社会人になったら毎月2万円ずつ返す予定だったのですが、延滞し続けていて…。現在、アルバイトの給与が月に手取り11万円で、家賃が5万円。生活費の5万円を引くと、どうしても払うことができないんです」
奨学金を借りた日本学生支援機構(JASSO)からは催促の通知が絶えません。ただ、自己破産しても連帯保証人である親に支払い義務が行ってしまうので、それも申しわけなくて。もう、どうしたらいいのか…。完全に袋小路に追い詰められています」(A子さん)


・昨今、学生時代の奨学金の返済ができずに破産する人が激増している。


奨学金に絡む自己破産者は、2016年までの5年間で1万5338人。内訳は本人が8108人、保証人が計7230人。2016年度は過去最高の3451人が破産した。


・『ブラック奨学金』(文春新書)の著者でNPO法人POSSE』代表の今野晴貴氏が語る。「根本的な原因は学費の高騰です。国立大の授業料は2017年時点で年間約53万円。過去40年で15倍近く上がっている。私立はさらに高い。入学金も含め、4年間支払うのは家計に大きな負担がかかります。結果、奨学金に頼る学生が急増しました」


・現在、奨学金の受給者数は130万人にのぼり、20年前の46万人から3倍近く増加した。


「MARCH(明治、青学、立教、中央、法政)を出ても非正規労働者がゴロゴロしている時代です。正社員でも過重労働で超低賃金というブラック企業も多い。体調を崩して休職したり、辞めてしまったりすると、奨学金の返済は至難になります」(今野氏)

(部分引用終)

https://www.news-postseven.com/archives/20180214_649702.html


週刊ポスト』2018年2月16・23日号
国立有名大学の奨学金延滞率 トップは名大、ワーストは一橋
2018.02.14


・大学在籍時に奨学金を受けた学生が、その返済に苦しむケースが急増している。奨学金の受給率は入試難易度と一定の相関関係が読み取れ、難関大学ほど受給率が低い傾向がある。


日本学生支援機構の『学生生活調査』によると、大学生の「親の平均年収」は私立より国立が高く、学費は国立の方が安い


・「親の平均年収1000万円以上」とも言われる東大生の延滞率は0.4%。京大、北海道大、東北大、九州大なども同じ水準だ。


・東大より「返済力」が高いのが名古屋大(延滞率0.2%)だ。同地域の名古屋工業大学(0.5%)、愛知教育大学(0.3%)も低い。


・有名国立大のなかで「返済力」ワーストは、意外にも財界トップや大企業の経営者を輩出してきた一橋大(延滞率0.9%)だった。


・有名国立の延滞率ではなく、奨学金の「受給率」に焦点をあてて分析すると地域格差が浮かび上がった。東大(15.4%)東工大(16.8%)一橋大(16.7%)と東京にある大学は奨学生が少ないが、京大(21.7%)阪大(24.9%)北海道大(29.1%)東北大(34.8%)九州大(42.6%)と地方ほど受給率がハネ上がる。東京と地方の「大学生の親」の“所得格差”を反映していると推測できる。

(部分抜粋引用終)

https://ironna.jp/article/11317


「学歴」が分断する現代日本社会
『月刊Wedge』 2018/07/13
本多カツヒロ (ライター)
『日本の分断』吉川徹教授インタビュー


・「学歴なんか関係ない」といくら言ったところで、学歴により就くことのできる職業も違えば、賃金にも差があるのが現実。また、社会人になると同業者や同じような人生を歩んできた人々とのコミュニケーションが多くなり、それ以外の人々がどんな生活を送り、何を考えているかについては無関心になりがちだ。


・『日本の分断 切り離される非大卒若者たち』(光文社新書)を上梓した計量社会学が専門で、大阪大学大学院人間科学研究科、吉川徹教授に日本における学歴の意味や、学歴分断社会の現状、そして非大卒の若者たちに忍び寄るリスクについて話を聞いた。


・―日本社会で学歴が持つ意味を一言で言い表すとどんな言葉になるでしょうか?


吉川:「自己責任だとみなされているがゆえに、もっとも重視されるアイデンティティ」でしょうか。今の日本社会では、「ジェンダー」「生年世代」「学歴」という3つの分断線が重要な意味をもちはじめています。


・「ジェンダー」や「生年月日」は外見から判断できてわかりやすい。しかし、学歴は外見上わからないものなのに、問いただすのはタブーだとされています。


―学歴分断と、巷で話題になる格差社会、階級社会という言葉に違いはあるのでしょうか?


吉川:学歴分断とは「最終学歴という、大人にとって変更不可能なアイデンティティ境界に従い、上か下かが決まる」ことを指します。


・学歴は、一度身につけて社会へ出れば、定年を迎えるまでそれをずっと使い続けなければなりません。だから、学歴分断は解消しえないのです。


トランプ大統領の誕生によってアメリカの分断が、Brexitによりイギリスの分断が叫ばれ、欧米諸国でもこの「分断」がキーワードになっていますが、そこでも学歴が重大な意味を持っているのでしょうか?


吉川:いいえ。欧米社会には、階級と民族という学歴より重大な格差の源泉があります。たとえば、企業の採用では、表向きは民族や階級といった個人情報によって差別をしてはならないとなっていますが、履歴書を見る人事担当者は名前で中国系か、ユダヤ系かなど出身民族を推測し、それならばこういう社会階級出身ではないかと想像しているのです。


しかし日本社会では、民族や階級の分断線が欧米ほどははっきりしていません。それゆえに、他社会では格差の決め手とみなされていない学歴が、大きな働きを果たしている。


―日本人は、高学歴化し、大学全入時代に突入するかと言われています。


吉川:昭和の日本社会の高学歴化を支えていたのは、親も教師も子どもになるべく高い学歴を望み、子どもも当然そう考えているという大衆的に高学歴を望む「大衆教育社会」だったと言われています。


・2009年に『学歴分断社会』を書いた当時は、「学歴分断」という言葉や概念自体がありませんでしたし、現実社会も大卒と非大卒の分断はまだ起きていなかったのです。


―半々の割合で、大卒と非大卒になる学歴分断状態が継続すると何が問題になってくるのでしょうか?


吉川:大卒と非大卒では、就いている職種や産業、昇進のチャンス、賃金などが異なります。そのため、ものの考え方や行動様式も異なってきます。さらに、恋愛や結婚においても学歴による同質性は高く、日本人の7割が同学歴の相手と結婚します。また、日本人の8割が親と同じ学歴をたどり子どももまた同じ学歴になるよう望んでいるということを加味すると、大卒家庭と非大卒家庭の分断は、やがて世代を超えて繰り返されるようになります。


・「住んでいる世界が違うから」という言葉を聞くことさえあります。これはまさしく深刻な分断状況だと言えないでしょうか。


―吉川先生が、特に問題を抱えているとみているのは、若年の非大卒層の人たちなのですね。


吉川:日本社会の現役世代は、ジェンダー、生年世代、学歴と3つの分断線でわけると、若年非大卒男性、若年非大卒女性、若年大卒男性、若年大卒女性、壮年非大卒男性、壮年非大卒女性、壮年大卒男性、壮年大卒女性の8つにわけられます。このうち特に不利な境遇にあるのが、若年の非大卒男性です。


・多くが義務教育もしくは高卒の両親のもとで育ち、かれらの多くは製造や物流を始めとした、わたしたちの日常生活に欠かせない仕事に就いて日本を支えているのですが、5人に1人が非正規・無職、一度でも離職経験のある割合は63.2%、3カ月以上の職探し、失業経験者は34%、3度以上の離職経験がある割合は24%と他の男性たちに比べ高くなっています。労働時間だけは長いのですが、同じく非大卒の壮年男性と比べると個人年収は150万円近く低い。彼らのことを本書ではレッグス(LEGs)と新しい言葉で表しました。「Lightly Educated Guys」の略で、高卒時に、お金と時間のかかる重い大卒学歴を選ばなかった、軽学歴の男たちという意味です。


・本来ならば、高卒ですぐに働き始めれば、大卒層よりも早く生活を安定させて、貯蓄もできて、早く結婚して家庭をもつこともできるはずです。しかし、雇用や収入の面で厳しく、消費や文化的な活動、余暇について総じて消極的になっていることがデータからわかりました。


―なんだかラストベルト周辺に住む白人ブルーカラーの人たちと重なるところがありますね。


吉川:少し前にアメリカでヒットした『ヒルビリー・エレジー』という本があります。その本が出るまで、都会に住むホワイトカラーの白人たちは、どうして都会へ出て仕事をしないのかなどと見ていたわけです。でも、彼らには彼らの論理がある。


―なぜ、レッグスだけが他の層と切り離されているのでしょうか?


吉川:彼ら自身は、日々の生活に追われるばかりで、積極的に自分たちの立場を主張しません。他の層の人たちも、レッグスが世代を超え繰り返されることに気がついてない。


―彼らに対し、公的なケアがなされず、リスクを負わせている現状をどのように変えていけば良いと考えていますか?


吉川:再三、繰り返している通り、日本では学歴が重要な決定要因になっているにもかかわらず、大学無償化の議論を除けば、学歴をベースにした政策はありません。


・大卒層について、大学無償化や私的負担の軽減を議論するのであれば、同じ世代のレッグスに対しての支援も議論すべきです。


―多くの人が、大人になるにつれ、同じようなライフコースを歩んできた人としかコミュニケーションを取らなくなります。


吉川:『日本の分断』では、8つの分類を8人のプレイヤーで構成されたサッカーチームのようなものだと考えています。大卒のフォワードだけがいくら得点し活躍しても、ディフェンスであるレッグスが機能しなければチームは勝てません。それくらい日本社会はギリギリの状態なのです。


ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中

(部分抜粋引用終)

読んでいて気が重くなるような記事だ。
(1)学費の高騰が原因のような記述があるが、新制一期の名大生だった私の亡父の時代に比べれば、私の学生時代には、国公立でも桁違いの学費だった。つまり、世の中の経済とは、そういうものだと弁えていなければならない。
(2)一橋大の延滞率が高いのは、経済中心の大学だったのに、昔の元学長がマルキスト都留重人氏だった学風とも関係していないだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)。つまり、世の中を斜に構えて生意気なユートピア思想に若いうちから慣れてしまい、甘い人生観でも何とかなるさと、誤解してしまったケースである。
(3)全人口が首都圏に住むことは不可能なのだから、地方と差異を強調するのもおかしい。地方の方が、生活費が低く済む場合も多いのだ。
(4)子供は親と同じ学歴を求めるというのならば、親が博士号取得の場合、子供も長々と大学に居続けて博士号まで頑張るのだろうか?

そもそも、十代の段階で、奨学金という借金を当てにして大学進学を志すという進路設計が、解せない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180708)。親は何をしていたのだろうか。大学に行かせたいのならば、誕生直後から教育資金を計画的に貯めて備えるという人生設計はなかったのだろうか。
それに、私の学生時代でも新聞奨学生制度があり、住み込みで新聞配達をして働きながら(つまり、食住は確保されていた)、夜間大学(二部)に通うとか、まずは高卒後に公務員になって働きつつ、職場の理解を得て短大から始め、優秀な成績で四年制の3年生に進学した、というケースを時々見聞していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151228)。
あしなが奨学金は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090724)、親の病死や事故死や自死等で大変な思いをしている高校生を引き取って、寮生活を通して礼儀作法や仲間づくりを指導されつつ、頑張って大学に通い、一人前として社会に出るまでの制度を用意している。事業が拡大し、今ではアフリカ等の若者との交流コースまでできているようである。
そういう事例を知り、(恵まれているならばもっと頑張らなければ申し訳ない)と、私は自分を叱咤していたものである。
平成になってから、よろず平板になり、甘ったれ人間が増えた。その結果、国力が下がり、経済格差が拡大し、近隣諸国に土地や人口を侵略されつつある気弱な日本が出現した。

国民として感じること (1)

https://koredeii.com/2018/11/29/


・痛々しいというか、秋篠宮さまがあんなにやつれながらも意思を明確にしようと必死な表情されていたと受け止めました。紀子さまは話しながらも今にも泣きだしそうな気配もあり…。ただまあ、家族としては反対してるけど、まさに白旗という感情が読み取れました。


眞子さまのゴネ方、駄々こねてるご様子。こんなにワケわからない方だったんだと正直呆れてきました。


・そもそものご性格が、こういう気の強い思い込みの激しいアンバランスなとこのある方なのかなと思いました。


・これだけ日本中にK母子の悪行ぶりを知られたら、今後日本でまともに生きていくのも難しいでしょう。結婚も絶対ムリムリ。


眞子さまも諦めない。このお姫さま、中学校まで「次代の家刀自」として、お母様から厳格すぎるほどのしつけで育てられ、悠仁様ご誕生を境に、一挙に「放任」へ。「自主性を尊重しての子育て」とは「放置放任ネグレクト」と紙一重


・殿下は、どうも憲法第24条の「両性の合意による結婚」という観念に縛られておられるようです。自分たちの結婚のときも、結構反対され、それをしのいで成就した思い出もあり、しかも5年間、交際を許可した負い目もあり


秋篠宮家は、その間、佳子さまも結婚できない、悠仁様の今度は高校どうするかもいろいろ言われる。いいことは一つもないんですけどね。


新嘗祭に守谷さんが参列されたんだ、というか結婚された皇族の夫君は参列の資格を与えられる


眞子さまは周りの声が耳に入らない状態なのか、聞かない様にしているのかそれとも何か脅されたりしてるのか。

(部分抜粋引用終)

https://koredeii.com/2018/11/30/


・「秋篠宮さま:小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に1度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども」「今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になる」「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」


・「秋篠宮さま:私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりません


・「紀子さま:昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話し合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。」「長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。」「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。」


・「秋篠宮さま:結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。」


・「紀子さま:結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話し合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。」


・「紀子さま:長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め……(とお考えになる)。」
秋篠宮さま:(妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない?」
紀子さま:(殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。」


・「秋篠宮さま:具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。」「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。」「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。」


・「秋篠宮さま:やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。」

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/133543


・あの方は本当に賢いですから。だからこそ、高円宮殿下が亡くなった後も、しっかりとした縁組を久子妃の女親一人でまとめることができたのでしょう。普通は皇統の血筋がなくなったよるべのない宮家というのは、縁組は苦労するものです。


天皇家というのは、日本国の象徴です。次代の天皇になる方が、ご自分のご家庭も統率できないのでは困ります

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/172814


・幼児期から周りに傅かれて育つ神の子!おまけにお叱りや躾抜きの秋篠宮家の自由奔放教育による我儘な特権意識。莫大な国民の税金を湯水のように彼氏につぎ込ませる事へ何の疑問も感じない。8月のお別れ夕飯に〇宮家の車や門の使用に宮内庁上官や警備官を顎で指図する傲慢さ。


秋篠宮家の従業員の入れ替わりが激しいとかも人を人とも思わぬ傲慢夫妻の解雇病としか思えない。そこから育つ息子がいつか日本国の天皇になる


・小室圭氏の留学に関しては、私は以前から、成年皇族の眞子さんが自分の権限と自己の資金(破格のお小遣い)を利用した浅はかな暴走と踏んでいます。眞子さんの東宮門突破の情報がその裏付けと思っています。


・小室家の「反社会的組織との関わり」、「小室圭氏の国際レベルで道徳的に反する挙動(裏ピース、女性器口淫のシンボル)」をもっと公にし、フォーダム大学にも認識させ、強制的に日本国の象徴と乖離させること


・皇室へ「すでに他国民の血統が侵入している」やら「皇室崩壊への戦後処理の結果」だの、もっともっと国民に周知させ、日本人として今後の皇族のあり方を、しっかり見据える時期に来ているのだと思います。

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/30/055221


・1990年に出された「四学長声明」ー人権教育のための記録ー
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170903200947.pdf?id=ART0000362266
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学の名前で出されています。


・このような文書を出していた大学に、眞子さまも佳子さまも進学されたのだということに改めてびっくりします。


秋篠宮殿下に対する不思議な気持ちを吐露させてください。この方は、お若いときは自由奔放な宮様だったのですが、ある時から、えらく天皇皇后に恭順な姿勢にかわりました。その最たるものが前コメントにも書いた「産児制限を受け入れた」ことです。何しろ悠仁様誕生の前に「お許しをいただいたので」とおっしゃっておられる。お許しをいただくまでは、ずっと我慢しておられたのかと、改めて驚きました。


・子供たち二人を、皇后陛下同様のキリスト教大学に進学させたこと(特に眞子さまは初めからこちらだし、皇族として初めて宗教色のついた大学でした)


天皇との三者会談では、いつも先に皇太子が帰ってしまい、その後1時間ぐらい、天皇と話し合っていること。(多分皇后もその場におられるのかと)とにかく、この方、今天皇皇后のメッセンジャーになっているのではないでしょうか?


眞子さまはそういう親の姿をよく見てごらんになり、ご自分の婚約話、多分「職が決まらない」ということで紀子妃が難色を示したことから、葉山御用邸に駆け込んで、天皇皇后にゴーサイン出してもらった。それに対してこれも秋篠宮夫妻は何も言えず、婚約内定への流れになってしまったのではないかと。

(部分抜粋引用終)
数日前に録画されていた秋篠宮殿下のお誕生日会見は、日付が変わった真夜中きっかりに公表されたようである。
殿下の方は、さすがに予想以上に率直に語っていたようには思われるが、結局は、憲法にせよ、大嘗祭の予算や規模にせよ、戦後思想の落とし子のようなお考えを保持されてきたのだろう。同い歳で同月に生まれているので、空気のような時代精神がよくわかるのだ。
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学」の四学長の声明や右翼からの反応については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170929)、時期的にマレーシア赴任の直前で忙しくしていた頃であり、当時の私は、うかつにもよく知らなかった。弓削達氏については学会の古い文書や書籍で存じ上げているが、研究方面でしか理解していなかった。
今でこそ、「え!そんな発言を?」と驚くが、あの頃の大学の雰囲気としては、うちの母校(国立大学)もそうだったが、リベラルで進歩的で知的水準が高いと自負しているような院生や物分りのよさそうな自由主義的な教授ほど、あの路線に沿った考えを臆せず講義や著述の中で述べていた記憶がある。但し、それが可能だったのは、経済的にバブル絶頂の末期だったため、優越感や奢りに基づく「余裕」が背景として考えられる。
キリスト教系大学は私学であり、入学する学生も裕福で恵まれた都市中間層が多く見受けられたために、国公立の学校しか通わなかった私は、どこか違和感を覚えつつも、あの自由闊達さを羨ましくさえ感じた。(あれは頭のいい人達が言うことだ)とも思っていた。
フェリスと言えば典型的なお嬢様学校で、「うちの母がフェリス出で...」と自慢げに語る少し年上の男性を、二十代の頃、私は知っていた。でも、実際にどのような教育思想を施す学校なのか、フェリスに行ったこともない私は、全く知らない。その男性は、「今の日本は駄目だ」とマレーシア帰りの私に言い、既婚者なのにベンチャーのような転職をすると突然言い出し、周囲を慌てさせていた。
あれから30年ほどが経った今、国力が徐々に低下し、自然災害が多発し、経済格差が誰の眼にも明らかになった。この現状を思えば、まさにユートピアを語っていたのだろうと認識を新たにさせられる。
国体や国のかたちが曖昧なまま、学校でもメディアでも、深く分析も考察もせずに、斜に構えて無責任に現状を批判するスタイルがカッコいいとばかりに、(自分が楽しければいい)と、目の前のことだけを享楽的に過ごしてきた。そして、これまでメディア報道だけで秋篠宮家の全貌を知ったつもりになって、応援し模倣さえしてきた世代や層に、そのツケが降り掛かってきたのかもしれない。
昨日、気になって秋篠宮家(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)の初期からの写真をウェブでざっと眺めてみたが、幼少時はともかくとして、内親王の二人は、それほど伸び伸び素直に明るく育っているという感じには見えない。むしろ、むっつりとして嫌そうな表情が案外に多いことに気付かされる。紀子妃殿下も、年齢相応にふっくらとした体型ではなく、口元に皺が多くて、かなり老けて見える。
その点、高円宮家とは対照的でさえある。
皇室ジャーナリストが、国民の皇室への関心を惹きつけるためか、まるで日本の家庭のモデル像のように語り、紹介していた部分が少なくなかったようにも思われるが、この宮家から将来の天皇が出ることになっている以上、国民として無関心ではいられない。現実を直視し、本来あるべき姿を知ることだ。また、仮に宮家が右往左往しているとするならば、その際には、むしろ国民の側が自覚して、しっかりと近い将来に備えていかなければならないと思う。

続々・移民政策には大反対!

移民問題に関して、国会では大きな動きがあるが、過去ブログを踏まえて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181125)、続きを以下に。

https://ironna.jp/article/11279


『NEWSポストセブン』 SAPIO 2018年11・12月号
留学生受け入れは「親日」育てる目的なのに“嫌日”が急増中


取材・文/出井康博(ジャーナリスト)(1965年岡山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙「ザ・ニッケイ・ウィークリー」記者、米シンクタンクの研究員等を経てフリーに。)


・日本の専門学校や日本語学校に在籍する外国人留学生が急増している。独立行政法人日本学生支援機構」によれば、専門学校に在籍する留学生の数は2017年度には5万8711人と、5年間で3万人以上も増えている。日本語学校」にも、2017年度には8万人近い留学生が在籍し、5年間で専門学校を上回る5万人以上の急増ぶりだ。


・本誌SAPIO7・8月号で触れたように、その大半は勉強よりも出稼ぎが目的の“偽装留学生”たちだ。留学生に認められる「週28時間以内」のアルバイトに目をつけ、留学を装い出稼ぎ目的で来日する若者が急増しているのである。本来、留学ビザは「母国から仕送りが見込め、アルバイトなしで留学生活を送れる外国人」に限り発給されるため、新興国からの留学生の多くが借金をしてブローカーに手数料などを払い、親の年収や預金残高などをでっち上げている。


・その彼らが、今度は就職して事実上の「移民」となる。法務省によれば、2017年に日本で就職した外国人留学生は過去最高の2万2419人に達した。前年からは約3000人、2012年からは2倍の増加である。その数は将来、飛躍的に増える可能性がある。早ければ2019年春にも、留学生の就職条件が緩和されるからだ。


・現状では、留学生は大学や専門学校で専攻した分野に近い仕事で、技術者を含めたホワイトカラーの職種にしか就職できない。それが大学卒の場合は専攻に関係なく就職でき、専門学校卒も「クールジャパン」に関連する仕事であれば就職できるようになる。


・就職条件の緩和に関し、法務省は「優秀な外国人材の国内定着の推進」が目的だとしている。だが、“偽装留学生”が大量に受け入れられた現状を見ても、大学や専門学校を卒業したというだけで「優秀な外国人材」と定義してよいのだろうか。


・2012年頃から急増し始めた留学生たちが、日本語学校から専門学校、大学を経て、これから続々と卒業、就職の時期を迎えるのだ。大学を卒業した留学生の就職には、「年収300万円以上の仕事」という制限だけが残る。つまり、現状では認めていない「単純労働」への就職も可能となる。


・専門学校の卒業生には「クールジャパン」関連という条件こそあるが、具体的な職種までは定義されていない。


・政府は「優秀な外国人材」という詭弁を使い、これまで通り“偽装留学生”を単純労働者として活用したいのかもしれない。そもそも外国人労働者を最も欲しているのはホワイトカラーの職種ではなく、単純労働の現場なのだ。


・ひとたび留学生が就職すれば、ビザの更新は難しくはない。就職緩和策は“偽装留学生”の「移民化」にも通じる。


・外国人の不法残留は今年1月1日時点で6万6498人を数え、4年連続で増加した。うちベトナム人は前年から30%以上も増加して6760人、元留学生の不法残留者も4100人に及ぶ。外国人犯罪の検挙件数も2017年には1万7006件と、前年から約20%増加した。とりわけベトナム人は約3割の5140件に関わり、国籍別に中国を抜いてトップとなった。こうした不法残留や犯罪の増加には、明らかに“偽装留学生”の急増が影響している。


・留学生の受け入れは、日本の言葉や文化に親しみ、“親日”となる外国人を育てるのが目的のはずだ。しかし、現状は逆に“嫌日”外国人を増やしている


・“偽装留学生”の流入は止まる気配がない。受け入れ先となる学校、そして人手不足の産業界には好都合である。

(部分転載終)
1990年代初期のことである。「なぜ日本に留学したのか」という我々の問いに対して、クラン出身の裕福な若い華人のマレーシア女性が「アルバイトができるから」と平然と答えて、思わず絶句させられた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141022)。早稲田に留学したので、国内外で通りが良かったのだろうが、もう少し、日本文化や日マ関係に対して真面目な応答があるかと期待していた我々は、現実に盲目だったと痛感させられたのである。
他にも、華人の若いマレーシア男性が「自分でも早稲田に合格できたんだ」と喜んでいたが、どうやら日本の隙間を食い物にしている感じがあった。
舐められてはいけない!

https://ironna.jp/article/11280


256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾
2018/11/28
坂東忠信外国人犯罪対策講師、作家)


日本経済新聞によると、2017年半ばまでの段階で、技能実習生の失踪は既に年間7千人を超えている。受け入れ企業側も実習させてやる程度の賃金で、ろくな実習もないままに単純労働をさせているケースもある。


・今や実習生は情報端末を駆使しながら、日本各地で働く同国人や友人のネットワークで、待遇や賃金がより良い職場を求め脱走するが、在留資格が更新できずに不法滞在者となる。新たな職場の雇用側も人手不足のため、そこに働く外国人従業員のツテで受け入れる。


・彼らも人間である。働いている時間以外にも休み、遊び、恋をして、子供をつくる。さらなる収入を得たいし、楽もしたいし、苦しくなれば犯罪に走ることもある。


外国人の「道徳格差」はインターネット上で明確に認識されている。だが、国際的規模に膨れたカネのうなる大企業を広告主とするオールドメディアは、スポンサーの海外でのイメージを守るため、問題の核を「文化の違い」と表現し、道徳レベルの差から発生する国内外国人問題の核心に迫ろうとしない。


・問題を放置し、改善することなく、さらなる労働力を呼び込むために、出入国管理法が改正されようとしている。自民党は、票や政治献金を生み出す企業や団体の要求を拒むことができないからだ。


・改正の目玉は「特定技能1号・2号」という在留資格の追加だ。改正案は、1号に「相当程度の知識または経験」、2号に「熟練した技能」を要求し、外国人材を受け入れるとしているが、各号の求める具体的水準は不明だ。


・改正案に対して、自民党法務部会では発言議員の9割が反対を表明したという。しかし、残る1割が賛成側に立ち、現実の倒産要因にまでなっている「人手不足解消」の大義名分を掲げて押しまくった。


・反対の議員も「具体的に何人が何年必要なのか」「要らなくなったら『帰れ』でいいのか?」と押し返すなど激しいせめぎ合いを展開した。各業界団体のヒアリングも交えた討議の結果、安易な枠の拡大や基準の引き下げで移民政策にならないよう、法務部会と厚生労働部会で具体的なハードルを設定した部会決議を法案に付した。


・窓にはスパイ防止法という「網戸」さえなく開けっ放しで、泥棒がよく入る上に、「家庭崩壊」寸前で「だからレベルの高い外国人メイドが必要」というオヤジをあなたは信用できるか。私たちはそんな国「家」の家族なのだ。


・実習生が高度プロフェッショナル人材であっても、帯同する家族も歓迎すべき人材とは限らない。また、実習生本人も歓迎に値する人材で有り続けることを期待したり、矯正することはできない。


・本人が労働意欲を失ったり、何らかの理由で評価に値する技能を発揮することが不可能になっても、企業は面倒を見てくれない。収入に困った彼らによる犯罪やその被害回復の責任がどこに帰するのかも不明だ。まさに、国民も外国人も不幸にする改正法案である。


・国別の枠の割り当てもないため、隣国の中国や韓国の人材が多くなるのは必定だ。滞在中に母国崩壊が発生すれば、彼らは日本に居ながらにして難民になる。


・米国が進める「米中経済戦争」は政権転覆や社会の混乱、つまり国外脱出者が現れるレベルを目指し、締め上げにかかっている。そうして、難民発生の際には、国際社会が日本に対して国庫を傾けるほどの保護を求めてくるに違いない。


・単純労働者を求める労働市場では、難民を含む外国人材の雇用で、大企業の上層だけが潤い、収入格差は広がるばかりだ。彼らへの厚生や福祉で不可避となった消費増税がデフレを加速し、日本人は疲弊する。


・今でさえ円安路線を維持した日本は既に国際的デフレ国家であり、日本人の賃金は先進国内で驚くべき低レベルだ。外国人旅行客の目には、サービス最高の「おもてなし激安国家」と映るのだから、オーバーステイしたくなる気持ちも理解できる。


・問題は「労働力不足」である。ニートが高齢化しても、シングルマザーになっても生きていけるほどの社会制度が、きしみながらこれを支え、今やその福祉制度が外国人に食われるほど、生きる力と競争する意欲を失った日本人が問題なのだ。


・海外展開を行っている大企業はアベノミクスの恩恵を受け、株価も上昇している。ところが、今の経営陣はバブル崩壊の経験者であるため、内部留保を積み上げ、賃上げによる支出を恐れ、さらなる安価な労働力を外国人に求める。


・企業が大卒や新卒にこだわらず、独自の採用基準で若い人材を求めれば、就職のためのカタパルト(射出機)と化した意味無き大学は淘汰され、大学全体のレベルも向上して洗練されるだろう。


・企業が学歴偏重の採用基準を変えれば、親は借金してまで子供を大学に送る必要がなくなり、その資金を老後に回せる。子供は10代から社会に出ていれば、20代後半にはベテランの域に達するので、結婚資金も貯まる。短期的には成婚率が、中期的には出産率と出産人口が、長期的には労働人口も上がるのではないか。


・企業トップの意見を尊重する自民党の他に、勤労者のための、健全で主体性のある野党が必要だ。本来であれば、企業に君臨するブルジョア階級」の収入を規制し、「プロレタリア」の賃金を底上げする政策については、日本共産党あたりに期待したいところではある。また、「自民あっての反自民」を貫く立憲民主党は、今回の実質的移民政策にも反対するのだろうか。


安倍晋三内閣は「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)に「移民政策を採らない」としているが、自民党議員は移民の定義を知らないか、口にできない。国連人口部の定義によれば、移民とは「主権のある母国を1年以上離れて外国に暮らす人」を指す。そして、この移民の概念には、密入国者や不法滞在者帰化した初代が含まれる。


・既に日本には、留学生を始めとする移民と「移民予備軍」が256万人以上も存在するが、自民党議員がこれを口にすることは骨太方針の矛盾をさらけ出すことになる。


・議員の仕事は理想の発表や世論啓発ではなく、法の立案や審議である。法改正案に部会決議文で歯止めを盛り込んだ党内の反対議員も、議論に参加し論議を尽くした以上は、組織としての決定に文句をつけることはできない。


・ここに「忖度」が必要である。発言議員の9割ほどいた反対議員は心の中で、決議文を付けても力が及ばず手を離れたこの法改正案を誰かに潰してほしいのだ、と私は「忖度」した。


・国民の政治参加は選挙のみにあらず。世論を大いに盛り上げ、燃え上がらせて法案を灰にするよう、ともに声を上げようではないか。

(部分転載終)
母校の同窓会でも、平気で「多様性は力」と述べていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)、そんな証拠はどこにもない。若い頃、国内では大学で外国人留学生に日本語を教え、国外でも多民族社会マレーシアの複雑さと緊張感を肌身で感じてきた私にとっては、「多様性は混沌」だとしか思えない。
上記のマレーシア華人女性だって、多言語政策の現状について「本当は日本みたいに一つの言葉で国をまとめたいけれど、現実としてそれができないから、仕方なく」と私に述べていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160216)。

https://ironna.jp/article/11282


外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ
2018/11/28
雨宮紫苑(ドイツ在住フリーライター


・日本に一時帰国するたびに、働いている外国人を見かける回数が明らかに増えている。


外国人労働者数を調べてみると、10年前の2008年は約49万人だったが、17年は約128万人と年々増加しているらしい。


・不思議なのが、日本で語られるのは主に「外国人労働者」についてであって、「移民」については全くといっていいほど言及されていないことだ。


・国連広報センターによると、「国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意」しているのだそうだ。ちなみに移民の移動の形として、移住労働者や出稼ぎなどを例として含めている。


・居住地を海外に変更し、変更先に一定期間住んでいれば、現地で仕事をしていようが留学していようが『移民』と認識できるわけだ。


・日本の定義は違う。自民党は「『移民』とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の在留資格による受け入れは『移民』には当たらない」としている。しかし、このまま「外国人労働者は移民ではない」と言い張っていいのだろうか。日本が戦後ドイツの歴史をなぞっているように思えて、どうしても危機感を覚えてしまう。


・2018年10月、メルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は南部バイエルン州と西部ヘッセン州の地方選で得票率を大きく落とし、メルケル首相は21年に政界を引退することを発表した。難民政策の失敗が大きく影響しているのは、言うまでもない。


・ドイツの外国人受け入れについてのニュースが日本で大々的に報じられるようになったのは15年の難民危機以降である。


・ドイツの外国人受け入れ政策の失敗の一つに「外国人労働者を移民と認めなかったこと」が挙げられるからだ。


・旧西ドイツは、戦後の人口増加が緩やかだった上に、戦死者が多く、経済成長に伴い人手不足に陥った。労働時間短縮や有給休暇制度の改善を求める権利闘争が盛んになったこともあり、外国人を「ガストアルバイター」として受け入れ始める。ガスト=ゲスト、アルバイター=ワーカー。分かりやすく訳せば、助っ人外国人である。彼らは安く雇用できる上に、本国に仕送りするためによく働いてくれるし、ドイツ人がやりたくない仕事もやってくれる。便利も便利、超便利である。


・1960年代はまだ「ドイツは移民国家ではない」というのが共通認識だった。しかし、ドイツの予想を裏切り、ガストアルバイターの多くは家族を呼び寄せたり現地で結婚したりして、ドイツに定住することになる。


・1973年に一度外国人労働者の受け入れを停止するが、その後再び人手不足に陥り、受け入れを再開。2000年、ドイツの総労働力人口における外国人の割合は8・8%で、人口の7・3%が外国人という状況だった。


・21世紀になって少ししてから、ドイツはやっと「移民国家」としての舵を切る。ドイツ語教育やドイツの社会、歴史などを学ぶ市民教育を統合講習として受講を義務化し、移民の社会統合を目指し始めたのだ。しかし、時すでに遅し。すでにドイツ人と外国人(移民背景がある人たち)の収入格差や学歴格差、言語の壁や宗教問題など、課題は山積みになっていた。


・移民とそうでない人との間にある火種は、15年に突然生まれたものではなく、それよりも前にくすぶっていたのだ。しかし興味深いのは、これほど多くの外国人を受け入れたのに、ドイツは2018年10月、欧州連合(EU)域外から専門的資格とドイツ語能力を持つ人を呼ぶための新移民法を制定したことである。


・スイスの国際ビジネス教育・研究機関IMDによる「World Talent Ranking 2017」で「高度外国人材にとっての魅力度」が世界16位であり(ちなみに日本は51位でアジア最下位)、これだけ多くの外国人を受け入れているのにもかかわらず、新たに法を制定しなくてはならないほど高度人材が足りていないのだ。


・日本は現在、深刻な人手不足に陥っている。中小企業を中心にバブル期並みの人手不足となっており、45%もの企業で常用労働者が足りていない。


・このままでは「気づいたら移民が増えていたので対策します」というドイツの二の舞になってしまいそうだ。


・ドイツと同じ轍を踏まないために、外国人労働者の受け入れは移民政策の一貫として、戦略的に行う必要性があるのではないだろうか。


・認めずに実質移民国家となり「日本人vs外国人」と対立するほうが、私にはよっぽど恐ろしく思える。そもそも、日本で働いている人の多くは既に「移民」と呼べるし、そうでなくとも定住する可能性のある移民予備軍なのだから、「移民」という言葉にだけ反対していても意味がない。


・まずは、外国人の経済的安定が不可欠である。ドイツ連邦雇用庁によると、16年の失業率は、ドイツ人が5・0%、外国人は14・6%。収入にも格差があり、15年のフルタイム労働者の収入は、ドイツ人とそうでない人で21・5%もの差があった。社会保障費を減らすという点でも、外国人が経済的に不利にならないよう予防することは必要である。


・過労死がすでに多くの国で報じられている日本で、外国人搾取が続き、それが公になれば、国際的なイメージに影響することも理解しておかないといけないだろう。


・次に教育だ。家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。


・日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。


・宗教の問題がある。日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。


・外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。それならば当然、事前対策を求められる。


自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。


・求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。


・人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。


・外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。

(部分転載終)

文末の「修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援」に関しては、私も該当するので、是非ともご検討いただきたい。
移住や移動の自由については、カトリック教会のポスターでよく見かける(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170518)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170529)。ひょっとして、欧州でも日本でも、ここが元凶(?)ではないか?

常に最悪を想定して鍛え備える

最近のメーリングリストから抜粋転載を。

千田琢哉『お金を稼ぐ人はなぜ筋トレをしているのか』


・これまで私が出逢ってきた長期的成功を収めているエグゼクティブたちには、継続的に体を鍛え続けている人が多かった。


・筋肉もビジネスも、工夫と継続力で決まるという点においてまったく同じなのだ。お金を稼げる人は、一番努力した人ではなく、一番工夫を凝らした人だ。


・本当に長期的にお金を稼ぎ続けている人は、超多忙な人ではなく、いつもゆとりがあり、どちらかといえばむしろ暇そうに見えるものだ。


胸板が厚くなると、口論が減る。


・筋トレを継続するためには、タイムマネジメント能力が必須。


時間を制した者が、人生を制するのだ。時間を生み出す工夫は、そのままビジネス能力に直結するのだ。


・筋トレをすると、本能をコントロールできる。筋トレをすると、モテる。


・男性ホルモンが活性化してくると、それを察知した女性が反応する。男性ホルモンが微量なメスは、大量の男性ホルモンを分泌しているオスに吸い寄せられるが、これは自然の摂理なのだ。


・筋トレをすると体が逞しくなってくるだけではなく、性格も逞しくなってくる。人からモテるということは、お金からもモテるということに他ならない。


・原始時代のオスの仕事といえば、頭脳と体を駆使して獲得した獲物を女性や子どもたちに持ち帰ることだった。


・現代に置き換えると、マンモスを持ち帰るオスは年収1億円を稼ぐ男だ。年収1000万は、イノシシ。年収400万は、ウサギだ。


・原始時代から現代に至るまで、われわれ人間は本質的には何も変わっていないのだ。頭脳と体を駆使して、獲物を獲得しよう。


・筋トレをしていると男性ホルモンが活性化するから、闘争心が湧いてくるようになる。オーラが出てくるのだ。


・本物の自信を獲得したければ、まず肉体を強靭にしておくことだ。肉体を強靭にするということは、筋トレをするということだ。


・筋トレで鍛え抜かれた肉体を持てば、必ず腹の底から自信が漲ってくる。


・旨いものを食べて、いい女を抱くと、男は間違いなく元気になる。


・旨いものを食べれば必ず元気になる。また旨いものを食べようと思い、バリバリ仕事をこなせる。そしてバリバリ仕事をこなしていると、男としての輝きを放って女性にモテ始める。


・いい女を抱けば必ず元気になる。まるで世界を征服したような気分に浸り、どんなことにも挑戦できそうな勇気が湧いてくる。結果としてバリバリ仕事をこなして、お金を稼げるようになる。


女性にモテないということは、同僚にもお客さまにもモテないということだ。自分の欲望を正直に受容し、とりあえず旨いものを食べることからスタートだ。


・知的作業で疲れたら、体を動かして汗をかく。そして体を動かして汗をかいたら、知的作業で疲れを癒す。


・本物の友情も恋愛も、まずあなたが自立していなければ成立しない。自立するために一番大切なのは心構えだ。


・最大の資産である自分自身を磨いておくことが、最高の資産防衛なのだ。


・今からたくさんの本を読んで多くの人と語り合い、筋トレで汗を流すのだ。無限の富を生み出すあなたの体への投資は、超ローリスク・超ハイリターンだ。


ふくらはぎが太いと、「本物だな」と感じさせる。


・つべこべ言わず、野菜は山盛り食べろ。アメリカでは、年収と野菜の摂取量は比例する、といわれる。

(引用終)
なるほど、野菜ですね?それに、足の太いのは「本物」人間だという...

松本正『雄弁家・チャーチル


・20世紀最高の雄弁家の一人と謳われるチャーチルは、第二次世界大戦勃発から8カ月後の1940年5月10日、自らが所属する保守党の党員から冷たい視線を浴びながら首相に就任した。


チャーチルは5月13日、首相として初めて議会下院の演壇に登ったのを皮切りに19日に首相就任後初の国民向けのラジオ演説をした。ドイツ軍の猛攻で英仏軍将兵ら30万人以上がダンケルクから英国に全面撤退した6月4日にも下院に登壇した。


・英国政治史上不朽の6月4日の演説で、チャーチルは英仏軍の敗走を正直に国民に知らせた。どうすれば難局を切り抜けることができるかを説明。英国の人々に希望を与えて激励した。


・22歳のチャーチルは、1897年、大英帝国のインド軍将校としてロンドン南西の古都バースを訪れ、生まれて初めて公衆の前で演壇に立った。その日から、1965年に90歳で永眠するまで約3千の演説原稿を書いた。どんなに忙しくても仕事の合間を縫ってペンを走らせた。


・名演説は生涯に読破した5千冊以上の本から生まれ、その書籍は、ウィリアム・グラッドストーンら19世紀の名宰相の議会議事録から歴史や漫画、詩文、文学、科学など多岐にわたる。


チャーチル並外れた記憶力の持ち主で、一般人の平均語彙数より2倍半以上多い約6万5千語を駆使して雄弁に語った。だが生まれつきの優れた演説家ではない。吃音障害に苦しんだ。


・初当選後の1901年、下院議員として初めて登壇したとき、空気が抜ける、擦れる発音を繰り返した。1904年の下院での演説途中、暗唱していた原稿内容を思い出せなくなり、頭を抱えて壇上を去った。


・政治生活初期の大失態を機に、チャーチルは文筆・演説力を磨いていく。難解な官僚用語や意味不明な婉曲表現を嫌った。易しい言葉を重視した。


・短い、パンチのきいた単語や句を選び、簡潔な文章を好んだ。古典文学を意識しながら文章にリズムをつけ、散文より詩的文章を書いた。


・「才気煥発で、精力的で、頑固な人物」と記すなど名詞に形容詞3〜4語をかぶせ、聴衆の頭に残るようにした。歴史上の人物の名言をファイルしておき、もっとも相応しい演説に使用。


チャーチルは、聴衆は事実と数字だけの演説に退屈する、と話す。話し手が歴史の小話や比喩、隠喩を演説文に挿入すれば、聞き手の理解がいっそう深まるようになると力説する。そうでなければ、聴衆が演説会場から帰宅したころには話し手の内容をきれいさっぱり忘れ去る、と語る。


・頭の中で練った草稿を、チャーチルは秘書にタイプで口述筆記させた。言い回しや字句などを修正・校閲し、原稿を完成。演説のリハーサル後、1904年の失敗を踏まえ、原稿を携えて演壇に向かった。40分の演説の準備に6〜8時間かかった。


・登壇したチャーチルは演説のクライマックスで、次々と生々しい事実を浴びせ、聞き手に説得力のある結論を想起させていった。また聴衆の感性ではなく理性に訴えた。一時的な興奮を呼び起こすのではなく、数か月たっても記憶に残る演説を心掛けた。台本のナレーターやアナウンサーのように話した。


チャーチルの1940年5月〜6月の名演説は、長年にわたって蓄積された学識の集大成だ。付け焼刃の知識から生まれたのではない。鋭い文章力によって躍動した演説が、議員や国民に感動と勇気を与え、不退転の決意を固めさせた。


・一方、政敵は6月4日のチャーチルの演説で、17世紀以来、先人が守ってきた英国の遺産「自由と民主主義」を暴君ヒトラーから守り抜かなければならないと気づき、首相のリーダーシップを初めて認めた。

(引用終)
チャーチルに関しては、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C1%A5%EB)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Churchill)。特に、パット・ブキャナンの見解が、一つの参考にはなる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180414)。

内村和雄『最強の未公開企業ファーウェイ。冬は必ずやってくる』(ティエン・タオ、ウー・チュンボー)


・1987年。任正非(レン・ツェンフェイ)という中年の男は、当時の中国社会の潮流に乗り遅れていた。この年、彼は数え年で44歳だった。


・運命の奥深さを感じさせるこの年に、任(レン)は商人としての第一歩を踏み出した。この時、彼は軍を退役して既に数年が過ぎていたが、何をやっても思うようにいかず悶々とした日々を送っていた。だが、一念発起してファーウェイ(華為技術)というちっぽけな民営企業を創業したその日から、任とファーウェイは切っても切れない運命共同体となったのである。


・うだつの上がらない退役軍人だった任は、まさにそのような時代の潮目に、自ら望んでか望まずか商人となる道を選んだ。こうして、深センのとあるビルの一室でファーウェイが産声を上げたのである。


・従業員は5から6人、起業資金はわずか2万元ほどだった。経営者の任は通信機器の製造に関してはずぶの素人で、当初は既製品の代理販売を生業にした。有り体に言って怪しげな「プローカー」である。にもかかわらず、任は最初から「20年後に世界レベルの通信機器メーカーになる」という壮大なビジョンを描いていた。


・ファーウェイの成功は、任の哲学の成功である。


・「我々には何のバックグラウンドもなく、何の資源もない。自分というもの以外、何ひとつ持ち合わせていない。従って、あらゆる進歩は他の誰でもない、すべてが自分次第なのだ」。


・任には娯楽やスポーツを含めて趣味らしい趣味がない。読書と思索が唯二つの例外だ。友人もほとんどいない。


・孤独に耐え、我が道を歩む。


・交流せず、徒党も組まない。これは任の性格である以上に、一種の社会的認知や役割の自覚によるものだ。


・任はファーウェイの高級幹部に対して「富可敵国」の故事をしばしば語り、次のように忠告してきた。


・「中国では国から目の敵にされるほど富を築いてはならない。ビジネスの夢を叶えたいなら、社会との係わりを自制し、目立たないようにすることだ」。


中国には『肥えた豚は年の瀬に殺されやすい』という格言がある。


・商人は政治を語らず。「商人は政治を語ってはならない。ファーウェイは純粋かつ徹底したビジネス組織であるべきだ。政治とビジネスの癒着やもたれ合いなど、中国の商業史の悪しき伝統とは完全に決別しなければならない」。


成功とは生き延びること


・「幾多の書物をひもとき、万里の道を歩むも、行ってきたのはただひとつ」。考えてみれば正にその通りだ。任は長年にわたって私的な交友をほとんどせず、余暇や移動時間の大半を読書と思索にあてている。


・外部のどんな誘惑にも負けず、個人や組織の様々な衝動を押さえ込む忍耐力。


・1997年12月、任とファーウェイの経営幹部は北米大陸横断の旅の途上にあった。東海岸から西海岸へ、米国のIT企業を次から次に訪ねて回ったのだ。そこで見聞きした米IT産業の興亡史に、彼らは大きな衝撃を受けた。


・「大企業が一つまたひとつと苦況に陥り、消滅していく。いくつものベンチャー企業が天に届くほどの勢いで成長したかと思えば、次々と雷に打たれる。ここでは企業が絶え間なく誕生し、絶え間なく死んでいくのだ」。


・任にとって、それは500年以上続いた中国古代の春秋戦国時代を1日に凝縮させたような光景だった。と同時に、彼は米国のオープンな文化やイノベーションが生み出す偉大なエネルギーを心の底から感じていた。


・任は幹部たちとシリコンバレーの小さなホテルに閉じこもって会議を開き、
3日間ぶっ続けで議論した。その議事録は100ページ以上に達した。


・どんな大企業でも、絶えず変化する環境に対応できなければ生き残れない。では、ファーウェイはどうすれば生き残れるのか。この旅を通じて任が強い共感を覚えたのは、米国人たちの奮闘精神だった。


生き延びることこそ勝利


・中国には4000万社を超える中小企業があり、GDP国内総生産)の6割、雇用の8割、そして税収の五割を生み出している。だが、ある調査によれば中国の企業の平均寿命は3年未満で、毎年100万社以上が倒産しているという。


・こうして、「生き延びる」ことはファーウェイの最低限かつ最高の戦略目標となった。草創期の社内資料や任のスピーチなどを調べると、目につくのは「オオカミのように強く賢くあれ」、「進歩するために面子を捨てよ」などといった精神論的なフレーズばかりである。


・命の危険を顧みない奮闘。


・ファーウェイは、創業以来直面してきた無数の危機を、奮闘を通じて一つひとつ乗り越えてきた。


・1990年代末に始まったファーウェイの国際化は、こうした自己犠牲を厭わぬ社員たちの苦闘と貴い犠牲によって贖われた。


硝煙が消えないイラクから伝染病が蔓延するアフリカ奥地まで、ファーウェイ社員の姿を見ない土地はない。私たちはここまで一歩ずつ歩んできた。そしてこれからも、果てしなく続く長征の道を断固として歩み続けるのだ」。


・企業家とは生まれながらの冒険家である。彼らは自分の直感と冷徹な計算を秤にかけ、危険な賭けを行う人々だ。任の言葉を借りれば、「進むべき方向は灰色の混沌の中から生まれる」。


異論を認め蓄えに変える


・何事も完全に満たしてはならない。限界を超えれば溢れてしまい、そこから邪念が生まれる。人間は欲望が満たされると自惚れ、身勝手になってしまうものだ。


・常に他人を責め立てたり、拒否したり、制止したりしてはならない。ひとことで言えば「花は五分咲き、酒はほろ酔い」がほどよいのだ。


・企業経営も同じではないだろうか。「純粋な黒や白は哲学的仮説に過ぎず、グレーこそが常態なのだ。我々は決して極端に走ってはならず、系統的な思考を持たなければならない」。


・「会社が将来の幹部人材に求めているのは、業務に関する経験や専門知識が豊富なだけでなく、業務以外でも広く深い教養を身につけていることだ。広く深い教養とは、有り体に言えば『ごった煮』、つまり何でも知っていることである」。


・創業以来、私は毎日失敗についてばかり考えてきた。成功は見ても見なかったことにし、栄誉や誇りも感じず、むしろ危機感を抱いてきた。だからこそ、ファーウェイは10年間も生存できたのかもしれない。


・失敗という“その日”は、いつか必ずやってくる。私たちはそれを迎える心の準備をしなければならない。これは私の揺るぎなき見方であり、歴史の必定でもあるのだ。


・“その日”が来る前に、我々は危機への対応法や解決策を研究し、備えなければならない。できなければ生き延びるなんて不可能なのだ。

(部分抜粋引用終)
エネルギッシュでスタミナ溢れる中国人も、日本の何倍もの速さと規模で、栄枯盛衰を日々経験している。常に最悪を想定して、生き延びることを第一目的に考えることが重要だ。
平成になってからの日本社会で非常に気になっていたのが、「これさえあれば安心」「楽しく生きる」「好きなことをする」「自分らしく」という甘ったれ風潮が蔓延していたことである。
そんな幻想は、古今東西、人間社会にはあり得ない。誰が言い出し、広めたかに興味がある。